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全訳トム・ケニオン「Emotional Cancer(感情のガン)」

 ハトホルのチャネラーであり、サウンドヒーラー、エリクソン催眠療法家のトム・ケニオンの記事の全訳をお届けします。

 自分で所有していない、無意識の感情を放置すると、やがてそれは、何らかの身体的症状となって表れます。

 疲労感や倦怠感、無力感、時に、肉体的な病気という形を取ることがあります。

 ただ、トムも記事で注意を促していますが、あらゆる病気の原因が感情的パターンに起因するわけではないことです。その中には、明らかに肉体的なものもあります。

 しかし、ある種の病気や症状には、その奥に、未解決の感情的問題や、無意識の感情的パターンがあることがあります。

 そうした問題がどうして生じるのか、また感情的な問題を避け続けるとどうなるのか、特に自分のニーズに向き合う大切さ、そうした事柄を、この記事は扱っています。

 扱われる内容は、心理学及び精神免疫学の分野になります。

 皆さんは、御自分のニーズに、適切な形で応答していますか?


トム・ケニオン「Emotional Cancer(感情のガン)」

翻訳者:jacob_truth 翻訳完了日:2021/09/21(火)

原文:

 この概念は、最初、数年前にアラスカのアンカレッジで行われた研修で思いついたものです。

 私は、心理的な癒しを目的として、音を使って感情を解きほぐす方法を教えていました。ローズと呼ばれる女性が、そのテクニックのモデルとなるセッションに、ボランティアとして志願しました。デモンストレーションの一環として、彼女に、体の不快な部分に意識の焦点を当ててもらいました。これは、「感情は体の特定の部分に存在することが多い」という考えからです。

 「腎臓が痛くて痛くてたまらない」と、彼女は言いました。そしてローズは、腎不全の治療を受けた病院から退院したばかりだという情報を提供しました。御想像の通り、彼女にとっては、非常に苦しい体験でした。彼女は現在、人工透析を受けており、腎臓移植の待機者リストに、彼女の名前が載っていました。

 腎臓に意識を移して、息を吐く時に音を出すように、私は彼女に指導しました。腎臓から音が出ていることを想像するように彼女に言いました。そして、自分の音を聞きながら、息を吐く時には、より深くリラックスするように伝えました。

 奇妙に聞こえるかもしれませんが、それはとても簡単なことで、すぐに彼女は柔らかいうめき声を上げました。そして、音が変わりました。最初は乳児や幼児のような声でしたが、やがて苦悩する子供の必死の叫びになりました。40代の大人の女性が、少女のように泣いている姿を見て、その場にいた全員が胸を打たれました。

 やがて彼女の叫び声は小さくなり、再び柔らかなうめき声に変わっていきました。彼女の背後に手を伸ばし、背中の下部、腎臓の辺りに触れました。ローズは目を開けました。

 信じられない思いで、彼女は私を見ました。「痛みがなくなった!」と、彼女は言いました。「痛みがなくなったわ!」

 私は彼女に、その過程での自分の内的体験を語ってもらいました。彼女は「2歳くらいに戻った」と言いました。彼女は、子供の頃の見覚えのある高い椅子に座っていました。彼女の声が腎臓に溜まったエネルギーを解きほぐすと、彼女の心は子供の頃の記憶と時間の中に戻っていきました。その頃、彼女の母親はボーイフレンドと一緒に暮らしていました。母親は仕事に出ていたので、ボーイフレンドが彼女の面倒を見ることになっていました。しかし、彼は彼女が自分に関心を向けてくれないことに、明らかに腹を立てていたようです。普通に食事を与えるのではなく、彼女に食べ物を投げつけたりしていました。このことに彼女はギョッとしました。この恐怖を、彼女はデモンストレーションの間に再び体験したのです。この幼少期の恐怖を思い出し、声に出して表現することから、肉体の腎臓はなぜか恩恵を受けていたのです。

 デモンストレーション後のクラスディスカッションで、ある人が、自分の兄が胃ガンで亡くなったことを話しました。奇妙なことに、彼の父親は子供の頃、彼をとても虐待していたそうです。酔っぱらったり怒ったりすると、息子のお腹を蹴ったり殴ったりして、「お前はゴミだ」と言っていたそうです。

 ローズの体験をきっかけに「ああ、そうだったのか」と、亡くなった兄の妹が涙ながらに語りました。彼女は、父親の怒りが何度も兄の腹部に叩きつけられているのを見ました。

 彼女にとっては、兄のガンと早すぎる死がその理由でした。

 「組織に感情が宿る」という考えは、西洋の心理学者であるヴィルヘルム・ライヒによって提唱されました。しかし、この考えはもっと古く、実は古代の鍼灸術にまで遡ります。中国では何千年も前に微細エネルギーの医学を体系化しました。その主な概念の一つに、「感情」があります。鍼灸理論では、臓器によって感情の種類が異なるとされています。例えば、肺には「悲嘆」や「悲しみ」、腎臓には「恐れ」が宿るとされています。

