真理内部に形成されていく世界(分かれたる世界、迷う道すがらに何を見るのか…。)
分かれたる世界
世界は全てを統べるであろうたった一つの概念から生まれた、
性質や概念は別れる、
上という概念は天を生み出し、
上というベクトル的性質は、上昇へと変化し、いくつかを経て火を生み出したものように、
元となっていた概念はあらゆる分割された同質の特徴の源を充分に抱え込んだ状態で神という空間にその存在を宿していた。
空間は加算された次なる次元において細胞分裂の如く分割される事であらゆる神を生み出す。
創造主が聖と邪を分け、この経緯を持ってしてあらゆる物事を連鎖的に分割する世界が生まれていったようにだ。
二元論の過ち
この二元論において気をつけなければならない事がある。
通常その性質から
聖、上、生、+、陽、北、右、表、男、頭と纏める一方
邪、下、死、ー、陰、南、左、裏、女、足と纏められる。
これまであったこの二元論的纏まりは正常と言い難い、
時代によって、男性を正しいものとして受け入れた挙句暴力が正当化されるに至った経緯。
物質的な話で言えば順化における有害物質への耐性、
微生物然り、それそのものの存在という物の性質が他の存在にとって完璧に適応されない事など生物界ではザラにある。
それとこれとは違うとおっしゃりたいか?
いや、実際は何も違わないのだ、
完璧に何らかの理由により分断されたものは、
やはり完璧に何らかの原因に委ねられるものであり、
その原因をより完璧にでも紐解こうとするならば、
過ちを示唆する可能性があるとも呼べる既存の規定を疑うことの方がまだ正常とも呼べる。
人は二元論における項をそのまま隔たらせ取り扱う危険性をそろそろ認識した方が良い。
存在そのものを容易に分断出来るほど我々は何も知らない、(どれとどれが同じグループかなどそもそもわかったもんじゃない)
勿論それぞれの項はその関連性とその結果において、
あらゆる善悪などを表出させはするが、
その善悪ですら本質的には容易に審議を許すものでもない。
である以上我々は物事をもっと慎重に見定めなければならない、大衆になど流される事など本来言語道断であり、ただくだらない充足感に溺れているに過ぎないのだと私は思う。
このように全ては分断され、ベクトルを増やし、概念は分裂し、今あるすべての空間を埋め尽くしていった。
神の分類
現在の状態として混乱しうる言葉の一つに神という言葉がある。
この神というものは、本来この分断の歴史において、
存在していったものに過ぎない。
例えば、とある神話
天を司る神、地を司る神、その子である風を司る神などはこうして分離した中で産まれていく。
つまりこの考え方で言うなら
分断された概念の中に存在を始めた性質が神となったと解釈するわけだが、
セフィロトなどもこの手法に位置する物を表現している。
細かい事を言うなら、
それぞれに生み出されていく神は全てそれぞれの多種多様な概念と性質をすり合わせて造られる故に、
土着の特有な神も存在し、念を注ぎ神として奉りそれを拝めばそれはそれ相応の神という力を持ち存在を始めるのだ。
しかし此処で理解しておかなければならない事があるとするなら、
この神というジャンルには消滅する神とそうでない神が存在する。
正統な神の系譜として存在する神はその存在は永遠であるが、
他のベクトル(念)から生み出された神なるもの、神として扱われたものに関しては、消滅する特徴を持っている、また念の強度によりそれそのものが自らを完全に神だと思い込むという状態にまで発展する。
分類と特徴
また神格に関して言えば、それらはそれぞれの概念の形状から生まれていることもあり、言語理解、言語利用などによる分類がある。
簡単にいうならば、念などにより生まれたわりかし新しい神ほど、言語に精通し、言語理解を示すなどの特徴がある。
一方で、より根源的な概念により生み出されたものは、主には知覚に訴えかける事が多く、その特徴からより抽象的な印象を受ける。
伝達手法にはインスピレーションや、幻視などが多く、
その内容理解には一定以上の精査を必要とする事が殆どである。
つまりはよく喋り、具体的な言語を使い、あーせろこーせろ言ったり、いちいち契約などを持ち込んでくるものほどわりかし若い神という事になるが、
昨今の認識されている神という概念の最大値の多くはそのどれもがやはり契約という言葉を用いる為、
人間の認識している神と呼ばれるもののほとんどが新しく生まれた存在を対象としてしまっている。
元来契約とは自然な等価交換であり、深い因果の中でごく自然に執り行われる切り売りの事であり、それは代償とも言えるものでもある。
実際には契約という言語自体が本来なら浮かび上がるはずもない。
模倣品
神というジャンルの歴史の中ではここ数年で新しく産まれた概念もある、
もうだいぶ飛んだ内容を書いている為、頭おかしいと思われようが気にもせずつらつらと書いていくが、
これは風潮として、あるいは歴史的な事実として
産まれた世界の事実の一つとして書いておく、
此処数年の間ひとしきりの動きの中で生まれた話の中で、神とは宇宙人の事だったという話がある。
結論から言えばこれは一部事実と言える。
(前提:精神世界という言葉の意味の変化について)
神=宇宙人
(これについてはアセンションという話の裏にある事態が大きく絡んでいるが、その真相はその内詳細を残す。)
要はこの神様が実は宇宙人でしたというのは、
大きく宇宙における歴史という意味で人の理解を超えた経緯があるわけだが、
事実という意味では確かに人間が崇拝してきた者の大半は宇宙における生命体や、意識体であったことは間違いない。
迷う道すがらに何を見るのか…。
しかしそれは全てにおける生態系とも呼べるものの一部でしかなく、
確実にそれやよりも根源的かつ、概念的な神の世界が存在する。
しかし我々がその神の性質や世界観を見失う以上、
永遠にそこを認識することはないのである。
だからこそ神を精査し、神すら篩に掛け必要があるのだと私は思う。
より生粋の神は、概念分裂以前に存在する。
それが唯一無二へと近づき、我々の世界がそれを認識するごとに、
我々の価値観や、概念、意識、精神、全ては変容し、
未来や過去の意味すら変化させるだろう。
勿論それは承知せずとも起こる結果である。
我々は長い事この神というものの、生態系を誤解してきている。
神とは本来より根源的で知覚的にしか認識しようのない何かなのは間違いなく、
我々が神だと認識していたのは、実はただの概念や、性質を記述した形であったという事に他ならないのだ。
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