見出し画像

1日100バーツで暮らす生活~タイ起業10年記⑥

さて、第1話でタイに渡った時の話に戻ろう。

「まずは3か月間限定で勝負する」と決めた自分は、とにかく3か月で結果を出さなくてはいけなかった。

友人のオフィスに机を一つだけ借り、そこで仕事をスタートした。
たった一人のスタートは寂しくもあり、また希望に満ち溢れてもいた。

その時に自分に課していたテーマが「1日100バーツ以上のお金を使わないで過ごす」というモノだった。

第1話で書いたように、潤沢なお金を持ってスタートしたわけでは無かった。起業した瞬間から貯金はどんどん減っていく。
だから、「できる限りお金を使わない生活」に自分の体を慣らしたかったのだ。

家族には貧乏をさせないと決めたので、家族は日本で普通の生活をしてもらっていた(はず。)一方で自分は単身の身だし、お金なんて大して使わなくても生きていけると思った。

1日100バーツは、当時で言うと約300円。ランチなどは30バーツくらいで食べられたので、100バーツ生活ははっきり言ってそんなに難しくない。周囲のタイ人が100バーツを超えるスタバのコーヒーを買う中で、自分は水を飲んで過ごした。(というかいつも水で過ごす派だけど)

飲みのお誘いも「ちょっと忙しくて」となるべく断った。
そんなにお金が無いわけでは無かった。でも、遊興費でお金を減らすことには抵抗があった。今、自分は1,000バーツの飲みに行っている場合じゃない。そんなことに時間とお金を使う暇があったら、提案書を作り顧客のところに行く方が重要だ。そう考えた。

この自分の生活レベルを下げた経験は、自分にとって大きな財産になった。「どこまでなら自分は耐えられるのか?」がわかるのだ。

以前、「年収を下げる意味」という文章を書いたことがある。年収を下げたことがあるかないかは、人生の幅を大きく広げるファクターだと思う。人生には、年収を下げないと得られない経験がある。だからこそ、年収を下げることに抵抗が無いかどうかは、人生で取りうる選択肢を広げることになるのだ。

自分も生活レベルを下げてみて「あ、どれだけ収入が減っても、路頭に迷うことは無いな」という実感が得られた。そのおかげで、起業家として生きてい行くことへの恐怖が減った。また、稼いだお金を積極的に事業投資に回すことへの恐怖も無くなった。

ビジネスはバクチである。
いかに競合よりもスピーディーに、必要なお金を場に”張る”ことが出来るかで勝ち負けが決まる。「もう少し儲かってきたら投資しよう」と言っていたら、勝負のタイミングを逸してしまう。

弱小プレイヤーとしてスタートした自分は、リスクを取ることでしか勝ち目がない。だからとにかく、最大限お金をビジネスにつぎ込もうと決意した。売上が大して上がらないうちから人を雇い、周囲に知ってもらうための広告費も使った。

幸い、初期のお客さんはとても優しく、「応援しますよ」と発注が多数舞い込んだ。その時のお客さんには10年経った今も感謝しかないし、まだお仕事が続いている関係性もある。とにかく誠実に、恩を返すつもりで今も仕事をしている。

生きていくことに不安が無くなった自分は、チームの人数を積極的に増やし、3か月の期間を待つことなく家族もタイに呼び寄せる意思決定をした。

特に、「人を雇う」ことについては強いこだわりを持って進めた。この判断がその後の成長に大きく寄与したと思う。

会社のキックオフ。1号社員とインターンと。

(つづく)

「この記事は役に立つ」と思って頂けたらサポートお願いします!