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コトー先生の禅問答

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映画「Dr.コトー診療所」(主演 吉岡秀隆)

〽まだ飛べない雛たちみたいに/僕はこの非力を嘆いている

ラストは中島みゆきの名曲で、なんだか誤魔化されたような気分である。あの大騒動はどうした? その後は万事上手くいきました──ってこと? あの曲の物悲しくも勇壮な旋律が、まあそれもアリか、と思わせてしまう。

島は束の間の平穏を取り戻したかもしれないが、根本的な解決は何ら図られていない。だから、次の嵐が来れば同じことを繰り返すのだろう。次はすべてが上手くいく保障など何もない。

あの東京から来た若い医師が言ったことは正鵠を得ている。Dr.コトー個人の力と善意に寄りかかるのではいずれ破綻する──、それは火を見るよりも明らかだ。だが、そんな正論は百も承知なのだ。それでも、そうせざるを得ないという離島医療の限界もまた現実なのである。

閑話休題。ここでは途中、コトー先生がタケヒロに投げかけた言葉を考えたい。

「医者じゃないから人を救えなかったって、本当にそう思ったなら……、良かったよ。君が医者にならなくて」

私はこの言葉の意味をとっさに理解できなかった。いや実は、今でもよくわかっていない。なかなか哲学的で意味深長に思える。禅問答のようだ。

タケヒロは島の皆の期待を背負いながら、大学医学部入学するも成績不振で奨学金を打ち切られ、退学に追い込まれる。そうした中、バイト先の病院の医療ミスを目の当たりにして、医者でない自分の無力さを痛感していた。

分解して考えよう。まず前半の「医者じゃないから救えなかった」というのは、裏を返せば「医者だったら救えた」ということだ。あるいは「医者じゃないから救えなくて当然だ」とも聞こえる。いずれも逃げのように思える。所詮言い訳だ。

後半の「君が医者にならなくてよかったよ」は、そんな逃げ口上を用意するような人間は医者になるべきではない、ということだろうか。実際に嵐の夜、タケヒロは医者でなくてもやれることは一杯あることを学ぶ。

それともこうかもしれない。医者だって救えないことも多々ある。「医者だったら救えた」と考える人間が医者になれば、医者なのに助けられないという現実に苦しむことになる。だから、「医者にならなくてよかった」と言ったのか──。

皆さんはどう思いましたか?

画像引用元 ぴあ映画

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