「愛すべき祖国」「愛すべき郷土」ってのは、コンクリートでできた駅前のイオンのこと?

この状況を説明するのは、非常に難しい。安倍首相が、プーチン大統領と会談をした、というニュースが流れてきていた。その中で、「平和にやりましょうよ」的なことを安倍がいい、(まぁ、北方領土問題なんて二の次のパフォーマンスのつもりに過ぎなかったんだと思うのだけれども)、プーチンに、「前提条件なしで、平和条約締結を」と返り討ちにされたのだった。

そして、そのニュースを踏まえて、Twitter上の言論空間は、(そして、まぁ、私のフォロワーは、大体が左派の人が多いから)「ネトウヨや、極右は、こういうときには、安倍の批判をしないよねぇ~」と騒いでいたのだった。
そして、私としては、そういう左派側の、ここぞというときにナショナリズムを煽るような主張で、安倍首相率いる自民党を批判するという構図が、戦略としてはアリだろうな、とは思うものの、感覚として、全然腑に落ちなかったのである。(とは言うものの、私は、安倍が10000億倍ぐらい嫌いである)
私の中で、なるほど、右も左も、そこは一緒なんだ、というか、こう日本の中の思想の大前提条件として、「日本国民」みたいなものが暗黙理にあるのだなぁ、という発見があった。前々から気付いてはいたが、それが今回の件で、左派が批判するという形で、私の思想との違いが浮き彫りになった、といった方が正しいかもしれない。

私のTwitterでの投稿は、以下のようなものである。

2018/09/13
「プーチンと安倍のニュースをみていて、そしてその批判をみて思うのは、『国益を守れ』ということが、実感として単純によくわからない。 ソ連時代の「私たちの領土/私たちの祖国」みたいな感覚が未だにロシアに、そして、日本にあるのかわからない。私が二流市民で、マイノリティだから?例えば、日本の異性愛・シスジェンダーのサラリーマンのおっさんよりも、ロシアでボコボコにされている同性愛者の方に私は近さを感じるし。 行ったことも見たこともない皇居よりも、ブルゴーニュの葡萄畑の風景や台湾のカラオケや卓球台のある異国のハッテン場の方が私は好きだし。そして、私たち(違う背景・違う思想・違う政治的な指導者のもとで生きる者)を辛うじて繋ぎ止めているものは、翻訳された文学や、旅行先での異なる者/自然との温かい出会いだからといったら、私は、随分、宙に浮いてしまっているように他者には聞こえるのだろうか?」
2018/09/14
「私は安倍もプーチンも嫌いなのだと思う。 領土を争って死んでいくのは、いつだって国に排除されつつ包摂されている人々。 チェチェンやアイヌや沖縄やチベットや他の同化された多様な民族/場を考える。 領土問題は、強者と強者の欲望の衝突なだけ。 だから興味が(コミットしたいという意味で)ない。「領土を守る」に関しては、左であれ右であれ、基本的思想。 気持ち悪いのはそこ。 国益で守られるのは誰か、誰が「日本人」として扱われるべきか。 難民の権利は?国籍がない人は?不法滞在している人々の権利は? …と私はどこまでパンを分けられ、平等な愛が楽しめるのかを考えているのだと思う。」