 この女性の幼少期の恐怖体験は、腎臓のエネルギー(「氣」と呼ばれる)を弱め、後に腎不全になる素地となったのでしょうか?それとも、この二つは関係ないのでしょうか?しかし、直接的な関係があるかどうかは別として、痛みを再体験したり、恐怖を声に出したりすることで、物理的な腎臓の痛みや不快感の感覚が軽減されたことは興味深いことです。

 私は、感情的な痛みと健康との関係について、新たな視点で考えるようになりました。さて、当時、1990年代初頭、アロパシー医学(訳注1)は、感情と健康の直接的な関係を認めていませんでした(ほとんどの場合、今も認めていません)。

[訳注1:アロパシーとは「その病気とは別なもの」という意味のギリシャ語。対立物を使って治療する。例えば、熱を下げるのに解熱剤、高血圧の治療に降圧剤というように。]

 率直に言って、このことの多くに、お金が関係していると思います。アロパシー医学は、ますます薬剤に基づいた企業になっています。大手製薬会社は、自分たちが利益を得られないような研究プロジェクトには、興味を持ちません。

 しかし、製薬会社による一枚岩の医療にもかかわらず、新しい研究分野が登場しています。それは「精神神経免疫学(Psychoneuroimmunology)」と呼ばれるもので、心(mind)がどのように健康に影響を及ぼすかを研究する学問です。1990年代初頭、この生まれたばかりの医学分野は、「精神免疫学」と呼ばれていました。言葉が長くなって発音しづらくなったのは、この分野がより立派になったことの表れでしょう。

 しかし、どのように呼ぼうとも、この医学分野では、私たちの感情生活と健康との間に、非常に明確な関連性があることを示しています。

 神経科学と心理学が協力して、これまで未踏の領域であった人間生物学を探求していくと、興味深いパターンが浮かび上がってきます。

 それが顕著に表れている一つの分野が、「ガン(cancer)」の分野です。御存知のように、先進国では、ガンが流行の兆しを見せています。この原因の多くは、食物、空気、水の有害物質による汚染の増加にあることを示す研究結果が増えています。しかし、ワシントンのお偉いさんや、あなたの住んでいる国の議会では、あまり期待できません。政治の世界ではお金の話ばかりで、今すぐに空気や水を綺麗にすることで得られる利益は多くないようです。

 興味深いのは、現在のアメリカの石油会社、いや、アメリカの現政権が、何十年にもわたって努力してきた環境保護を、事実上、一夜にして破壊してしまったことです。

 しかし、話を元に戻しましょう。私は、これを政治的な発言とするつもりはありませんでした。しかし、公衆衛生を社会的・政治的問題から切り離すことはできません。私たちの政治的リーダーたちが、手品のようなトリックを使っても、公衆衛生と環境の質が密接に関係しているという現実を変えることはできません。

 外部環境の良し悪しは、私たちの健康状態に大きく影響します。ただ、ここでは別のタイプの環境についてお話したいと思います。

 あなたはそれを見ることはできませんが、感じることはできます。それは、あなたの感情的な環境です。そして、心理療法士としてこの社会を見ていると、ミュージカル『The Music Man』の一節、「リバーシティで、トラブルが発生している。(There's trouble in River City)」を思い出します。

 私はこれを「感情のガン(emotional cancer)」と呼んでいますが、一般的なガンと同様に、これは致命的なものです。放っておけば、人生を台無しにしてしまうかもしれません。少なくとも、心理的に不自由な状態に陥り、人生の適切な選択ができなくなることもあります。より攻撃的な形態では、実際に細胞の生態を破壊し、身体的な病気を引き起こすこともあります。

 皮肉なことに、この種の感情のガンは、哲学的あるいは宗教的な信念に関わらず、靈的コミュニティで頻繁に見られることがわかりました。これには理由があって、その理由を少しお話ししたいと思います。しかし、その前にいくつかの背景を整理しておきたいと思います。

危険な瞑想
 ニューメキシコ州サンタフェに住む私の友人は、数年前、地元の健康食品店で行われた、ハーブやホメオパシーによるうつ病の治療法の講演会に参加しました。当時、彼自身もうつ病だったのですが、会場には多くの人たちが集まっていて驚きました。会場は満員でした。彼の予想では、出席者の約90%が、何らかの靈的伝統に基づいた瞑想の実践者たちでした。そして、そのうちの半数以上が仏教徒だったのです。

