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カーニヴァル番外編「レータレの祝祭」

belgium Stavelot

復活祭前の断食の期間、四旬節は40日間、主日(日曜日)を数えないので実日数は46日間となる。これだけの日数を肉食民族のヨーロッパ人が肉を断つことは至難の技だ。四旬節の中日にあたる「ラ・レターレ(la Laetare)」の日曜日、ベルギー東部のスタヴェロ(Stavelot)ラ・レターレのカーニヴァル、「白装束祭(Blancs-Moussis 英:White clad)」が開催される。
レターレ(Laetare)」とは、“喜べ”という意味で、四旬節の第四日曜日を「喜びの主日 (Dies Laetare)」ともいう。旧約聖書のイザヤ書66章10節の冒頭「エルサレムと共に祝い喜べ」に由来する。

祭事は、復活祭の3週間前の土曜日から始まる。土曜日の夜、参加者たちは光モノをつけた衣装を着て、楽団に誘導されてスタヴェロの旧市街の中心の広場に集まる。楽団を載せた山車、トラックから大音響に合わせて夜中に前夜祭の大ダンス・パーティが繰り広げられる。

本番、白装束のカーニヴァルは、レターレの日曜日の午後に開催される。祭事の起源は1499年に遡る。この地方を統治していた王子修道院長(ドイツ語:Fürstabt、英語:prince-abbot)ギヨーム・ド・マンデルシャイト(Guillaume de Manderscheidt)が、レターレのカーニヴァルへの修道士たちの参加を禁止した。それまで修道士たちと一緒にカーニヴァルを楽しんでいた住民は、修道着を模したフード付きの白い装束を身につけて、修道士たちも参加できるように画策した。「白装束」の群団の誕生であった。

白装束の音楽隊に先導された白装束の群団は、奇声をあげたり、ジャンプしたり、紙吹雪を舞い散らしながら旧市街をパレードする。

豚の膀胱で作った風船で観衆を叩いたり、長い竹竿に燻製した魚をつけ観衆の顔に近づけたり、観衆をからかいながら行進する。
ドイツ、フランス、ルクサンブールの隣国からの訪問者も含め、毎年3〜5万人の観衆が集まる。

【修道院公国(Principauté de abbé ドイツ語:Fürstabtei)】
7世紀半ばから18世紀末まで現在のベルギー南東部を修道院公爵が支配するスタヴェロ・マルメディ修道院公国(principauté de Stavelot-Malmedy ドイツ語:Fürstabtei Stablo-Malmedy)があった。修道院公国の支配者は、「王子修道院長」と呼ばれ、王同様の権力を維持していた。スタヴェロ・マルメディ修道院公国以外にも、中世から18世紀にかけて、ドイツにフルダ修道院公国、ケンプテン修道院公国、スイスにザンクト(聖)・ガレン修道院公国、ルクセンブルグ大公国に聖ヒューベルト修道院公国などがあった。

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