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心に響く歌は、風景が見える

先日、「ライスボール」の秋の音楽収穫祭がYouTubeで配信になりました。アーカイブは、10月10日までなので、もうそろそろ終わってしまいます。

「ライスボール」を含めた4組のアーティストが、無料で約3時間も歌ってもらえるという豪華なものでした。
全く違った4組のスタイルも、なかなか飽きさせない仕上がりとなったのではないでしょうか。
これが一週間で無くなってしまうのは、非常に残念ですね。
もしかしたら、シーズン毎に配信してくれるかもしれないので、冬に期待しましょう。


そして、これを観て感化されたのかもしれませんが、やっぱり、「村下孝蔵」さんを思い出してしまいます。
最初は、秋だからかなって思ってたんですけどね。

以前、勢いで「村下孝蔵」さんをちょっと紹介しましたが、その後、DVDを鑑賞していました。
やっぱり、「村下孝蔵」はいい!!って思ったので、今回、「村下孝蔵」さんについて書きます。つうか書かせてください。いや、書きます!(笑)


まず、「村下孝蔵」さんの映像作品は数少ないのですが、このDVDさえ見てもらえれば、「村下孝蔵」という人をわかってもらえるのではないでしょか。

このDVDの中にインタビューが盛り込まれているのですが、歌についていろいろ語っているので、今回は、そのコメントを使って「村下孝蔵」さんを紹介したいと思います。
インタビューは、読みやすくなるように少しアレンジしています。本人の生声で聞いた方が心に響くかもしれませんが(笑)

さらに、もうちょっと余裕がある人は、村下孝蔵さんの生涯を知ることができるこちらのDVDもおすすめです。


まず、村下孝蔵とは

熊本県水俣市出身、昭和28年2月28日生まれです。
プロになるため、昭和48年(19才)に広島フォーク村を訪れました。

広島フォーク村とは、1968年11月、広島市の3つのフォーク団体が、合同で結成したアマチュアフォークサークルで、日本のフォークの源流の一つです。

昼はピアノの調律、夜は弾き語りのアルバイトをしながら、「ひとりぼっちの雨の中」というレコードを自主制作しました。
広島に来て6年後、「それぞれの風」というアルバムも自主制作しました。

そして、このアルバムが認められ、プロの道へ進むことになりますした。

1980年5月21日に「月あかり」で念願のプロデビューを果たしました。

広島に居ながら、リリースを重ね、やがて全国的に注目を集め、翌年に、セカンドシングル「春雨」、アルバム「何処へ」を発売しました。

作詞には、綺麗な日本語にこだわっていたそうです。

抜群のギターテクニック、伸びのある歌声、郷愁を感じさせる歌が特徴的ですが、その裏側では、頑固なまでに自分の身を削り、妥協せず、歌人うたびとの道を歩んで来た人でした。

1999年6月20日東京駒場のスタジオでリハーサル中に突然倒れ、同24日、享年46才の若さで生涯を終えました。


次から、インタビュー内容です。


日本の美しい風景を大切に歌っていきたい

僕の歌の中には、いろんな日本の景色が出てきます。
まず一つは、僕の故郷ふるさと。その故郷への想い。中学校までその故郷にいたんですけど、その場所へ二度と帰ることがない、そういう寂しさもありまして、そうやって故郷を思い出しましてね。自分が子供の頃遊んだ、駆けずり回った野山をどうにか自分の歌の中に入れられないかなと思って、書いたりします。
そして、コンサートで全国を回ると、本でしか見たことのないような場所に、バッと出合ったりします。その時に、これは絶対に自分の歌の中に入れて、自分を主人公にして、何か残しておきたい。まるで映画の一コマみたいな、そういう形で自分のたった3分ぐらいの曲なんですけど、その中に入れ込んで、自分の思い出として、その日本の情景を入れます。
皆さんがよく、村下の曲には、日本の風景が見えるっていうのは、その辺にあるんじゃないかと思います 。


作曲は、こんな風にして・・・

僕が、作詞作曲を始めたのは、中学校2年ぐらいからなんですけど、それからも180曲ぐらいの曲を作っています。
曲ができる時は、瞬間的にハッて閃くもので、ずっと机に向かって考えたからできるというんじゃなくて、今まで作った曲というのは、何かをしながら作った曲が多いです。
例えばお風呂に入りながらとか、歩きながらとかです。時にはご飯を食べながらというのもあります。
そうですね、僕の曲で「踊り子」という曲があるんですけど、それはですね、旅先でお風呂に入った後、リラックスして、水割りでも一杯飲もうかなとか思って、そしてギターを取り出して、ポロンと弾いた時に、「ダラララララー」っていうフレーズが出てきたんです。「あ!これはいいや!」と思ってこのフレーズをぜった忘れないようにと思って、一生懸命ラジカセを探して、そのフレーズを録音して、持ち帰った思い出があります。
曲でもですね、追い詰められて書く場合と、自分で本当に書きたい、例えば、テレビのドラマなんか見てて、可愛い女性が出てた場合に、「あー、こういう子を歌の主人公にして、自分と歌の中だけでも恋愛をさせてみたいな」とかですね、そういう気持ちになって、カーっと盛り上がった時に、その恋心がエネルギーになって、ドンと一気に書かせる場合、いろんな場合があります。
みなさんもですね、テンションを上げて、まぁ、テンションあげるか、リラックスしたらいいのかな?曲を一曲書いてみたらどうでしょうか。