 あなたがどう思うかはわかりませんが、私はここで何かが間違っていると思います。そして、私はいくつかの神聖な牛を非難しようとしているので、今から言うことを非常に正確に説明します。

 一つは、私が瞑想家であるということです。実際、私は40年以上にわたって、様々な形の瞑想を実践してきました。そして、私は仏教徒でもあります。実際には、ネオ・ペイガンのチベット仏教徒であり、パートタイムの道教徒でもありますが、ここではその話はしません。ただ、これだけは言っておきます。仏教の基本的な見識は、私たちが意識と呼ぶ神秘を正確に表していると思います。

 ですから、私の違和感は、仏教や瞑想一般に対してではなく、それらがどのように実践されているかという点にあるのです。瞑想が私たちの心(mind)の真の姿に迫るために使われるなら、それは計り知れない価値を持つでしょう。しかし、感情的な真実を避けるために使われた場合、それは自己破壊的なものになります。そして、どれだけたくさんひれ伏しても、どれだけお香を焚いても、どれだけ長く正座して瞑想しても、この種の瞑想は、悟りには至りません。

 講義室が瞑想実践者で溢れていたのは、瞑想を麻薬のように使っていたからだと思われます。

 彼らは、感情的な痛みを避ける方法として、瞑想状態を利用できることを発見しました。さて、この罠に陥った瞑想者の多くは、必ずしも感情的な痛みを避けているとは気付いていません。瞑想の時間を取らないと、気分が悪くなることを知っているからです。瞑想によって得られる心の景色を楽しむことと、それに依存して気分を良くすることは別物です。

 この種の擬似瞑想は、心に鎮静効果をもたらします。感情的な痛みを鈍らせたり、(しばらくの間)軽減させたりします。これは、脳内のセロトニンレベルを変化させることによって行われます。言い換えれば、あなたは酔っているのです。脳は最先端の製薬会社をも寄せつけない名薬剤師なのです。

 脳は無数の精神活性物質を作り出すことができます。その方法を知ってしまえば、自分を酔わせることは、とても簡単です。瞑想をしている人の多くは、実は酔っているだけなのです。特に自分の神経系が作り出したものであれば、心がハイになることには何の問題もありません。しかし、これでは自分の心の神秘に迫ることはできません。自分で作り出した輪廻転生の高揚感に浸っているだけなのです。

 「輪廻」という言葉を知らない人のために御説明すると、これはサンスクリット語の「Samsara」、つまり「幻想の世界」を意味しています。仏教では、実在しないものを「輪廻」と呼びます。つまり、私が言いたいのは、瞑想中に酔った経験は、輪廻的な、あるいは幻想的な至福であるということです。それは現実ではなく、自分で作り出したものです。

 さて、ここからが厄介なところです。意識の本質は「至福」(サンスクリット語で「アナンダ(annanda)」)です。しかし、このような至福は、瞑想者が経験するアヘンのような高揚感とは異なります。菩提心(仏陀心)の至福は、広がりがあると同時に、はっきりと存在しているという性質があります。何かを避けることはありません。感情的なものも含めて、自己の全ての側面が存在しています。

 「回避の瞑想(Avoidance Meditation)」――私が作った言葉ですが――では、人は自分の感情的な痛みの経験を避けるために、脳化学のアヘンを使っています。この瞑想は、真の価値を生むものではありません。自分自身の真の体験を避けるのに役立つだけです。

 私たちは痛みを避けるのが自然です。全ての生物はこのような傾向を、生来、持っています。しかし、自分の感情的な痛みや不快感に気づかないでいると、自己認識の光が弱くなってしまいます。靈的な道を歩む人にとっては、これは忌避すべきことです。

 「回避の瞑想」は、巧妙ではありますが、感情の気づきを避けるための一つの方法に過ぎません。「スピリチュアルな人々」の間での、感情的な気づきを避けるためのもう一つのポピュラーな方法が、他者に奉仕することです。

自己認識を避けるために他者に奉仕する
 この記事では、いくつかの聖なる牛を非難するつもりだと言いましたが、もう一度、私が言っていることを明確にしておきましょう。私は、他者への奉仕が間違っているとか、悪いとか言っているのではありません。それどころか、靈的な道を歩む上で、それは非常に重要なことだと思っています。それは、神の愛(アガペー)が人間の愛(フィリオス)として表現されたものです。多くの秘教的・神秘的な伝統によると、万物の源(あなたが望むならば、それは神と呼ばれる)は、仲間の人間の行動を通してのみ、私たちにその愛を表現することができます。従って、私たちは、神にとって必要不可欠な存在です。私たちがいなければ、神はその無限の愛を、この世界で表現することはできません。

