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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】哀しみの終わる時(9)

別れ際に神崎が予言したように、翌日もその次の日も、杉本の母は人が変わったようにまた騒ぎ出した。が、「ほとぼりが冷めるまで外出するなりしてスルーしてください。週明けまでの辛抱ですから」という神崎の言葉が心の支えとなった。そして、予定通り、週明けの午後、杉本の母親はS病院の認知症病棟に入院となったのである。

その後、3ヶ月の入院を経て、S病院の相談員からの紹介で、隣町の老人保健施設に転院した。実は杉本は、母親のために、中の上クラスの老人ホームを検討していたのだが、神崎にこう言われたのだ。

「お母さまの定期預金が、たしか3千万円だったと記憶しています。他に預貯金はありません。それと…、言いづらいのですが、ご自宅もかなりの築年数だとお察しします。立地のことも考えると、資産価値は数百万円。それも低いほうだと思います。杉本さんがどうかなとおっしゃっていた老人ホームは月額25万円ですよね。年間300万円です。お母さまは認知症以外にとくに悪い病気は持ってないようですから、100歳まで、あと20年、生きながらえたとしても不思議ではありません。

20年ですよ、20年。年間300万円のホームに入ったとしたら10年間で3千万円。それでお母さんの預金は底をつきます。その辺のことを十分考えて欲しいんです。

杉本さんだって、お母さんと一緒に歳を取るわけです。加齢に伴ってリスクは増えるものです。そう考えたときに、例えばそのホームの半分以下で賄える物件があったとしたらどうですかねぇ?

そして、そこには医者も看護師も常駐していて、サポートの面では有料老人ホームよりも手厚いとしたら…」

この神崎の提案があったからこそ、杉本は母を老人保健施設、いわゆる老健に移したのだった。限度額認定証を取得したのが功を奏して、月額費用は10万円以下である。これであれば母親が100歳まで生きたとしても経済的な不安はない。そう考え直して老健を見学させてもらったのだった。

あれから丸4年が過ぎ、母親は今も老健で暮らしている。時間の経過とともに過激な言動はすっかり影を潜め、むしろ塞ぎこんで見えるようになっていった。併せて、実の息子である杉本のことを、なぜか弟だと思っていることを除いては、とくに問題はなかった。 

大手企業が運営する老人ホームでの不祥事をニュース等で知るにつけ、神崎のアドバイスに従ったのはよかったのではないかと思えてくる。

杉本は月に一度のペースで母を見舞い、決して多くの会話をすることもないのだが、2時間程度、母に寄り添って過ごすことができている。仕事にも支障はない。あの時、思いきって神崎を訪ねたこと。あの日あの時こそが、自分と母の穏やかな現在を確保するために必要な一日であったのだと、つくづく思うのだった。

後日、大学の同窓であることを伝えると、神崎は驚いたように、「どおりで、どこか同じような空気を感じてたわけですね」と快活に笑った。そして、年に数回、飲みに出かけるような縁ができたのだった。

認知症になって人格が変わってしまった母と暮らしていたやるせない7ヶ月間。あの時間が、今の杉本には別世界の出来事であったかのように思えてならない。

今日は日曜日。母を見舞いに行く日である。土産に母の好物の和菓子を持って、杉本は老健へ向かうバスに乗り込んだ。

(完)

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