幼い頃は、映画音楽がいつも流れていた・・・

昔、家が映画館だったものですから、生まれた時から映画音楽、そして、ある程度物心がついて、いろんな映画を見たりしました。ですから、今までもういろんな映画を見てるんで、色んな映像、そして、音楽が僕の頭の中に入ってます。
それで、曲を作ったりする時に、それがですね、ぽろっぽろっと、いい形になって僕の作曲のお手伝いをしてくれたりするわけですけど。
まあ、いろんなアイドルが僕にもいました。
その中でも一番に影響を与えたのは、僕が中学校1年の時に見た加山雄三さんの「エレキの若大将」という映画です。それがエレキギターを弾くきっかけになりました。


ベンチャーズが好きだった少年時代

僕は、ベンチャーズが好きで、自分の仕事が終わって、家に帰って休みが続くと、つい、テケテケテケとかですね、ベンチャーズサウンドで楽しんでます。
僕がベンチャーズを知ったのは、1963年、小学校5年の時で、昭和38年の頃でしたね。ラジオからベンチャーズの曲が流れてきた時に、なんか稲妻に打たれたような気持ちになりました。
その当時、ベストテンチャートには、ビートルズのプリーズプリーズミーとか、そうですね、ペギーマージとか、いろんな人が流れてましたけど、インストでそういうベストテンの中に1、2曲あるのもベンチャーズぐらいで、「これはなんか男を感じるようなサウンドだな」と思ってました。
それで、ベンチャーズの曲も沢山聞いて、一時期ベンチャーズのレパートリーを5、60曲やってまして、今でも弾いてます。
これを当時、同級生四人集まって、あなたはドラマー、私はリードギター、あなたはベース、あなたはサイドという風に分けまして。その頃の分け方っていうのは、やっぱり一番ギターの上手い人がリードギターになります。ですから僕が一番上手かったんで(笑)
他の人がドラム、ドラムと言ってもドラムも持ってない、そしてベースギターといってもベースギター持ってないですから普通のギターに弦を4本張って、ただ簡単に、デンデン弾くぐらいで、まあそういう楽しみですね、そのグループが集まってベンチャーズの話をする、そして夢を追いかけるっていう、そういう思いでした。


デビューしてから15年が過ぎた感想

おかげさまでデビューして15年経ちます。
僕がデビューした時は、15年もやれると思ってなかったし、デビューして1、2年で、また、昔の仕事に戻るんじゃないかなとふうに思ってました。昔、僕は、ピアノの調律の仕事してたんですけど、それはどうでもいいかあ、あのー、それでですね、1年1年ずっと積み重ねて行って、僕にとっては、その一つの通過点にしか15年は思ってないんですけど、これから先もですね16年、17年とずっとやっていくつもりですけど、15周年のちょっと思い出をですね振り返ってみれば、最初デビューした当時は、はっきり言いまして、アマチュアの時の方がかっこいいな、そういう風に思いました。
最初の仕事っていえば、お祭りのですね、ちっちゃいステージとかでしかやれないし、アマチュアだったら絶対やらないようなステージですね、その時に、一つ勉強になったのは、アマチュアは、ただ楽しみながらカッコ良くやる、だけどプロは、レコードを実際に売らないといけないんだ、売れる曲じゃないといけないんだ、そして今まで先輩方がたくさんいるんですけど、レコード店に並ぶと、もうライバルだと、そういう気持ちでやらないといけないというのがですね湧きました。
けど本当に、15年間の間にいろんな人に出会いましたし、サラリーマンだったら絶対に行けない街、そして会えない人、この業界にいないとできないこと沢山ありました。まあ、これからですね16年17年18年と、ずーっと積み重ねて行けたら、本当に声が出なくなって、指も動かなくなるまでですね、ずーっとこの世界で頑張ってまた自分の本当に好きな曲をやり続けていきたいなと思います。


以上、インタビュー内容でした。


「村下孝蔵」という歌人うたびとを今まで知らなかった人は、この人のことを頭の片隅にでも知って欲しい。そして、知っている人は、これからも忘れないでいて欲しい。そして、「村下孝蔵」という遺伝子を少しでも受け継いだ人達が、世に出て活躍して欲しい。
という願いを込めて終わりにしたいと思います。

最後に、この曲をどうぞ。


最後までご覧いただきありがとうございましたm(_ _)m

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