 しかし、靈的な道を歩む多くの人にとって、他人に奉仕することは、自分自身の痛みやニーズに気づくのを避けるための手段です。この戦略は通常、無意識の内に行われ、自分の隠された意図(複数)に気づくことはほとんど、あるいは全くありません。しかし、他人のニーズに焦点を当てることで、私たちは簡単に自分自身を見失い、満たされていない自分のニーズに気づかないようにしてしまうのです。

 「百聞は一見にしかず」と言いますが、ここではその一例を御紹介しましょう。中心となる人物は、彼女の友人たちから紹介されたパワフルなヒーラーでした。彼女は世界的に有名なヒーラーでした。そして、文字通り世界中から人々が、彼女に会いに来ていました。多くの人を癒してきた彼女ですが、自分自身も病んでいました。原因不明の疲労感を何度も経験していましたが、医学的な検査をしても、体に異常はありませんでした。

傷ついた癒し人
 まず最初に感じたのは、彼女の佇まいでした。彼女は非常に強い個性と鋭い知性を持った、明らかにパワフルな女性であることがわかりました。彼女はまた、自分がこの「もの」を治すことができないことに、苛立っていました。

 彼女は、私に会うようにと友人たちに勧められても抵抗していました。しかし、最近のある出来事がきっかけで、私に会ってみようと思いました。その時、彼女は疲労感と倦怠感に悩まされていました。その日の夜遅く、誰かが彼女の家に訪ねてきたのです。その人たちは、遠くから彼女に会いに来てくれました。彼らの仲間は、末期の病気と診断されていました。リリー(仮名)は、自分が疲れているにもかかわらず、夜も翌日も、この人のために奉仕をしました。

 その人は、奇跡的に一命を取り留めたのです。3人の訪問者は、この素晴らしいヒーラーに感謝の気持ちを抱いて帰っていきました。リリーは、エネルギー的には無理をしても、スピリットの願いに応えられたと満足していました。

 そして、彼女は「壁」にぶつかりました。セッションで自分の力を出し切ったことのあるヒーラーなら、「壁」が何であるかを知っています。それは、神経系に影響を与えるエネルギー的なブロックです。彼女の体は痛みました。力が抜けて、熱が出てきました。彼女は2~3日の間、世界を行き来していましたが、ベッドから起き上がることも、食事を取ることもできないほど弱っていました。この内なる旅の途上で、彼女は、自分自身との出会いがありました。彼女は、自分の仕事のやり方を変えなければ、人類への奉仕が自分の命を奪うことになると知ったのです。

 実際のところ、リリーは、「NO」と言う方法(断る方法)を知らなかったのです。彼女は、自分の家のドアに現れる人は誰でも、「靈が送ってくれた」と感じていて、彼らと一緒に仕事をすることになっていました。それが昼でも夜でも関係ありませんでした。そして、これらの見知らぬ人たちのニーズは、自分の子供たちのニーズよりも優先されるのです。リリーの子供たちはこのことに腹を立てていました。しかし、彼女はそれを、10代の子供だからという理由で片付けていました。

 私は彼女に、子供時代がどんなものだったかを尋ねました。「それが何の関係があるの?」と、彼女は尋ねてきました。彼女は、セラピストが過去に焦点を当て過ぎることに不信感を抱いていました。

「奇妙に聞こえるかもしれませんが、子供の頃の問題は、後になってから姿を現すことが多いのです。」

「私はそのようなことを、嫌になるほど、経験してきました」と、彼女は言いました。

「じゃあ、ちょっとだけ私の話を聞いて」と、私は言い返しました。「そこではあまり時間をかけないことをお約束します。ただ、家族の簡単なスケッチが必要なんです」。

 リリーは、自分が9歳の時に、母親を亡くしたことを淡々と話してくれました。彼女は7人兄弟の長女でした。そして、すぐに弟や妹たちの母親代わりになりました。彼らが病気になると、彼女は夜通しで看病していました。その時、リリーは、自分に癒しの能力があることに気づきました。どうやっているのかはわからないが、病気の人に手をかざすと、その人を元気にすることができるのです。

「だからリリー、お母さんが死んだことに罪悪感を感じたの?」

「どういう意味ですか?」 彼女は挑戦的な声のトーンで尋ねました。

「そうですね、もしあなたがお母さんの死後に治癒能力を発見したのだとしたら、もっと早く発見しなかったから、お母さんを癒すことができなかったという後悔があるかもしれませんね。」

「でも、母が死んだ時、私は9歳だったのよ!」 リリーの声には紛れもない苦悩がありました。

「わかっている、わかっているんだ。そして、あなたには何もできなかった」。私は最後の言葉を伝えるために休止を取りました。

 リリーは泣き出してしまい、三十数年の間に溜め込んだ悲嘆や憂いが大きく解放されていきました。

 数分後、私たちはさらに話を始めました。リリーは、母親のことで、認識されていない悲嘆や喪失感に駆られていたことが明らかになりました。彼女は自分の感情的な痛みを認識していなかったので、それを、癒しを求めて自分に会いに来た人たちに投影していたのです。