二日間に連続するツイートで述べた通りなのだけれども、びっくりするぐらいなんの反応もなかった。友達が何人かいいねしてくれただけだった。(それはそれで、とても嬉しい。投稿はうまくいっていたんだ。)
付け加えておくならば、私は、「どっちもどっち」と言いたいわけではない。
そういう、中立を装いたいわけでは決してない。
そうではなくて、メタ的なものを考えたときの言葉にならない気持ち悪さみたいなものを感じたのだった。国同士の対立を煽り大きな敵を設定することで、国内の関心事を、民族問題や都市地方問題から、外交問題へと目線をずらさせる。おそらく、領土に関する取り合いみたいなものが、特権階級のお遊びの事柄に属していて、日本人であるいは、ロシア人であると疑いもなく認識できる人々の間でのやり取りであり、どちらもが、ナショナリズムを市民の間で掻き立てる要素になっているのではないかと思っただけである。
「私たちの領土」「私達の愛すべき土地」を守れ、と。
では、実際に守るのは誰なのだろう。原発で日雇い労働者や、海外から連れてこられたように、私たちが、「汚物」を処理するのは、そして、前線に立たされるのは、貧困者・職業が安定しないもの・国によって大切にされていないものである。国の内部にいつつ、文化的に、社会的に排除されている人々が、真っ先に前線に送られてきた。
何かこう人々の欲望が、強者になったとしてもとどまることがなくなっていて、人というものは、さらに得たいと思ってしまうものなのだろうな、と思うわけである。強者と強者の欲望のぶつかりあいなのだと思う。その取り合いに利用されるのはプレカリアスな(不安定な)状態に置かれた人々なのだろう。

「私たちの領土」「私たちの祖国・自然」みたいなものを、大切にする気持ち、というものが、地理的な結びつきみたいなものの価値は、今、どうなっているのだろうか。私が生まれ育ったのは、吹田、という大阪近郊のベッドタウンで、そこで、私は、大学を卒業するまで生きてきたのだが、そこに何か特別な思い入れがあるか、と問われると難しい。
もちろん、クワイが名産であるとか、アサヒビールの工場があるだとか、マロニーや大幸薬品があっただとか、万博記念公園があるとか、何か、こう諸々の知識はあるにせよ、その土地そのものは、そのものが代替可能なベッドタウンとして「作られて」きたのだろな、と冷めた目でみている自分がいるのだ。
吹田を守るために戦おう、と言われてもちょっとピンとこない。
「愛すべき祖国」「愛すべき郷土」ってのは、コンクリートでできた駅前のイオンのこと?私が通っていた小学校のすぐ前の陸橋をそう思えということ?
よくわからない。
そんなに素晴らしいものがあった気はしない。
ちなみに両親は、もともと大阪の人ではないから、余計に私がそう感じてしまうのかもしれない、たぶん、そうだ。
それとも私は、とてつもなく平和ボケしている?

ある特定の人々が、誰を保護するのかを決め、誰が保護に値しないかを決める。
日本人かを決めるのは、誰かではなくて、既に日本人である人々。
保護の程度も違う。日本人として扱う人、日本人だけれども二流市民扱いをする人、日本人として扱わない人。同性愛者は、異性愛者に比べて相対的に保護の程度が弱い。僕たちは、不安定な状況に陥るリスクが高い。そうやって、不安定な雇用、不安定な家、不安定な家族関係にさらされ、貧困へのリスクにさらされ、もしかすると、将来、「手当が高いよ」と言われて北方領土に赴くかもしれない。それは、<わたし>の意思だから、死んでも自己責任になるのだと思うと寒気がする。

私たちから、愛すべき土地を奪い取ってきたのは誰なのだろう。
私を二流市民扱いしてきたのは誰なんだろう?

