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編集担当Jと取材で世界各地を飛び回るSがお届けする、世界各地で息づくキリスト教カトリッ…

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編集担当Jと取材で世界各地を飛び回るSがお届けする、世界各地で息づくキリスト教カトリックのアート、伝統、風習、文化を様々な視点から紹介していきます。普通の旅行では感じることのできない、本当の伝統、文化、人々の姿に触れる旅を一緒にどうぞ!

最近の記事

モンレアーレ大聖堂

Duomo di Monreale  9世紀から11世紀にかけてイタリア南部のシチリア島はアラブ人に支配されていた。 12世紀末にフランス北部からノルマン人たちが南下して、島を占領してから、シチリア島の主都パレルモ(Parelmo)近郊のモンレアル(Monreale)に、アラブ文化と東方ビザンチン文化の影響を受けたアラブ・ビザンチン・ノルマン様式の大聖堂が築かれた。 着工から95年後の1267年、フランスのアンジュー家シャルル王の治政下に「降誕の聖母マリア(Natività

    • カーニヴァル番外編「テディベアのカーニヴァル」

      Le Carnaval des Ours ベルギー中央部の工業都市シャルルロワ(Charleroi)から東へ約50キロメートルほど行ったマース川の畔にアンデンヌ(Andenne)という町がある。人口は3万人にも満たない町だが、歴史は古い。 アンデンヌでカーニヴァル後の「カレーム(Carême=断食節、または四旬節)」の第四日曜日、「レターレ(Laetare)の主日」にテディベアを市庁舎で市民にプレゼントする行事があると聞き、訪れた。 「レターレの主日(2024年は3月10

      • 聖ペトロ大聖堂(後編)

        Papale basilica maggiore di San Pietro in Vaticano 教皇領には長い歴史があるが、ヴァチカン市国の歴史は意外と新しい。教皇領は6世紀頃の教皇が自らの土地などを教会に寄進したのが始まりとされ、8世紀半ばフランク王ピピンが北イタリアを征服した後、その土地を寄進したために広大な領土となった。18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻により教皇領は分割、併合され、教皇もフランスに幽閑された時代があった。ナポレオン失脚後のウィーン会議で教皇領

        • イヴレーアのオレンジの戦い

          La battaglia delle arance 北イタリアの主要都市、自動車メーカー「フィアット(Fiat)」の街として知られるトリノから、北に50キロメートルの地にイヴレーア(Ivrea)という町がある。アルプス山麓の町で、人口約2万人の地方都市だ。20世紀初頭にタイプライター・メーカー「オリベッティ(Olivetti)」の工場が置かれ、町は「オリベッティの町」として繁栄したが、PCの普及、精密機械産業の衰退と共に町は元気をなくしていった。 そのイヴレーアが一年で一番

        モンレアーレ大聖堂

          聖ペトロ大聖堂(前編)

          Papale basilica maggiore di San Pietro in Vaticano ローマに来ると、必ずと言ってよいほど訪れるのがヴァチカンの「聖ペトロ大聖堂」だ。ヴァチカン市国はもとより、イタリア国内にある教皇庁直接管轄の教会や遺跡、祭事の撮影許可を取得するための申請をする教皇庁の広報部は、聖ペトロ大聖堂前のコンチリアツィオーネ通り(Via della Conciliazione=”和解”通り)にある。許可が下りた後、感謝の祈りを大聖堂で捧げる。ヴァチカ

          聖ペトロ大聖堂(前編)

          "無原罪の聖母"が生んだグラナダのケーキ

          旅先で珍しいスイーツを探すのも私の旅の楽しみの一つ。それも聖人の名前が付いたスイーツならば嬉しさも倍増だ。スペイン南部のグラナダ(Granada)を訪れた折に、福者・教皇ピオ九世(Beatus PP Pius IX)に由来するケーキ(Pasteleria)、「ピオノンノ(Pionono)」を見つけた。 スペイン南東部に1238年から1492年までイスラム教徒の王朝が支配するグラナダ王国(Reino nazarí de Granada 正式にはグラナダのナスル王国)があった。

          "無原罪の聖母"が生んだグラナダのケーキ

          ラテラノの聖ヨハネ大聖堂

          La Basilica di San Giovanni in Laterano, la Cattedrale di Roma Papale arcibasilica maggiore cattedrale arcipretale del Santissimo Salvatore e dei Santi Giovanni Battista ed Evangelista in Laterano ヴァチカンの四大バジリカの一つ、「ラテラノの聖ヨハネ大聖堂(Basilica di

          ラテラノの聖ヨハネ大聖堂

          聖ルシア(ルチア)

          Santa Lucia ヨーロッパ、アルプス以北の国々は12月に入ると光が急に乏しくなる。11月末に待降節が始まるとドイツ、フランスの各都市でクリスマス・マーケットが立ち、辛うじて明るさを取り戻すかのようだ。12月中旬、その闇の中から光が現れるように「聖ルシア祭」が開催される。「聖ルシア」と書くと何か違和感があるが、イタリア民謡のあの「サンタ・ルチア(Santa Lucia)」のことだ。 聖ルチアは、南イタリアのシチリア島のシラクーサの聖女で、イタリアでは「シラクーサのルチ

          聖ルシア(ルチア)