 彼女は、人々の世話をすることに慣れていました。何しろ、彼女は幼い頃から人の世話をしていたのですから。そして、彼女は自分の仕事が得意でした。リリーが何百人もの人々を助けてきたことは、疑いの余地がありません。

 しかし、彼女は自分自身を打ち捨てていました。他人のニーズに集中し過ぎて、自分のニーズを見失っていたのです。例えば、休息のための時間を取ることなど、です。

 この状況は、リリーの計り知れない靈的成長によって悪化しました。そう、奇妙に聞こえるかもしれませんが、靈的成長が必ずしも心理的・肉体的な健康をもたらすわけではないのです。

 彼女には、他の生き物に対する深い思いやりと、彼らを助けたいという気持ちが根付いていました。しかし、その中に自分は含まれていませんでした。苦しんでいる人がいれば、その人のニーズは、自分や自分の子どもたちのニーズよりもはるかに大きいと考えていたのです。

 肉体をまとった人間の世界では、このようなことは通用しません。人間という動物には、満たされなければならない真のニーズがあります。それが満たされなければ、肉体的・精神的苦痛という代償を払うことになります。

 リリーは自分のニーズを満たしていなかったため、その代償を払うことになったのです。彼女は、「感情のガン(emotional cancer)」の犠牲者だったのです。

 ガンは、細胞が暴走して増殖することで発生します。そのまま放置しておくと、健康な細胞を殺してしまい、最終的には宿主までも殺してしまいます。

 感情のガンも、非常によく似た方法で作用します。認識されていない感情パターンが増殖し始めます。このケースでの、リリーのパターンは、母親の死にまつわる痛みを感じないように、他人の世話をすることでした。問題は、彼女がヒーラーであることではありませんでした。問題は、彼女が、その時(母親を喪失した後)は自分の力を伸ばすのに適切でない時だと、認識できなかったことです。

 しかし、感情のガンに侵されていた彼女には、他の人のニーズがある中で、自分自身を大切にする権利も許可もありませんでした。それは、「利己的」だからです。それだけでなく、他の人が苦しんでいる時に自分のために時間を割くことは、母の死にまつわる未解決の感情と向き合うことになります。

 リリーの信念である、「犠牲を伴う靈的な奉仕活動」によって、全てのことがさらに複雑になりました。これは、地球上の私たちがずっと昔から持っている古い靈的なテンプレートです。そして、リリーはそれを自分の靈性の一部として受け入れていました。ちなみに私は、自己犠牲が崇高な行為になる場合もあると思いますが、慢性的な無意識の自己犠牲はただのバカだと思います。

 リリーは、新たに発見した洞察をヒーラーとしてのジレンマに統合する方法を模索する中で、他者のニーズに対する自己のニーズについて、より成熟した理解に達しなければなりませんでした。

 もし彼女が自分のニーズを自分自身と世界に対する見方に統合できなければ、感情のガンがやがて、彼女を殺すことになるでしょう。ここではっきりさせておきたいのは、感情的なパターンが直接命を奪うわけではないということです。しかし、それは自己破壊的な行動につながります。もしリリーが休みを取るようにならなければ、彼女は燃え尽きてしまうか、最悪、何らかの病気にかかってしまうでしょう。

 感情のガンが、実際に身体のガンになるケースもあります。最近まで、感情を病気に変えるメカニズムは解明されていませんでした。しかし、キャンディス・パート博士(Dr. Candace Pert)の研究と神経ペプチドの概念によって、この謎が解明されつつあります。

 現在の神経ペプチド理論によれば、これらの高活性の生化学的活性化物質は、細胞表面の受容体部位と相互作用します。パート博士によれば、抑圧された感情は神経ペプチドによって体内に蓄積され、記憶は神経ペプチドの受容体に蓄積されると言います。

 「身体は記憶を保持する」というのは、身体志向セラピストの長年の観察結果です。そして、この種の記憶は、何年にもわたって蓄積されます。

 数年前のプロ研修で、ある催眠術を実演したことを思い出しました。若い女性に「昔に戻ってみましょう」と提案したところ、彼女は泣き出してしまいました。彼女が落ち着いてから、何があったのかを聞いてみました。

 彼女は、7〜8歳の頃にフラッシュバックしたと言いました。ソフトボールをしていて、バットで顔面を殴られたのです。彼女の父親はチームのコーチをしていました。そして、彼女は殴られても泣かなかったことを覚えています。帰り道、父は「泣かなかったお前を誇りに思う」と言ったそうです。

