些流透

些流透(さりゅう・とおる)と申します。

些流透

些流透(さりゅう・とおる)と申します。

最近の記事

  • 固定された記事

【小説】親密

週一回の頻度で更新していきたいと思います。 既にヒントは出していますが、最終回でこの小説の ネタバレをしたいと思います。 更新がなくなったら厭きたと思って諦めてください。

    • 中原昌也の『あらゆる場所に花束が......』について

       中原昌也の『あらゆる場所に花束は……』は2001年に上梓され第14回三島由紀夫賞を受賞しているのだが、毀誉褒貶に晒されたまま今日に至っている。とりあえず最初に「あらすじ」を試みてみようと思う。  冒頭は青年のコミュニケーション能力を向上させるための研究所である『醜いアヒルの家』と呼ばれる場所で入所者の徹也が小林にボコボコにされている場面である。小林は絵葉書工房も所有している。  その絵葉書が送られてくる恵美子は陽子がオーナーを務めている美容室で働いている。ひと月前に小林と

      • 石原慎太郎の『遭難者』について

         石原慎太郎が1992年9月に新潮社から上梓した短篇集『遭難者』はどうも文庫にはなっていないようで、それほど読まれていないのかもしれないが、「遭難者」の感想も記しておきたい。(以下、ネタバレが含まれる。)  主人公の村上は暮れの26日に出発して正月の松の内にゴールする日本・グアム間のボートレースに他の十人のクルーと共に参加することになる。村上は最年少で前甲板員を任されるのだが、「なにかのはずみ(p.21)」でクルーの島田が落水してしまい、保安庁経由で横須賀の巡視船「くりはま

        • 石原慎太郎の『生還』について

           新潮文庫版で最後まで残った石原慎太郎の作品は1956年上梓された『太陽の季節』と1987年8月号の「新潮」に掲載され、1988年9月に上梓された『生還』で、平林たい子文学賞を受賞している。文庫が手に入らなかったので、文藝春秋から出版されている『石原慎太郎の文学』という全集を図書館で借りて読んでみた。(以下、ネタバレを含む。)  主人公の木原は家業の薬屋を継いで生薬の健康食品が当たって会社の業績を上げた40代の社長である。ところが最近になって胃痛が酷くなり知り合いの東京獣医

        • 固定された記事

        【小説】親密

          『太陽の季節』と『異形の者』

           石原慎太郎が亡くなったのは2022年2月1日で享年89歳だった。その後、石原の小説の文庫が次々と復刊されると思って待っていたものの、全くその様子がなく、2023年3月3日に88歳で亡くなった大江健三郎とはえらい違いだと思ったのだが、クオリティを考慮するならば致し方が無いのではあろう。  たまたま古書店で新潮文庫の『太陽の季節』を見つけたので、今更ながら購買して読んでみた。1955年7月号の『文學界』初出である本作の有名なシーンを引用してみる。  ところでウィキペディアに

          『太陽の季節』と『異形の者』

          「奈落のクイズマスター」としての小山田圭吾について

           今頃になって片岡大右の『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書 2023.2.22)を読了したので感想を記しておきたい。  その前に筆者の小山田圭吾に対する「偏見」を書いておきたい。どのような「偏見」の上で書かれているのかを知ることで読者は自身の眉につける唾の量が測れると思うからである。  小山田圭吾と小沢健二のユニット「フリッパーズ・ギター」が1991年にリリースした『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』はヴォ

          「奈落のクイズマスター」としての小山田圭吾について

          マックス・ヴェーバーは「犯罪者」?

           ある日、学校から帰ってきた娘が訊ねてきた。 「マックス・ヴェーバーっていう犯罪者知ってる?」  マックス・ヴェーバーという名前のドイツの社会学者の著書は読んだことはなかったものの、名前だけは知っていたので、 「ルイ・アルチュセールならば誰もが認める犯罪者だけれど、マックス・ヴェーバーも何かやらかしていたのかな?」と応じたら、 「これ」と言って娘が見せた本の表紙には「マックス・ヴェーバーの犯罪」というタイトルが書かれていたので驚いて、ページをめくってみると「それほどまでにマッ

          マックス・ヴェーバーは「犯罪者」?

          『海のトリトン』と城みちる

           『アニメ大国建国紀 1963➤1973』(中川右介著 集英社文庫 2023.10.25)を読んで、子供の頃にぼーっと見ていた日本の創成期のアニメーションは手塚治虫を筆頭とする実作者たちと共に西崎義展や高橋茂人などの立派な香具師の存在がなければ成り立たなかったことがよく分かる。  個人的に最も強烈な印象を受けたアニメーションが「原作:手塚治虫」「プロデューサー:西崎義展」「演出:富野喜幸」による『海のトリトン』のラストシーンで、このアニメを見たことで正義と悪の区別がつかなく

