朝5 (聴覚)

視覚と触覚の区切りがあって、意味の区切りがあって、いろいろ知りながら動いていく。
赤い丸という色、触れそう。食べたらおいしい。手を伸ばす。かじる。
(これでは丸かじりだ笑)
こうして味覚が登場するけど、そのまえに聴覚だ。

りんご。一円玉。わたしたちは呼んでいる。
名前をつける、あるいはついている名前を教えてもらう。
言葉ってなんだ。聴覚で感じる音だ。視覚で感じる文字だ。
点字だと触れる。手話も見える。
視覚や聴覚を持ってしまっているぼくは、言葉を音と文字とでやり取りすることが多い。
言葉を使うと、意味の区切りを伝えやすい。
逆に、意味の区切り方を言葉を使って整理できる。
だから、新しい区切り方のとき、言葉が見つからない、と思ったりする。

一応聴覚の話に戻そう。
聴覚は、全方位聞こえる。どちらから聞こえているかは分かるので、大きな音がしたら何が起こったのかとそちらを見ようとして体を動かしたりする。それで、言葉というのは少し変わった音だ。その音がすると、意味の区切りが分かってしまう。

逆にも言える。意味の区切りを教えるような音が聞こえると、言葉だ。
言葉以外の音にも意味はある。動物の鳴き声、車のエンジン音、スマホのアラームの音。
耳をすませば、何が起こっているかの手がかりになる。

もっと気持ちのいい音がある。楽器の音。音楽だ。
人は曲を作る。リズムを作る。メロディを作る。
聞こえる音の連なりは、ふだんの世界の時間から別のところにあるようだ。

音には触ることができない。
でも、音と対応する振動があって、それを空気とよんでいる。
その振動を直接触覚で感じることはあまりなく、大きな音なら胸のあたりが叩かれているような感覚はある。
風を感じることは簡単だ。小さな小さな風を、わたしたちは聴いているのだ。
言い直すと、大きな音のとき、それと対応するリズムで胸に圧迫されるような感覚があるときはあり、
それは身体の周りにある空気という物体が振動しているのだと、解釈している。
(物理学をきちんと知る必要がある)

となると、聴覚と触覚にも接点があることが分かった。
視覚と触覚にも接点があったのだから、視覚と聴覚は?
動いている色と、何らかの音とが対応しているとき、それが鳴っているとおもう。
さらに、色に手を触れ、音を鳴らすことができる。
ここに来て、体で音を鳴らすということの五感の豊かさが分かる。
色を見て、手や足を動かし、音を聞き、さらに見たり動いたりする。

視覚と聴覚と触覚とが交わる。
そういうときがとても大事な気がする。

今回は2日かかった。
今日はここで時間切れです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?