 短い催眠状態の間に、彼女は殴られた時の肉体的な痛みを、まるでもう一度殴られたかのように再体験したのです。その痛みは思い出されたものではなく、物理的に体験されたものだったのです。

 それだけではなく、父親が娘ではなく息子を欲しがっていたという事実が、彼女に襲いかかってきました。彼女は、父の期待に応えようとずっと努力してきました。

 私はセラピーの現場で、何百人もの人々が過去の痛みを再体験しているのを目の当たりにしてきました。そして、この20年間の観察に基づいて、私はパート博士の理論、あるいはその何らかの形が正しかったと言えると思います。

 一般の人々は、生化学や病気のメカニズムなどにはあまり御興味がありませんが、健康でいることには関心があります。

 私がこの記事を「Emotional Cancer(感情のガン)」と名付けたのは、有害な感情は実際に病気に変わると信じているからです。ここでもう一度はっきりさせておきます。全ての病気が、所有していないネガティブな感情が原因だと、私は思っていないということです。その中には間違いなく肉体的なものもあります。しかし、その一部は感情パターンにまで遡ることができ、これは身体的なガンほどはっきりしています。

ガンの心理学
 ガン患者の心理についての研究が進むにつれ、興味深い傾向が見えてきました。

 例えば、乳ガンの女性は、心理的生活の一部として自己犠牲精神を持っていることが多いということが、多くの心理学者によって観察されています。また、彼女たちは、自分には自分のニーズを満たす権利がないと感じていることも多いようです。彼女たちは、自分のことよりも、周りの人たちのことを大切にします。自分のことは、「後回し」になっているのです。そして、多くのガン患者たちは、どんな状況であっても、出しゃばらず、「いい人」であろうとします。

 さて、免疫系の基本機能は、「自己」と「非自己」を識別することです。そのために、細胞の表面にある部位受容体をはじめとして、膨大なプロセスを経ています。

 体内にウイルスやバクテリアなどの異物が侵入すると、免疫系はTキラー細胞やマイクロファージなどの特殊な細胞を大量に送り込みます。このミクロの戦士たちは、単純に侵入者を封じ込め、破壊します。

 さて、私は感情的な自己には、免疫系に似たプロセスがあると考えています。感情の免疫機能は、自己と非自己を区別することでもあります。もし誰かが私たちにとって有害であったり、乱暴であったりした場合、感情の免疫力が私たちを、その人から引き離します。私たちは、健全な心理的自律性の感覚を持っています。私たちは独立した存在であり、彼らの虐待を受け入れたり、受け止めたりする義務はないという認識があります(訳注2:このことは、境界線の問題でもあるので、トムの「On the Nature of Boundaries (境界線の本質について)」を参照することを推奨します)。

 しかし、これは健全な感情免疫系があって初めて起こることです。感情免疫系が損傷していると、他人からの虐待や操作を受け入れてしまいます。このような場合、心理的な自律性は本来備わっておらず、虐待を受け入れるしかないと感じます。

 虐待には様々な形があります。肉体的な虐待は明らかですが、精神的・感情的な虐待は見つけにくいことがあります。しかし、身体的・精神的・感情的な虐待の有害な要素は、いずれも感情の免疫を破壊するという点で共通しています。

 ジョアン(仮名)は、皮肉にも牧師である父親から性的虐待を受けていました。彼は大きな会衆の中で重要な地位にあり、まるで2つの人生を生きているかのようでした。肉体的虐待はジョアンが12歳頃に終わったものの、感情的な虐待は続いていました。威圧的な父親は、ジョアンの一挙手一投足を支配し、彼女が成し遂げた全てのことを軽蔑しました。

 本人が言うには、ジョアンは「完璧な牧師の娘」だったそうです。いつも笑顔を絶やさず、誰かを元気づける言葉を知っていました。両親が家にいない時は、しばしば悩んでいる教区民の相談に乗っていました。

 高校から大学にかけて、彼女はとても人気があり、たくさんの友達がいました。しかし、何かが足りませんでした。彼女は自分の感情から切り離されていました。社会的な状況でどうすべきかは分かっていても、一人の時にどうすべきかは分からなかったのです。自分の感覚を奪われた彼女は、最高の女子学生クラブに入っても、それ(自分の傾向)を改善することはできませんでした。

 大学在学中、ジョアンは、2度の望まない婚外妊娠をしました。第一子を中絶し、両親を驚愕させました。再び妊娠した時、彼女は子供を産むことを決意しました。自分の決断を振り返って、ジョアンは「2度目の両親の批判(judgment)には、耐えられなかったから」と話してくれました。

