見出し画像

『増補 広告都市・東京』

p.61 ふたつの街メタファー
第一には、西武百貨店パルコといった箱の内部を街のように演出していくこと

第二には、ハコ・建造物が置かれた都市空間(街)を西部パルコの広告空間として再編成していくこと

p.67 パルコ、東急による渋谷展開は、都市に広告を出す旧来の屋外広告の方法と異なり、「都市広告にする」という新たな都市と広告との関わりを作り出す試みであった

p.68 投資そのものが広告であり広告でないものが存在しないようなジーヘヴン的空間。そこでは歩く人のファッションも含め、本来パルコと無関係なものまでもパルコの舞台装置(広告)となってしまう

p.70 80年代は、「日常性からの脱出」が演出され人間性を蘇らせる装置としての都市空間が、アドバタイジングの前衛的な舞台として発見創出されていくそんな時代だった

p.118 ザッピングするまなざし。ポスト80年代的なまなざしを特徴づけている最大の特徴は、都市を文学作品やテレビドラマのように読むのではなく、むしろCF(最も広告らしい広告)のように見流すと言う態度である。

広告都市の基本操作とは、「点(店舗)」、「線(通り)」、「面(都市)」化しつつ、人々の歩みに回遊性を持たせていく。
つまりCFをフローとしての番組の中に溶かし込んでいくようなものであった。

そのようなまなざしを都市が受け止めたとき、広告が都市へと同一化するのではなく、都市空間のほうがCF化するという逆説が生じてくるだろう。

p.136 アーヴィン・ゴッフマン。近代都市(通勤電車や駅のホームなどの領域)における基本的なふるまいの作法は、物理的に近い他人に対して儀礼的無関心を装うこと。つまり、居合わせた他者にかかわらないことを示すことであった。
儀礼的無関心は、公私領域の境界線が流動的で、伝統的な地域共同体から離脱し、家庭や友愛関係という親密圏と、職場学校という公的空間とかが分断された近代社会における生きる人々が身に付けた新たな身体技法である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?