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あせりといのり

慌ただしさ、あらゆるところでラリーをつづけた困憊、止まらない「あれもやんなきゃ」から逃げるように入った喫茶店。

店内は穏やかなBGMが流れ、奥からは店主の声だけが聞こえる。
「いらっしゃいませ」

美容室の帰り。買い物を済ませてすぐに帰路につくことも考えた。いや、ここに来ることは心の奥で願っていた。
あらゆる喧騒から逃れられると知っていたから。

それに、15時というへんてこな時間でも、ここは食べるものがある。
ドライカレーとアメリカンを頼んで、お手洗いへ(行きそびれていた)。

トイレに掲げてある詩に、目が止まる。
いつもはそこで黙読をし、じんわり心にとどめているが、この度のわたしのあわてっぷりはすごい。
すこしでもこの店の落ち着いた雰囲気を持ち帰りたくって、写真を撮らせてもらう。

席につき、出てきたドライカレーをいただく。
空腹だったので、ものの5分で完食した。

ていねいに淹れられたアメリカンをいただく。
ミルクと砂糖がついている。
「あ、ブラックでいただくので結構です」
が言えなかった。このところ、言いたいのに言えないことが増えている。

ミルクと砂糖を脇によけ、持参した本をしばし読む。すぐに物語の世界に没頭し、ときにニヤニヤ。

アメリカンを飲み終わり、そろそろ行くか、と立ち上がる。

店主は年上の女性で、以前わたしが着ているセーターを褒めてくれたことがある。
「これは、祖母の姉が編んだセーターです」
御礼をしながらそう伝えると、
「ですよね。すごく素敵」
と言ってくれた。

今回は、店主とのそういったやりとりはなかった。
領収書をもらって、簡単な挨拶をして店を出た。

もしかしたら、わたしの焦りが伝わっていたのかな。
あわてた3月、詩を味わう時間も抱きたい。

最上のわざ  〈ホイヴェルス神父〉

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことの故郷へ行くために。

おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神様は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と。

『人生の秋に』より

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