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国葬儀の「裏付け」の実際

岸田首相が国葬儀の実施を表明

岸田文雄首相は安倍元首相の葬儀を『国葬儀』の形式で行うことを2022年7月14日の記者会見で表明しました。その際、岸田首相はその適法性について内閣法制局に見解を聞いた、確認した、調整したなどと伝えられました。

国葬には法整備が必要との見方もあるが、「内閣法制局とも調整し、閣議決定を根拠として行うことができると判断した」と語った。

時事通信 2022.07.14

「法的根拠が必要だから、法制局には何度も『大丈夫か』と確認した」。首相は14日の記者会見で国葬の実施を発表した後、周囲にこう語った。

官邸幹部らが模索した結果、内閣府設置法4条3項に着目した。

内閣法制局で裏付け作業を重ね、首相が国葬に決めたのは記者会見前日の13日だった。

産経新聞社 2022.07.17

また「首相官邸は法的根拠について内閣法制局と協議した」とも伝えられました。

つまり、内閣は「内閣法制局が良しとしたから閣議決定で国葬儀を実施できる」と「首相が判断した」というわけです。ここで注意が必要なのは、あくまでも最終的に判断したのは岸田首相であって内閣法制局ではないということです。

しかし首相からの相談に対して内閣法制局がどのように受け答えをしたのか、少なくとも、それが首相が国葬を決めた判断の根拠の一端となったわけですから、大変気になります。

そこで私は、岸田首相と内閣法制局との間で、実際にどのような協議などがあったのか、7月26日、内閣法制局に対して以下のように行政文書開示請求を行いました。

行政文書開示請求

行政機関の保有する情報の公開に関する法律第4条第1項の規定に基づき、下記のとおり行政文書の開示を請求します。

  1. 請求する行政文書の名称等
    報道によると、故安倍晋三氏の国葬または国葬儀を行うことについて、岸田内閣総理大臣は内閣法制局に見解を聞いた、あるいは首相官邸が法的根拠について内閣法制局と協議したとされているが、それら協議等の内容がわかる一切の文書

開示の経過

これはまあ、どうでもいいことですが、文書すべてが開示されるまでの経緯を書き留めておきます。

7月26日 開示請求

8月23日 内閣法制局から8月19日付の通知が届く

通知は2つ。一つ目は、以下の文書についての行政文書開示決定通知書です。

  • 令和4年度応接録のうち、「02国の儀式として行う総理大臣経験者の国葬儀を閣議決定で行うことについて」

ただし内閣法制局が開示するのは、この文書の冒頭1枚目のみ。残りの部分の開示については内閣官房と内閣府に移送されました。内閣法制局からの二つ目の通知はそれについての通知です。

8月27日 内閣府から8月24日付の「開示決定等の期限の延長について(通知)」が届く

開示決定等は開示請求があった日から30日以内に行わなければならないのですが、正当な理由があるときは、さらに30日以内に限り延長することができます。内閣府はこの規定を使って9月26日を開示決定等の期限とすると通知してきたわけです。なおその日は国葬儀を実施予定の前日です。