          無原罪の聖マリア

          L'Immacolata Concezione 「無原罪の聖マリア」の教義はすでに中世10世紀頃から民衆に信仰されていたが、1854年に教皇ピオ9世により宣言され、カトリック教会の公式な教義となった。 無原罪の聖マリアとは、「聖母マリアも母聖アンナに無原罪で宿り、原罪から守られた」という教義である。12月8日の「無原罪の聖マリアの祝日」には、ローマのスペイン広場で早朝からさまざなセレモニーが行われる。 「スペイン広場(Piazza di Spagna)」の外れ、スペイン大

          無原罪の聖マリア

          レシピは門外不出のナンシー銘菓

          フランス東部の主要都市のひとつ「ナンシー(Nancy)」は、19世紀末のアール・ヌーボー様式のガラス工芸の町として知られる。 ナンシーは、ロレーヌ地方の主都で、ルイ15世の義父ポーランド王スタニスラスの宮廷都市としても知られる。宮廷都市となればスイーツのメッカ。17世紀に修道女が作ったナンシーのマカロンもあれば、スタニスラス王の宮廷が発祥とされる焼き菓子マドレーヌもある。 さらに「サンテーヴル(Saint Epvre)」というお菓子があると聞き、ナンシーを訪れた。 ナンシー

          レシピは門外不出のナンシー銘菓

          美味しい焼き菓子はあの「マリア」から

          ほんのりした香りとしっとりした食感で知られるフランスの焼き菓子「マドレーヌ(Madelaine)」は、「マグダラのマリア」のフランス語名「Marie Madeleine」に由来する。 焼き菓子マドレーヌは18世紀半ば、フランス東部ロレーヌ地方で誕生した。 17世紀初頭、ロレーヌ地方は神聖ローマ帝国の領土であったが、同帝国のマリア・テレジアがロレーヌのフランツ王子と婚約した際、フランスのルイ15世は岳父のポーランド王スタニスラフにロレーヌ地方を割譲することを条件に、マリア・テ

          美味しい焼き菓子はあの「マリア」から

          あまりにも芸術的な修道院宿

          Convento Inn& Artist Residency 修道院宿と芸術家邸 ─ ポルトガル・トマール ─ 4年に一度のポルトガルの「トマール(Tomar)」の祭事に行った折、何処で宿泊しようか逡巡しているうちに祭事の運営委員会が提供してくれたホテルも満室となってしまった。処々探してみたが、4万人の町に公式発表では約50万人(?)の訪問者ということで、簡単には宿泊施設が見つからず難儀した。処々探していたら、民宿のような「修道院宿と芸術家邸(Convento Inn &

          あまりにも芸術的な修道院宿

          イエズス会の修道院のお菓子

          ポルトガルのリスボンで取材をした日、宿泊はリスボン郊外の「カスカイス(Cascais)」にした。 カスカイスは、リスボンから西へ約25キロメートル、車ならば30分ほどの位置にある大西洋に面した海浜リゾート地。15世紀から17世紀に築かれた屈強そうな要塞「カスカイス城塞(Cidadela de Cascais)」が町を護り、大航海時代リスボンの前哨基地でもあった。何よりも私には、自分の住む町"熱海"と姉妹都市なので宿泊願望が沸いたのだが、訪れてみると美しい入り江の海浜と洗練され

          イエズス会の修道院のお菓子

          聖母の被昇天

          Assumption 第二次世界大戦の後、日本に平和が訪れた8月15日は、ヨーロッパ、中南米でも国家の祝日になっている国や地域が多い。8月15日は、聖母マリアが天使たちに導かれて霊魂と肉体が天に向かった日で「聖母の被昇天」の日と呼ばれる。英語で聖母マリアの被昇天は「アサンプション(Assumption)」と言い、イエスの昇天「アセンション(Ascension)」と区別している。しかしプラグマティックなドイツ人たちは、ドイツ語で天に昇るという意味で共に「ヒンメルファール(Hi

          聖母の被昇天

          手を広げた聖母マリア

          La vierge aux bras etendues フランス北東部アルザス地方、特にドイツとの国境の町ストラスブール(Strassbourg)はマリア崇敬の強い地域だ。11世紀頃からストラスブールの繁栄、安全に聖母マリアは大きな役割を果たしてきたといわれる。両手を広げ、膝に幼きイエスを乗せた「手を広げた聖母マリア(La vierge aux bras etendues)」は、11〜12世紀のストラスブール鋳造の硬貨、教会の御旗に描かれていた。 手を広げた聖母マリアは中世

          手を広げた聖母マリア

          自らを捧げてノーラの人々を護る

          ノーラの聖パオリーノ イタリアのナポリは、その美しい湾と景観で世界三大美港に数えられている。美しい湾に面して火山ヴェスヴィオ山もあることから鹿児島と姉妹都市にもなっている。ヴェスヴィオ山の北側の山麓にあるノーラ(Nola)で毎年6月下旬に「百合祭り(Feste dei Gigli)」が開催される。 5世紀初頭に住民の身代わりで人質になり、北アフリカに連行されていた聖人の帰還を百合を持って迎えたことから始まった祭事だ。19世紀から百合が巨大な塔に代わり、街中を八つの巨塔を担ぎ

          自らを捧げてノーラの人々を護る