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なんのために書いてた?


2021年はnoteを毎日欠かさず更新していた。毎日更新が途絶えたのはいつだったか…きっと、「僕は写真でやっていきたい」と決めた時からだと思う。

でも、写真は本当に文章の代替になったのかというと、それは怪しい。僕は写真で自己を表現したいとかそんなことは考えていなく、ただ綺麗に撮れたやつをみんなに見せたいという気持ちだけでSNSに投稿しているからだ。

じゃあなんで文章を書かなくなってしまったのか…。

思うに、僕は自分で自分の文章を心の底から好きと言えなかったのだ。口では「僕は自分の文章が好きだ」と言いつつ、心のどこかでこんな支離滅裂な駄文を読んでくれる人がどこにいるんだろうと投げやりな気持ちでいた。

なんのために書いてた?

それを見つけるために書いてみた。僕の文章をお世辞だとしても好きだと言ってくれる人がいるのが嬉しかった。いつかの自分と真逆のことを言っているかもしれないが、自分のことなんてフル無視で、誰かのために僕は文章を書いてもいいのかもしれない。

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ブログみたいに写真を文章の合間にはさんでいくのも考えたけど、やっぱり僕は文章は文章で、写真は写真で見てもらいたい。でもツイッターだけじゃなくたまにはnoteにも写真は載せたい。折衷案として無言で3枚載せておきます。本当は愛してやまないモノクロ写真です。SNSではあまり望まれていない気がして載せるのを渋ってしまうので、僕は弱い人間です。モノクロだって好きって言ってくれる人はいるし、適当にやればいいのにね。

僕は青を現像するのが好きで、パラメータを青に振っている時はかなり楽しいんだけど、それを一切禁じる海のモノクロ写真。縛りプレイ…とは違うか。モノクロには、余白を想像する儚さや、禁じたところから滲み出てくる汁みたいな美徳がある。なんでこんなキモい例えしか出てこないんだよ。

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書きながら、ヤマトのクール便を再配達依頼したにも関わらず、それを忘れて指定した時間に出かけてしまっていたことを今思い出して最悪な気分になってる。配達員の方、ブチ切れていただろうな。本当にすみませんでした。再々配達にペナルティってありますか。

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