延長の理由は「他に処理すべき行政事務が多く、期限内に開示決定等を行うことが事務処理上困難であるため。」

こんなのが正当な理由と言えるでしょうか…

8月31日 内閣官房から8月29日付の「開示決定等の期限の延長について(通知)」が届く

内閣官房も内閣府と同じく開示等の期限を最大限に延長して9月27日としてきました。

延長の理由は「処理すべき事務が多く、開示請求があった日から30日以内に開示決定等を行うことが事務処理上困難であるため。」

定型文なんでしょうね…

9月2日 内閣法制局から請求した文書が届く

9月28日 内閣府から9月26日付の行政文書開示決定通知書が届く

延長期限ぎりぎりです。

9月29日 内閣官房から9月27日付の行政文書開示決定通知書が届く

延長期限ぎりぎりです。

10月12日 内閣官房と内閣府から請求した文書が届く

ただし内閣府は間違えてCD-ROMではなく紙で送ってきました。それについては間違えたので送りなおしますと電話で連絡が来てました。

10月13日 内閣府から請求した文書が(CD-ROMで)届く

行政文書開示請求から48日を経て、ようやく文書が手に入りました。以下にそれらをテキスト化して記します。



開示された行政文書『国の儀式として行う総理大臣経験者の国葬儀を閣議決定で行うことについて』


1. 冒頭1枚目 内閣法制局の応接録


応接録

相 談 者 内閣官房内閣総務官室、内閣府大臣官房総
      務課
担 当 者 乗越参事官、森下参事官補
相談年月日 令和4年7月12日~14日

〔件名〕国の儀式として行う総理大臣経験者の国葬儀を閣議決定で行うこ
   とについて

〔相談・応接要旨〕
 標記の件に関し、別添の資料の内容について照会があったところ、意見が
ない旨回答した。

〔備考〕
 近藤長官、岩尾次長及び木村第一部長に相談済み。


2. それ以降 内閣官房・内閣府の文書


国の儀式として行う総理大臣経験者の国葬儀を閣議決定で行うことについて

令和4年7月14日
内閣官房・内閣府

1 国葬令に基づく葬儀(戦前)
(1)一般に国葬とは、国が国家の儀式として、国費で行う葬儀のことをいう
 こととされている(小学館日本大百科全書(村上重良))。
  大正15年に制定された国葬令(大正15年勅令第324号)においては、天
  皇、太皇太后、皇太后、皇后の大喪の儀、皇太子、同妃、皇太孫、同妃、摂
  政たる親王、内親王、王、女王の葬儀のほか、国家に偉功ある者(皇族含
  む。)が薨去又は死去した場合における特旨による国葬が定められていた
  (特旨は勅書をもってし、内閣総理大臣が公告)。

※  岩倉具視、島津久光、伊藤博文、大山巌、山県有朋、松方正義、東郷平
 ハ郎、西園寺公望、山本五十六など、皇族8名・一般人12名について、 特
 旨により国葬を実施。

(2)国葬令第第4条において、葬儀を行う当日は、「国民喪ヲ服ス」こととさ
  れており、これに基づき、官庁・学校は休みとなり、歌舞音曲は停止又は
遠慮、金国民は喪に服し、国葬を厳粛に送ることとされていた。

(3)国葬令は、法律を以て規定すぺき事項を規定するものであったことか
  ら、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法
  律(昭和22年法律第72号)第1条の規定により、昭和22年末に失効し
  た。

2 戦後における内閣総理大臣経験者の葬儀
(1)戦後の内閣総理大臣経験者の葬儀に関する内閣(国)の関与について
  は、当該者の功績、大方の国民の心情や御遺族のお気持ち等々を総合的に
  勘案して、個々のケース毎に相応しい方法がとられている。
(2)具体的には、内閣(国)が関与した葬儀の形式としては、
  ①国の儀式として行う国葬儀
  ②内閣の行う儀式として行う内閣葬
  がある。
(3)その執行者について、過去の実施実績を見ると、国葬儀は国が単独の執
  行者となっているのに対し、内閣葬については、内閣に加えて、良由民主
  党、衆議院等と合同で行われている。費用負担については、良由民主党と
  合同で行われる場合(内閣葬)には、自由民主党と概ね折半している。

※ なお、御遺族が公費での葬儀を固く辞退され、葬儀の実施に内閣(国)が
  関与しなかったこともある(海部元総理)。

3 閣議決定を根拠として国葬儀を行うことについて
(1)過去、国葬儀の形式で実施された昭和42年10月の吉田元総理の葬儀に
  ついては、閣議決定を根拠として行われた。
(2)この点については、
  ① 国の儀式を内閣が行うことについては、行政権の作用に含まれること
  ② 国家の賓客として、国の費用で接待(皇居での歓迎行事や宮中晩餐等
   を実施)される国賓の招致決定についても、行政権に属するものとし
   て、閣議決定により行われていること
  ③ また、現行の内閣府設置法においては、「国の儀式に関する事務に関
   すること」が明記されており(内閣府設置法(平成11年法律第89
   号))第4条第3項第33号)、国葬儀を含む「国の儀式」の執行は、行
   政権に属することが法律上明確となっていること
  ④ 国費をもって国の事務として行う葬儀を、将来にわたって一定の条件
   に該当する人について、必ず行うこととするものではないこと
  から、閣議決定を根拠に国の儀式である国葬儀を実施することは可能である
  と考えられる。

(参考1)参照条文

〇 国葬令(大正15年10月12日勅令第324号)

第一篠 大喪儀ハ國葬トス
第二篠 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及攝政タル親王内親王王女王ノ喪儀ハ
 國葬トス但シ皇太子皇太孫七歳未満ノ殤ナルトキハ此ノ限ニ在ラス
第三嫌 國家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコ
 トアルヘシ
二 前項ノ特旨ハ勅書ヲ以テシ内閣總理大臣之ヲ公告ス
第四篠 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廢朝シ國民喪ヲ服
 ス
第五篠 皇族ニ非サル者団葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ内閣總理大臣勅裁ヲ経
 テ之ヲ定ム