          『海のトリトン』と城みちる

          加藤典洋について ー 島田雅彦を巻き込みながら

           相変わらず人気があるようで著書が次々と文庫で復刊され、今月も2014年に上梓された『人類が永遠に続くのではないとしたら』が講談社文芸文庫で再刊されている文藝評論家の加藤典洋(1948年生まれ)が亡くなったのは2019年5月16日で、すぐに例えば『すばる』8月号で「追悼 加藤典洋」として橋爪大三郎(「加藤ゼミの加藤さん」)、ギッテ・M・ハンセン(「Old Catoへ」)、長瀬海(「孤立を恐れない」)や、『群像』9月号で「彼は私に人が死ぬということがどういうことであるのか教えて

          加藤典洋について ー 島田雅彦を巻き込みながら

          スーザン・ソンタグと「キャンプ」を伴う「ヴァルネラビリティ」について

           最初にソンタグの代表作とされる『反解釈』の邦題の解釈が正しいだろうかという問題は解決しておいた方が良いと思う。原題は『Against Interpretation』で『Anti-Interpretation』ではないことに留意したい。つまり「反解釈」とまでは言わないが「解釈には抗う」というニュアンスなのである。  ところで『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』(波戸岡景太著 集英社新書 2023.10.22)を読んでいて興味を誘ったのは、本文以上に脚注に記してあっ

          スーザン・ソンタグと「キャンプ」を伴う「ヴァルネラビリティ」について

          小林信彦『ドリーム・ハウス』と安部公房『砂の女』

           小説家としての小林信彦の評価はいまだに定まっていないようで、ウィキペディアを見る限り、芥川賞や直木賞などの主要な文学賞にはことごとく嫌われている感じではある。  ところで小林信彦の『ドリーム・ハウス』は1992年10月に上梓され、新潮文庫でも出版されたのだが、何故本書を読もうと思ったのかと言えば、解説で評論家の浅羽通明が「この小説は傑作である。(p.241)」と書いていたので、そこまで書くならば読んでみようと思った次第である。  簡単に粗筋を記しておくならば、主人公は小

          小林信彦『ドリーム・ハウス』と安部公房『砂の女』

          売野雅勇『砂の果実』と「少年」

           作詞家の売野雅勇の『砂の果実』(河出文庫 2023.7.20)は副題に「80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」とあるように80年代を中心とした歌謡曲の成立過程が細かく描かれた貴重な記録だと思う。  個人的に興味深い話として、坂本龍一が「GEISHA GIRLS」をプロデュースし、坂本から「少年」という楽曲の歌詞を依頼された際のエピソードを挙げたい。  坂本は売野に「少年っぽい感じが、いいかなって、思ってるんだけど」「ピュアで、健気な気持ちが、こころを打つような歌詞がいいかな、

          売野雅勇『砂の果実』と「少年」

          ナサニエル・ホーソーン『ファンショー』と孤高の倫理

           いまさら著者のナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)の実質のデビュー作『ファンショー(Fanshawe)』(1828年)を読もうと思った理由は、ポール・オースター(Paul Auster)の『鍵のかかった部屋(The Locked Room)』(1986年)の主人公の友人の名前がファンショーで、翻訳者の柴田元幸が訳者あとがきで、「もっとも『ファンショー』という小説自体は、作者のホーソーン自身のちにその未熟さを恥じ回収したというエピソードからもうかが

          ナサニエル・ホーソーン『ファンショー』と孤高の倫理

          モリエール『人間ぎらい』とサブカルチャー

           モリエールが1666年に発表した戯曲『人間嫌い : あるいは怒りっぽい恋人(Le Misanthrope ou l'Atrabilaire amoureux)』は既に多くを語られて、語り残されている部分など無いように思うが、そもそも主人公のアルセストとオロトンが口論になったきっかけとなった、オロトンが書いたソネット『希望……(L'espoir...)』とアルセストが好きだと言っていた「古いシャンソン(une vieille chanson)」を比べてみようと思う。  最初

          モリエール『人間ぎらい』とサブカルチャー

          古義人vs.偽伯爵

           ポール・オースターの小説を読んでいて、似たような文章を読んだことがあると思っていたら、蓮實重彦のエッセイ(随筆?)だった。何故か蓮實が書く文章にもやたら「偶然」や「失念」などが出て来る。失念などは年相応と思うだろうが、78歳で『「ボヴァリー夫人」論』、86歳で『ジョン・フォード論』を上梓している人物に「年相応」など関係ないのである。  ところで不思議な話なのだが、蓮實と大江健三郎との関係はあまり良好ではなかった、というか関係そのものがなかったようなのだ。以下、『笑犬楼vs

          古義人vs.偽伯爵

          ポール・オースター『鍵のかかった部屋』と「小説の定義」

           ポール・オースターの「ニューヨーク三部作」の最後となる『鍵のかかった部屋』(1986年)は『ガラスの街』や『幽霊たち』と比較するならば、いわゆるミステリー小説の体を成しているものの、ラストの主人公とファンショーの「対決」のシーンは分かったようでよく分からない。  印象的なフレーズを書き出してみる。最初に主人公が語る人生について。  結局のところ人生とは偶然的な諸事実の合計以上のものではない。偶然の交わり、たまたまの運不運、それ自体が目的を欠いていること以外何も明らかには

          ポール・オースター『鍵のかかった部屋』と「小説の定義」