ラッキーな星の下

私は農業を営む父方の祖父母と漁業を営む母方の祖父母に溺愛されて育ったため、テレビのリポーター並みの労力で旬の美味しい食材にありついて生きてきた。テレビのリポーター並みとはどの程度かと言うと、畑の横のビニールハウスにひょこひょこと入りトマトやナスを家に持って帰れるぶんだけもぐだとか、祖父が取ってきた魚を祖父がさばくところを祖父の解説を聞きながら見る、とかその程度である。リポーターより視聴者に近い。

土にもまみれず、磯臭くもならず、いわば本当に美味しいところだけを頂いてきた子どもだったのだ。今頃になってだが、なんてラッキーな星の下に生まれたんだろうと思う。特に大変な思いをせずにとびきりの美味しいをたくさん刷り込ませてもらった。

大学入学を機に青森の実家を出て、関東圏で一人暮らしをするうちに料理が美味しかった思い出は増えた。サークルのみんなで食べたジンギスカンや彼氏との旅行で食べたプチ懐石、友人とたわいもない話をしながら食べたパフェ。

しかし「トマトって美味しいなあ」のような、食材が生々しく美味しかった思い出は祖父母含む家族とともにある。実家で生活をし、祖父母宅に今より足繁く通っていたあの頃にしかない。今はたまにの帰省の際にその思い出を反芻しているが、社会人になったことで、その機会も期間も限られてきている。

いつか味わえなくなる日が来る。来てしまうのだが、美味しい思いをできたことや、家族との思い出にリンクして覚えた味は頭の中で再現できなくなったとしても、わたしの財産である。

それでもまるっきり思い出せないのは悲しいので、忘れないうちに食材と家族の美味しい思いをたくさん綴っておこう。


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