〇 昭和二十二年法律第七十ニ号(日本国憲法施行の際現に効力を有する命令
 の規定の効力等に関する法律)

第一条 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定
 すべき事項を規定するものは、昭和ニ十二年十二月三+一日まで、法律と同
 一の効力を有するものとする。

〇内閣府設置法(平成11年法律第89号)

(所掌事務)
第四条 内閣府は、前条第一項の任務を達成するため、行政各部の施策の統一
 を図るために必要となる次に掲げる事項の企画及び立案並びに総合調整に関
 する事務(内閣官房が行う内閣法(昭和二十二年法律第五号)第十二条第二
 項第二号に掲げる事務を除く。)をつかさどる。(以下略)
2 (略)
3 前ニ項に定めるもののほか、内閣府は、前条第ニ項の任務を達成するた
 め、次に掲げる事務をつかさどる。
 一~三十ニ(略)
 三十三 国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること
  (他省の所掌に属するものを除く。)。
 三十四 迎賓施設における国賓及びこれに準ずる賓客の接遇に関すること
 三+五~六十ニ(略)

(参考2) 故吉田 茂の葬儀の執行について(昭和42年10月23日閣議決定)

1 葬儀は、国において行ない、故吉田 茂国葬儀と称する。

2 葬儀に関する事務をつかさどらせるため、葬儀委員長、同副委員長及び同委員
 を置く。
  葬儀委員長は内閣総理大臣とし、間副委員長及び同委員は内閣総理大臣が委嘱
 する。

3 葬儀は、昭和42年10月31日日本武道館において行なう。

4 葬儀のため必纂な経費は、国費で支弁する。

(参考3)国賓及び公賓並びに公式実務訪間賓客の接遇について(昭和59年3月
  16日閣議決定)

近年の国際関係の緊密化に伴い、外国に賓客の来日が頻繁となっていることにか
んがみ、これらの賓客を適切に接遇するため、国賓及び公賓並びに公式実務訪間賓
客の接遇について、次のよ引こ定める。

1 外国の元首又はこれに準ずる者を招へいする場合には、これを国賓として接遇
 することができるものとし、国賓として接遇することについては、外務大臣が宮
 内庁長官と連絡の上、その請議により閣議において決定する。
2~7 略



所感

驚くほど中身がありません。

まず相談した側の内閣官房・内閣府の文書は、要するに

  • 吉田元総理の葬儀は閣議決定を根拠として行われた

  • 国の儀式を内閣が行うことについては、行政権の作用に含まれる

  • 内閣府設置法に書かれている「国の儀式に関する事務に関すること」から、国葬儀を含む「国の儀式」の執行は行政権に属する

したがって安倍晋三の葬儀を国葬儀の形式で行い国費を支出することを閣議決定で行えるのだという、これは内閣がとにかく模索を重ねて無理矢理ひねくり出した理屈を並べたに過ぎず、相談でも調整でも協議でもありません。

順番に細かく見ていくと、まず、吉田元総理の葬儀が閣議決定で行われたから今回もそれで良いのだ、という理屈は、それだけでは通りません。その理屈は、吉田元総理の葬儀が閣議決定で行われたのは合憲であり当時も適法だったという証明があって初めて成り立つことです。その証明が無いので、この主張は意味がありませんし、その理屈は今の世でも通用するものでなければなりません。

次に、国の儀式は行政権の作用に含まれることでしょうが、国葬儀は「国の儀式」として認められているでしょうか。否です。国葬儀が国の儀式であるという根拠が欠けています。

ですから、次にそれを内閣府設置法とからめて『国葬儀を含む「国の儀式」』と言ってしまっているのは、まったくもって、詐欺的です。

さて、この妙ちくりんな考えについて照会された内閣法制局ですが、それに対する返答は「意見がない」。それだけでした。これはどういうことでしょうか。内閣法制局としてはその内閣の考えについて(首肯しないけれども)反論も無いということで内閣に忖度したということでしょうか。真面目に精査することや審議することは放棄したようにも感じます。

とにかく、報道からは岸田首相は内閣法制局と密に協議や相談をし、内閣法制局のお墨付きを得たかのような印象でしたが、どうやらそうではなかったようです。一部の報道にあったような「裏付け作業を重ね」た様子もうかがえませんでした。

この国葬儀の問題について、国民の代表であり国権の最高機関である国会での論議は行われず、9月8日に行われた閉会中審査においても、大前提である国葬儀が国の儀式であるという根拠や、費用を予備費から支出する正当性など、もっとも根本的なことについて、まったく審議されなかったのは、とても残念です。


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