「日本を愛しなさい!領土問題に怒りなさい、あなたの領土が奪われているのに!」
「私の領土?私が、日本に愛されていないのに?」


追記:なぜ僕がここまでこだわるのかについてヒントになる少し遠い思い出
はじめて訪れたインドで、パッケージツアーの旅程が終わった夜中、街へ出かけようと決めた。
どこかに行きたかったわけじゃなくて、ただただ、街をぶらぶらしてみたかったのだった。
ホテルの自動ドアから出ると、生暖かい風が頬にあたった。それでも日中のひどい暑さとは比べものにならないぐらい快適さだった。
ホテル前では、人力車がたくさん止まっていた、僕は「乗ってけよ」と囲まれてしまった。そうして一人の男の子を紹介された。
その子は、僕と同じぐらいの年齢にみえた。
行ってみたかったチャイ屋までお願いしてみた。いくらだったか忘れたけれど、そんなに高くはなかった。確か、20ルピーとかだった。
交渉して、降りたあとにけんかになることがあるから、サインしといてもらいなさいみたいなことが旅行ガイドブックにかかれてあって、僕はそれを旅行に行くたびに実践していた。だから、そのときもそうしたと思う。「20₨」とちぎったルーズリーフに書いて、大きくサインして、と頼んでサインペンを渡す。
彼は、首を横に振って「書けない」と言った。
「書いてもらわないと困るんだよ、ほら、インドの言葉でよいんだから」と僕は言って、自分の名前を書いてみた。日本語なんだ、とでも言って。
彼は、再度、書けないと言った。
僕は、そのときに、あぁ、字が書けないんだとようやく理解した。
文字が書けない人と、それまでの人生で会ったことがなかった、21年間。
「なんでもいいよ、好きなマークでも、丸でも点でも」とたぶん伝わっていないであろう英語でいって、ぐちゃぐちゃに書く真似をした。
彼は、慎重にサインペンをもって、ゆっくりと小さく何かを書いた。それは僕には点のように見えたけれど、点にしてはやけに時間がかかった。
彼は慎重にサインペンの蓋をしめていた。頬がピンク色に染まっていて、僕と交渉をはじめて、はじめて笑った。とてもうれしそうにみえた。
「ありがとう」と僕はいった。
「じゃぁ、ここに乗って」と彼がいい、僕は乗った。溜まっていたおっさんのリキシャの集団が、彼に向かって、声をかけてきた。
「若いの、がんばれよ」「しっかりやれよ」
もしかしたら、
「ちゃんとぶんどってやれよ」
だったのかもしれない。彼は、短く返事をして、道路へ飛び出した。

僕は夜のインドの町並みと、彼との出会いと、交通量の多さと、いろんなことがいっしょくたになって混じって入ってきていた。結局、道がわからなくなって、僕らはチャイのお店にたどり着くことができなくて、近くをウロウロしてホテルに戻っただけだった。それでも、僕は、予定通り20₨支払った。
じゃぁね、と笑顔で別れた。

僕は、チャイなんて、もうどうでもよかった。ホテルでシャワーを浴びながら僕は泣いていた。
そのときは、今よりも、もっとなんにも知らなかった。
世の中はもっと綺麗で、平等で、楽しいものだと思っていた。
今でも、たまに、このときの感覚を思い出す。
文字の読み書きができず人力車をひく彼と、大学で学びながら(授業料は親が出し)遊ぶ金だけを日本で稼ぎインドまできている僕の間を正当化できる論理は、何だろうか。(日本でだって、ものすごい格差があるんだと知ったのはもっとあとだった。)
同じ年ぐらいのあの子とのあの時間、何も喋っていないけれど、彼が人力車をひき、僕は乗り、彼は文字や地図がよめなくて、僕はよめる。その違いはなんなのだろうか。
僕がこの文章を書いたとしても、彼には届かない。
僕がこの文章を書いて、誰かに褒められたとしても、あるいは、書き直して、論文みたいな形にしたとして、評価されても彼には10ルピーもあげられない。
僕の中には、たぶん、この記憶がある。

日本人であること。そのことで、利益集団として、国益として求めること。
そういうことが、まだ、よくわからない。
それで誰が幸せになって、誰が不幸になるのかが、よくわからない。
アイヌや北方民族が住んでいた土地を奪って、奪われたりして、それを問題視しなければ、「日本」という存在が解体してしまって、壮絶な殺し合いがはじまる?そうかも知れないし、そうじゃないかもしれない。いずれにせよ、殺し合うのは僕たちで、彼らではない。追い出されるのは僕たちではなくて、今いる人達なんだ。

僕らには、結局、人力車と飲みそこねたチャイしかない。


にじいろらいと、という小さなグループを作り、小学校や中学校といった教育機関でLGBTを含むすべての人へ向けた性の多様性の講演をしています。公教育への予算の少なさから、外部講師への講師謝礼も非常に低いものとなっています。持続可能な活動のために、ご支援いただけると幸いです。