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ジョン・ケージと自閉症児との関係

私の娘は音に敏感である。
これは所謂自閉症児の特性、感覚過敏の一種と呼ばれている。
とは言っても、大きな音に驚いたりするタイプではない。ドライヤーや掃除機や工事現場の音を嫌がったりはしない。
だけど自分が聞きたいタイミングじゃないときにある音楽が流れてくると、「今じゃない!違う!」という風に泣き喚いて癇癪を起こす。それが子供向けの手遊び歌であってもだ。
(こう書くと、聴覚過敏というより聴覚のこだわり、という方が適切な表現なのかな…)

そんな娘はよく音を奏でている。
爪で、だ。
自らの指先でいつも何かを爪弾いている。
特定の楽器ではなく、そこにあったものを。
例えば絵本の表紙。
それも少し分厚いやつ。弾くとカツカツ、と小気味良い音がする。ちなみに中身は読まない。娘にかかれば絵本は打楽器になる。
そんな様子を見て私はある偉人を思い出す。

ジョン・ケージ。
20世紀を代表するアメリカの前衛音楽家である。
1番有名なのは「4分33秒」という、その名のとおり4分33秒間何も演奏しない、沈黙をテーマにした楽曲だ。これを楽曲というのだから、かなりぶっ飛んだオッサンだ。
しかし、いざ「4分33秒」を聴いてみると、そもそも「沈黙」を聴くという行為自体が特異なもので、「沈黙」とは果たして?という気付きがある。楽器の音色以外のあらゆる環境音がくっきり際立って聴こえてくる。ある意味これは軽い瞑想体験であり、禅世界だ。
彼は他にもピアノの鍵盤の蓋を閉めて、蓋を打楽器のように叩いて演奏する楽曲がある。
ピアノのアイデンティティをぶち壊してる。

その行為が娘と重なった。
いや、絵本読んでないじゃん。絵本の存在意義よ。絵本は楽器じゃない。

…本当にそうなのか?

ピアノの蓋を閉めて打楽器にしたジョン・ケージに想いを馳せる。そんなガチの天才とうちの娘を並べて語る気は更々ないが、ガチの天才は世界を純粋な子供のような視点で見ているからこそ凡人に出来ない発想が生まれる。その視点は近しいものがあるのではないか。と感じたのである。

「うちの子、ジョン・ケージみたいだわ。天才!」
と思えるくらいの能天気さも持ち合わせないと正直障害児育児は辛いものがある。半分冗談で半分本気でそんなことを呟ける心の余裕くらいは持っておきたい。
(夢がないとつまんないじゃんね、なんでも)

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