聖ルシア(ルチア)
Santa Lucia
ヨーロッパ、アルプス以北の国々は12月に入ると光が急に乏しくなる。11月末に待降節が始まるとドイツ、フランスの各都市でクリスマス・マーケットが立ち、辛うじて明るさを取り戻すかのようだ。12月中旬、その闇の中から光が現れるように「聖ルシア祭」が開催される。「聖ルシア」と書くと何か違和感があるが、イタリア民謡のあの「サンタ・ルチア(Santa Lucia)」のことだ。
聖ルチアは、南イタリアのシチリア島のシラクーサの聖女で、イタリアでは「シラクーサのルチア(Lucia di Siracusa)」とも呼ぶ。北欧、スウェーデンでもルチア祭があるが、今回は本家シラクーサのサンタ・ルチア祭を訪れた。
シラクーサは、シチリア島の南東部の中心都市カターニアから南へ約50キロメートルの地にある。カターニアには国際空港があるのでドイツからカターニアに飛び、そこからバスに乗って約1時間ほどでシラクーサに着いた。シラクーサは起源前8世紀頃、大ギリシア時代にギリシアの植民地として約1キロメートル平方のオルティジア島(Isola di Ortigia)から始まった。島と言っても、陸地に近く橋で繋がっているので半島のようにも思える。現在は陸地の方にもシラクーサの市街地は広がっているが、旧市街は島の中にある。
シラクーサは古代から中世にかけてシチリア島で最大の都市で、初期キリスト教の時代に聖パウロが訪れて宣教し、7世紀には一時期、東ローマ帝国の首都ともなり、シチリア島の大司教座も置かれていた。現在の「聖母マリアの聖誕大聖堂(Cattedrale metropolitana della Natività di Maria Santissima)」は、17世紀に築かれたバロック様式の教会建築であるが、最初の教会は7世紀に、この地にあったギリシアの知恵の女神ミネルバ神殿の上に建てられた。
聖ルチアの記念日12月13日には、旧市街の大聖堂で14時から記念日の特別ミサが行われる。特別ミサの後、祭壇の聖ルチアの聖像と聖遺物箱が降ろされ、御輿に担がれ司教団に先導されプロセッションが始まった。
記念日には主祭壇に信者の人たちは上がることができ、祭壇や聖遺物顕示台に触れ、祈りを捧げる。
ルチアはイタリア語の光(ルーチェ=Luce)の派生語で、この日大聖堂の蝋燭台はルチアの象徴でもある蝋燭の光が煌々と満ち溢れる。
聖ルチアの記念日には、多くの人が大聖堂を訪れ、主祭壇で祈り、聖ルチアの聖遺物箱に触れて再度祈りを捧げる。教会の蝋燭台に老若男女を問わず長い蝋燭を持って訪れ、光を灯し祈りを捧げていた。
大聖堂から聖ルチアの聖像が現れると、大聖堂イッパイに集まったプロセッションの参加者たちから大歓声が沸き起こった。大聖堂に隣接した司教館のバルコニーから司教様がプロセッションの聖像、聖遺物の御輿を祝福し、プロセッションの出発だ。
シラクーサとその周辺の信者団体を中心にプロセッションにはシチリア各地の信者団体が、自分たちの団体の御旗を先頭にプロセッションに参加する。聖ルチアの信心団体が主な参加者だが、他の聖人の信心会の団体の参加もある。
プロセッション参加者は"希望(エスペランツァ=Esperanza)"を意味する緑と、"殉教"を意味する赤のユニホーム、帽子などで参加する。
プロセッションは、大聖堂広場から海岸線を通り、聖ルチアが殉教したと言われる郊外のカタコンベ(catacombe=地下墳墓)の上に建てられた聖ルチア教会までの約3キロメートルを4時間の行程で運行される。聖遺物顕示台を女性信者が担い、重い銀製の台座の聖ルチアの像は信心会の男性信者が担いで運ぶ。その回りを憲兵が守る厳戒体制の護衛ぶりだ。
聖像、聖遺物顕示台の御輿の後を女性信者たちが続く。シチリアは、まだまだ男性社会、聖ルチアは、フェミニズム、女性尊重主義の象徴でもある。この日、シチリア各地、さらにはイタリア半島南部の都市の女性たち、約2万人が参加したとされる大パレードがあった。
手にした蝋燭は聖ルチア、そして希望の象徴でもある。
旧市街の店舗では、聖ルチアの記念日のためにご絵の付いた蝋燭が売られる。
聖ルチアの日の特別スイーツ、シチリア特産のアーモンド、蜂蜜、果物の砂糖漬けで作られた目の形をしたクッキー「聖ルチアの目(Occhi di St Lucia)」、リコッタ・チーズに小麦、砂糖、チョコで作った「聖ルチア(Cuccia di Santa Lucia)」。
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