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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】哀しみの終わる時(1)

認知症の症状には、中核症状と周辺行動がある。前者は、脳の劣化による認知。具体的には、記憶障害、失語・失行・失認・見当識障害・実行機能障害があげられる。これに対して、後者は中核症状が原因で引き起こされる二次的な問題行動で、認知症が恐れられる理由がここにある。具体的には、多動き・多弁、幻覚・幻聴、暴力・暴言、徘徊、もの盗られ妄想、作話、異食・過食・・・・・・。

これらのうち、最も身近な人を苦しめるのが、もの盗られ妄想だと思う。何といっても、人生においてとても大切な存在であろう相手を、泥棒呼ばわりして激しくなじるのだから、双方にとって、実に哀しく切ない展開とならざるを得ない。

今回のエピソードは、そんな「もの盗られ妄想」にまつわる話である・・・。


「お母さまの様子がおかしいなと思われたのはいつ頃でしょうか?」
「今年の正月ですかね」
「どんな感じだったのですか?」
「それが…」
「それが?」

百寿コンシェルジュの神崎は、相談者である男性の言葉を反復した。一方の杉本は、ちらっと窓の外に目をやって、ためいきをひとつ吐いた。そして、意を決したように口を切る。

「おせち料理なんです」
「おせち料理?」
「はい。昨年の秋に父が亡くなりまして。今年は母と私の二人だけということもあって、デパートでおせち料理を注文したんですよね」
「ああ、お重が三段とか五段になった豪華なあれですね?」
「そうです。あれです」
「あれ、高いでしょう? 数万円しますよね、たしか」

神崎は屈託のない表情で身を乗り出した。

「そのおせち料理が・・・、なにか?」
「ええ。家にいる時は、大体、母が一階の居間、私は二階の自室にいることが多いんですが、たまたま下に降りて行ったときに、母の奇妙な行動を目にしまして…」
「息子さんからすると、お母さまがちょっと不可解な行動をしていたと?」
「はい。あのう。こう、伊達巻とかかまぼことかをですね、直に手でつかみながら何度も並べかえているというか、お重から出し入れしているというか・・・」

杉本はジェスチャーをまじえながら、神崎に意図を伝えようと必死だった。

「整理整頓しているような感じですかね?しかも手づかみで」
「・・・なんですよねぇ」
「ほう。それで、息子さんはどうされたんですか?」
「思わず言いました。おふくろ、何やってんだよ。手でそんなことしたら汚いじゃないかって」
「でしょうねぇ。そうしたら?」
「そうしたら、母が飄々とした感じで言うんですよね。あら、そう? だってキチンとしないと気持ち悪いから・・・って」
「なるほど。微妙に隙間が空いていたり、食材ごとに向きが統一されていないとスッキリしないという感じなんでしょうかねぇ」
「たぶん、そうなんですかねぇ。ただ、そう言いながら、ベトベトになった手指を舐めてですね、また同じように繰り返すわけです」
「伊達巻やかまぼこを…」
「はい。たしかに母は昔からきれい好きではありましたが、行儀作法にはうるさくてですね、食べものを手でつかむなんてことをしたら、こっぴどく叱られたものなんです」
「しっかりと躾をなさるお母さまだったのですね?」
「はい、それはもう厳しいくらいに」
「息子さんとしては、それはびっくりされたでしょうねぇ」
「かなりの驚きでした。で、その場は母にタオルを渡して、不衛生だからお箸でやんなよと言って終わったのですが…」
「それ以降もいろいろとあるわけですね?」

杉本はこの7ヶ月のあれやこれやを回想しながら、またひとつ、大きくためいきをついた・・・。

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