 誰が見ても、ジョアンは幸せな人生を送っていました。結婚し、もう一人、子供も生まれました。少なくとも、表面的にはうまくいっていました。そして、ジョアンが40歳になった時、彼女は一連の夢を見るようになりました。その夢は、程度や場所は違えど、いつも同じテーマで、3年近く彼女を悩ませることになりました。

 (夢で)真っ黒な女が、ジョアンを追いかけてきました。真っ黒な女は、タールや暗夜の色をしていました。その女は恐ろしく、よく歯をむき出しにしてヒューヒューと音を立てていました。女はいつも同じことを言いました。「変われ!さもなくば、お前を殺す!」

 それが3年ほど続いた後、夢を見なくなりました。ジョアンは、自分で見ても、まったく変わっていませんでした。そして、2年ほど経った頃、ジョアンは乳ガンと診断されました。

 その黒い女は、ジョアンが無視していた深層意識からの使者でした。ジョアンのある部分、本物の部分は怒っていました。だからこそ、黒い人影は歯をむき出し、蛇のように唸っていたのです。無意識からの使者は、救難信号を送っていました。何かを変えなければ、人生を続けることは許されない。変えるべき「何か」とは、自分のためではなく他人のために生きてきたジョアンの生き方でした。

 懸命な治療にもかかわらず、ジョアンはこの病気にかかってしまいました。

 このケースを紹介したのは、私が「感情のガン」と呼んでいるものと、その犠牲者の強烈な例だからです。

 ジョアンの自己感覚は父親によって侵害され、彼女の感情免疫力も損なわれていました。深い感情のレベルで、彼女は、自分には周りと違う選択をする権利がないと感じていました。そして、この「感情のガン」が増殖するに連れ、彼女はますます無力感を感じるようになりました。彼女の人間関係は、ますます蜘蛛の巣のように感じられるようになりました。サイキック能力の強いジョアンは、周りの人の欲望を感じることが多いと言います。彼女は人混みを避けていました。彼女にとって、そこは相反する欲望の坩堝だったのです。

 ジョアンは、自分が乳ガンになったことを皮肉っていました。彼女は、長年にわたり、自分が世界の知られざる母親であるように感じていたと私に話してくれました。

 ジョアンは、自分の感覚とそれに伴う人生を取り戻す方法を見つけ出すことができませんでした。彼女は自分の内なる世界を変えることができず、無意識の中の暗い姿が彼女を連れに来たのです。

ガンの治癒
 ガンなどの致命的な病気を克服した人に共通するテーマは、「他人のニーズ」から「自分のニーズ」への転換です。このような心理的方向性の大転換は、莫大な治癒エネルギーを放出することが明らかです。このような変化は、癒しの神経ペプチドの分泌を促すのかもしれません。しかし、生理学的なメカニズムが何であれ、自己の真のニーズに焦点を合わせることは、癒しにつながります。

 私の友人には、何年も前にこのような経験をした人がいます。彼女は末期ガンと診断され、身辺整理をするように言われました。彼女は家に帰り、驚いている家族に別れを告げました。彼女は、自分の人生が終わるのだから、ずっとやりたかった日本訪問をしようと言いました。彼女は東京に向かいました。そして、日本やアジアの国々を訪れてとても楽しい時間を過ごし、ガンは寛解しました。

感情の免疫力を高める
 生活習慣を見直すことで、身体の免疫力を強化できることはよく知られています。しかし、感情の免疫力を高めることができることは、あまり知られていません。

 最初の課題は、自分の感情免疫系が弱っているかどうかを認識することです。健全な感情免疫系は、自分の真のニーズ(欲求[wants]ではなく)を認識する能力と、そのニーズを処理するための内的な許可を持つことに基づいています。また、自分が他者から分離した自律的な存在であることを明確に認識することも必要です。

 このことは、靈的な道を歩む人々にとって、時に問題となります。なぜなら、ハートのレベルでは、私たちは全て一つであることを認識しているからです。1つの生命、1つの意識が様々な形で存在していることがわかります。ハートの空間が活性化されると、自然と、他者とのつながりが感じられるようになります。そして、高次意識の視点から見ると、他の誰とも分離していない自分が存在するのです。

 これはその通りです。ただ、私たちの体は、他の体とは別のものであることも事実です。そして、私たちの生物学の生来の知性は、その違いを尊重することを指示します。そうしないと、私たちは病気になってしまいます。私たちの免疫系は、この取り返しのつかない自然の法則に従っているのです。

 私たちの感情免疫系もこの法則に従っています。心理的に有害な要素に気付き、それを避けなければ、肉体的にも感情的にも病気になってしまいます。

 ここまで来れば、感情のガンは、自己感覚の侵害によって引き起こされることが、明らかになったと思います。これは通常、なんらかの虐待によって起こります。肉体的・性的・感情的虐待はよく知られていますが、気づかれずに済んでしまう虐待があります。私はそれを「靈的虐待(spiritual abuse)」と呼んでいます。

