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私の中の不寛容さと向き合う

うちには娘が3人。(息子は独立して東北在住)

長女は22才。様々な事情で何処にも属していないが、いわゆるニートや引きこもりではなく、属したいのに属せる場所がなく色々模索している…制度の狭間にこぼれ落ちてしまっている状況にいる人。こういう状況の人をなんとカテゴライズすればいいのだろう。昔なら家事手伝いか。

12才次女も学校制度に行きづらさを抱えているのに合理的配慮が"予算もないし前例もないから出来ない"とされ、学校から、国から見放された状態でやむを得ず自宅にいる。なので彼女もまた制度の狭間にこぼれ落ちている状態。

8才三女も上2人とはまた違う性質でとても陽気な繊細さん。大人側のルールを強制しなければ主体的に行動出来る人。
お友だちとは遊びたい!新しいことを学びたい!だけどルールの多過ぎる学校はしんどい…偏狭な日本の学校制度の狭間にこぼれ落ちてしまっている状態。きっとサドベリーにハマるだろうな。

これで何が問題かと言うと、親は教育スキルもないのに自宅で子どもたちの面倒を見なくてはいけなくて、他の事(例えば稼ぐための仕事など)が出来ない。うちの場合、長女は成人しているのだし妹たちの面倒くらいみれるだろうと思われるけど、連日は頼めない。彼女は小学生の頃から家のお手伝いが出来る程の余裕なんてない、疲弊した学校生活を送っていた。今やっと自分を見つめ直す時間が出来たのでヤングケアラーにさせたくない。

学校に行くだけで精一杯。命を削って通学していたのだと思う。そんな彼女に"宿題したの?家の手伝いもしてよ"とはとても言えなかった。今も過去の疲弊した、無駄に過ごした時間を取り戻そうとしている…今はゆっくりと彼女のペースで自由に考え行動して欲しいと思って寄り添っている。(それでもたまに妹たちの世話をお願いすることはある。)

本来なら他の同世代の子たちと同じように社会に出て、自分の能力が発揮出来、充実した生活を送りたかったと思う。でも日本社会には選択肢がなく、無理矢理'学校一択'というムショに閉じ込められていたのだ。それも12年もの間。大半の子はそのムショ暮らしにもそれなりの喜びが見出せるのだから不思議だ。(私は片想いの彼と会える事だけを楽しみに通学していたと思う。)だから公教育は変わらない。多数派が満足している間は。

毎日帰宅して休める自由はあったけど、平日は毎日刑務所通い…地獄だったろうな。友だちと会えるなんていうまやかしで誤魔化しながら命を削っていた。自分の気持ちを押し殺し、自分がダメだ、弱い、と真綿で首を締め付けられる様に洗脳されてきた。私はそれに加担していた。まさに偏狭で不寛容な親だった。そして罪の意識もないから残酷にそれを正当化して犯していたのは学校もそうだった。私と学校は共犯だ。

過去に戻れるなら本当に戻りたい。戻って、もう我慢しなくてもいいよと言ってあげたい。否我慢させる前に戻りたい。高卒の資格を手に入れたと同時に彼女の大切な時間を失ってしまった代償は大きい。彼女が自分で決めた事だとはいえ、その選択肢しかないかの様に思わせた、他の選択肢を与えられなかった親の私や社会に責任があるという事は今だからわかる。それは私が自分の頭で考えて来なかったからだという事を。

長男の頃から数えてかれこれ20年程の間日本の公教育と関わってきた。だけどほとんど変わっていない。私は無知、力量不足、偏見が、何より私の不寛容さが原因だと思ってる。私の周りで起こることは良くも悪くも自分の内面の合わせ鏡なのだから。

遠方の友が学校と子どもたちの狭間で苦しんでいる。学校制度に疑問を感じ、子どもの人権を一貫して守って来た彼女が、価値観の全く異なる学校と対峙しなければならない。彼女の孤独で壮絶な苦しみは計り知れない。

学校には学校の正義がある。きっと変わらないだろう。そして問題はそれしか市民は選べない事にある。資産が潤沢にあれば、オルタナティブスクールが近くにあれば、他の選択肢を選べるかもしれないが、多くの場合そうではない。公教育は誰もが平等にアクセス出来るコモンであるはずなのに少数派の子どもたちは見捨てられてきた。

私は学校に期待しない。でも教育現場で変えたいと孤軍奮闘する仲間には協力したいし協働したい。孫の代に1ミリ変わってたらいい。それよりも目の前の子どもたちが今ありのままの自分を心地よく思い、社会の多種多様な人たちの中で自分を見失う事なくマイペースで人生を噛み締めて欲しい…出来れば笑顔で。

そのために出来る事を虎視眈々と狙っている。

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