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memento mori 今を生きる為に死を思う

メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「死を記憶せよ」「死を想え」[1]などと訳され、芸術作品のモティーフとして広く使われる。(WIkipediaより引用)

人という生き物は不死ではありません。いつか必ず死にます。どんな名誉や名声を得たとしても、死んでしまいます。なんと悲しいことでしょう。

どの時代の人間も死について考えてきました。死は恐ろしいことです。死んでしまったら自分はどうなてしまうのだろう。死んだ人にそんなこと聞けません。だから一切の情報がありませんよね。誰にでも訪れるコトなのに、確かな情報が一切ないというのは面白いです。

いつか死んでしまうなら、せめて生きている間は・・・という考えから生まれたのが「メメント・モリ」です。


メメントモリとは

最初にこの言葉が生まれたのは古代ローマ。「将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われた」と伝えられている。将軍の後ろに立つ使用人は、「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担当していた。そこで、使用人は「メメント・モリ」と言うことによって、それを思い起こさせていた。(Wikipedeiより引用)

最初に使われていた意味はこうでした。常に成功に向けて努力する為に、一時の成功に浮かれないようにする。なんとストイックな将軍だろうか。

しかし、将軍がそう使ったとて、周りは違う意味で捉えられていたようですよ。「いつか死んでしまうからこそ今を楽しめ」という意味で使われていた事が多く、将軍が使われていたモノとは対極にあったのです。同じラテン語の「nunc est bibendum」という言葉と意味が似ています。これは「今は飲むときだ、今は踊るときだ」という言葉です。さらにいうとラテン語の「carpe diem」(今を楽しめ)という言葉と類似してます。「カーペディアム(小声」

またキリスト教でもメメントモリの解釈は違うんですね。現世で得を積み、正しくあれば、死後、天国へいける、と考えられているキリスト教世界。そこでメメントモリは現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、天国ではそれらは全くの無意味である、ということを表しました。「nunc est bibendum」とは正反対の意味ですね。

とまあ様々な意味合いのメメントモリを挙げましたが、どれもベースには「いつか死ぬから今」が含まれるわけです。

かつてスティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の卒業式のスピーチでメメントモリについて語りました。

私は17歳の時にこんな言葉に出会いました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」 それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
その答えが何日も「NO」のままなら、ちょっと生き方を見直せということです。

ここでいうメメントモリは今自分がやりたいことをしろということですね。


メメントモリは良い警句ですね。寿命であれ、交通事故であれ、病気であれ、戦争であれ、人はいずれ死にます。もし自分が2週間後死ぬとわかっても、自分がやりたかったデカイ夢を達成するには遅すぎますね。だからこそ今を楽しく、一生懸命生きろと、毎日自分に言い聞かせたいですね。


しかしもし、未来に不死になったり、恐ろしく寿命が長くなったらどうなるでしょうか。世界からありとあらゆる病気がなくなり、限りなく安全になり、争いがなくなっり、人が5000年ぐらい生きれるとしたら。クローンが合法化し、ルパン三世のマモーのように、永遠に生き続けたら。死はどんな意味を持つのでしょうか。

2時間で大阪に着いてしまう新幹線は格安になり、1年かけて大阪に着く新幹線が人気になるかもしれませんね。恐ろしく長い寿命の暇が潰せますから!

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