 靈的虐待は、最も単純な形で、人を、自己を忘れる道へと導きます。自分のニーズが、自分よりもはるかに高いと思われる理想に取って代わられるのです。このような靈的強奪は、無数の形で現れ、どのような靈的系統も無縁ではありません。もしあなたが、自分の感情の正当性を否定したり、自分のニーズを無視したりするグループや教えに関わっていることに気づいたら、「地獄から抜け出す」ことを、私はお勧めします。

 私がこのように言う理由は、"holy"という言葉の語源が「完全にする」という意味だからです。私たちの全体性を高めるものは聖なるものであり、全体性を損なうものは不浄なるものです。感情的な気づきを育てることで自分自身を再構成するという作業は、聖なる業なのです。

 最後に、感情の免疫力を保護するには、自分のニーズに注意を払うことです。まず、自分がニーズを持っていることを認識する許可を、自分に与えなければなりません。そして第二に、私たちは自分のニーズを、日常生活の様々な要求に統合する方法を見つけなければなりません。特に、自己認識を何としても避けようとする社会では、これは容易なことではありません。

 特に「スピリチュアルなコミュニティ」では、自分の真のニーズや感情を意識しないようにという社会的圧力がかかることがあります。例えば、自分のニーズや感情に不快感を覚える人は、他人のニーズや感情にも不快感を覚えることが多いのです。

 「自分の気持ちが周りと逆になった時、あなたはどうしますか?」「自分のニーズが周りの人たちと違う時、あなたはどうしますか?」これらの質問は非常に重要であり、これらの質問にどう答えるかによって、「感情の免疫力」に大きな影響を与えます。

 自己を再認識するという聖なる業を選択した者には、それ以外の道はありません。自分自身に正直であること、そして、自己認識や正直さを阻害する世界の中で、自分のニーズを満たすための手段を見つけなければならないのです。

 難しいですが、これは、この世での、最高のゲームの一つです。

コメント

 翻訳過程で、私は何度も記事を読み、その度に、学びと氣づきがあります。

 今回の記事も例外ではありません。

 特に、私自身は、自分の感情免疫系がダメージを受けている中で成長してきましたので、この記事で扱われている事例は、自分を振り返る鏡としても読みました。

 いろいろ思うことはありますが、一つだけ、述べましょう。

 トムが、感情のガンを引き起こす要因として、肉体的・性的・感情的・精神的虐待に加え、「靈的虐待(spiritual abuse)」を挙げていることが、とても興味深く感じました。

 私自身が、所属教会でこれを経験しているので、どういうものかを、身をもって知っています。

 トムはこれを、「靈的強奪」とも呼んでいます。それは、トムがこの問題を非常に大きなことと捉えているからと思われます。

 実際、人を、その人のニーズから引き離し、損なうのですから、まさしく強奪です。

"もしあなたが、自分の感情の正当性を否定したり、自分のニーズを無視したりするグループや教えに関わっていることに気づいたら、「地獄から抜け出す」ことを、私はお勧めします。"

 私の所属教会――聖歌隊でのことですが――は、私のニーズを無視しました。

 当時、私は聖歌隊の責任者として、隊員に様々な連絡をし、練習が滞りなく行われるように心を配っていました。しかし、その負担は増えることはあっても、減ることはありませんでした。何度も、他の責任者に、負担を軽くしてくれるようにお願いしましたが、全く実行されませんでした。

 はっきりと言語化していたわけではありませんが、私はこの時、「この集団は、私のニーズには何の興味もない。早く抜けて、自分でケアしないと、私は壊れてしまう」と感じて、昨年2月、離脱しました。

 "私がこのように言う理由は、"holy"という言葉の語源が「完全にする」という意味だからです。私たちの全体性を高めるものは聖なるものであり、全体性を損なうものは不浄なるものです。感情的な気づきを育てることで自分自身を再構成するという作業は、聖なる業なのです。"

 所属教会を悪く言いたくはありまいせんが、個々人の全体性を損ない、その声を無視するなら、やはりそこは不浄な場と言わざるを得ません。

 トムは、「感情的な気づきを育てることで自分自身を再構成する」営みは、聖なる業だと述べています。

 一体、どれだけの宗教者や信者が、このことを理解しているのだろうかと、私は思います(念のために申しますが、関心を抱いている人はいますし、本の出版や研修も行われてはいます)。

 それをしっかり理解し、向き合っていれば、教会の奉仕で疲れて、教会を離れたり、燃え尽きたり、病気になる人はもっと減るように思われます。


以前の翻訳記事はこちらをご覧下さい。


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