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外国人介護労働者に過度な期待はしないこと、について

2年ぶりの介護クラス再開

外国人に日本の介護を教えること、について考えてみました。

コロナ禍を経て、2年ぶりに特定技能制度による介護技能試験対策の〝介護クラス〟がオンラインで再開しました。

受講生は、日本で働きたいフィリピン人女性19名です。先日オリエンテーションを開催したのですが、3日前のアナウンスにも関わらず、ほぼ全員が時間通りに集まりました。

ちなみに、フィリピンでの〝時間通り〟とは、10~15分遅れくらいまで許容します。

さて、私がオリエンテーションで確認したかったのは、生徒さん達のやる気と、ネット環境、そして、通信ディバイスの三点です。

いつものことですが、事前情報がほとんどない状態で、仕事を割り振られるのがフィリピン流です。なので、人から得られる2次情報や3次情報はあてにせず、自分の目で見て確認しなくてはなりません。

急きょオリエンテーションを開催することで、彼女たちにとって、介護クラスの優先順位がどの程度のものかを把握することができます。ネット環境や通信ディバイスも同様です。

この3点を把握した上で、はじめてカリキュラムや授業内容、つまり、フィリピンで開催される「介護技能評価試験」と「介護日本語評価試験」合格までの導線を考えることが出来るのです。

「日本の前提条件」と「送り出し国の前提条件」

生徒達にやる気があって、ネット環境通信ディバイスも整っている。

それらを前提条件として考えるのが、オンライン授業を受けもつ日本人教師として、当然の思考回路だと思います。
しかし、介護人材送出し国、多くはアジアの発展途上国では、それらは前提条件になりえないのです。

-やる気がない生徒達を、どうやる気にさせるか。

-ネット環境が悪い中で、どうやって授業を組み立てるか。

-通信ディバイスがスマートフォンだけの場合、どのアプリケーションを活用していくか。


などなど、対面式の授業であれば考えなくてもよいことまで、考えなくてはなりません。なので、オンライン授業の方が数倍難しいのです。

しかし、2年前のオンライン授業に比べると、1つだけ光明があります。それは、渡航制限が緩和されたため、外国人介護人材が続々と来日できるようになったことです。

コロナ禍でのオンラインクラスでは、勉強して介護試験に合格しても、いつ来日できるかの見通しが立ちませんでした。目標が明確でない中での勉強はしんどいですし、教える方もしんどいです。

日本で働くことがゴールである彼ら・彼女らのやる気を、どうやって引き出せばよいのでしょうか?

逆の立場で考えてみました。私は20代の時に、アメリカに留学しました。
「いつ」アメリカに行くという明確なゴールがあったからこそ、英語の勉強をしました。
「いつか」アメリカに行くという、曖昧なゴール設定では、わざわざ勉強なんてしなかったでしょう。

そう考えると、日本が鎖国している間に、日本で働くことを目的とした彼ら・彼女らに、日本の介護を教えてもあまり意味がないなという思いに至りました。


鎖国が解かれるとき

とはいえ、介護業界の人手不足は変わらず存在しているので、遅かれ早かれ鎖国は解かれ、外国人介護人材を受け入れることになるでしょう。

それが「いつ」なのかは分かりませんが、「いつか」必ずそうなります。

私の中では「いつか」のゴールが明確だったので、日本が鎖国している間に別のスキルを伸ばそうと考えて、方向転換しました。

それが、日本人介護職員向けの異文化理解研修だったり、私自身がヘルパーになって介護現場に復帰することだったり、です。

2年間横道にそれましたが、ようやくまた外国人に、日本の介護を教えられる環境に、戻ることが出来ました。

介護は懐が深い仕事

さて、仕切り直しの2年ぶりの介護クラスです。以前とは異なり、どうやったら試験に合格できるのかのノウハウと、オンライン教材は整っています。

生徒さん達にやる気さえあれば合格できるでしょう。正直に言って、試験に合格させるだけなら難しくはありません。それはすでに経験済みです。

今回の私のチャレンジは、生徒さん達との対話を通して、介護の捉え方について、多くの選択肢を与えること、です。

彼ら・彼女らにとっての介護とは、出稼ぎの1つの手段でしかありません。しかし、介護とはもっと懐の深い仕事です。

彼らの今後の人生にも活きる、専門職の1つとして介護を捉えてもらうこともできますし、介護と別の専門性を掛け合わせて、新しい仕事を生み出すことだってできます。

日本だけではなく、世界も高齢化しています。1つ介護という軸を築き上げられれば、日本経由で別の国で働くことも大いにあるでしょう。

私自身も2年間、介護クラスから離れて寄り道をしたり、10年ぶりに介護現場に戻ったりして、改めて介護の可能性を再認識することが出来ました。

介護という仕事は懐が深い。


出稼ぎのイチ手段として、惰性で働くことも出来るし、身体の不自由な人のお世話をすることで、〝五体満足な自分は、どう生きるべきなのか〟を、自らに問いながら働くことも出来ます。

介護という仕事は、例えて言うなら、地域の野球少年から、バリバリメジャーリーガーまでもが、一緒になって参加できるくらいの懐の深い仕事です。どこを目指すかは本人次第です。


Win-Winの教育

せっかく世界最先端の日本で介護の仕事に就くのだから、様々な選択肢を持ったうえで、日本に送り出してあげたい。というのが私の願いです。小金を稼ぐためでもよし、専門職を目指すものよし、彼ら次第です。

勘違いしてはいけないのは、日本の少子高齢化の問題は、日本人の問題であって、日本で働く外国人の問題ではありません。彼らに過度な期待は掛けないほうがいい。というよりも無意味だと思います。

ヨーロッパのどこかの国の少子高齢化の問題を、日本人介護士が真剣に考えることなんてありますか?

若い外国人介護士の生徒達には、彼ら・彼女らの思惑があります。彼ら・彼女らの思惑と、少子高齢化社会に生きる、我々日本人の思惑を、上手にすり合わせていくことが大切だと思います。

そのためには対話が必要だし、対話するためには語学力が必要だし、さらには、日本の介護をかみ砕いて分かりやすく説明するスキルも必要です。
それらが不十分だと、介護はいつまで経っても、出稼ぎのイチ手段でしかないのです。

知識を一方的に詰め込んで、試験に合格させるだけの、出稼ぎ介護労働者を育てるだけの教育は卒業します。次のチャレンジは、外国人介護士も、日本人もメリットがある、Win-Winの教育を目指します。

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