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アンスクール・デイズ: 子どもたちの冒険と成長の日々

末っ子オアシスルームの日🍱

月一のカウンセリングの日、SCさんと一緒にボードゲームやカードゲームをしました😊✨✨
(ゲーム三昧で、話したいこと話すの忘れてた🤣)

話したいこととは。。。

先日、二学期最後の図書の時間という事で変則的にオアシスルームに行った時、

“図書の時間に行きたいわけじゃない、学校に行かないと友だちと遊べないから“という末っ子。

話し合った後、“今日はオアシスルームでのランチと15分ほどの昼休みのあそびの時間を目的に行こう“ということに。

ところが…

お昼を食べながら1人のお友だちが“今日は昼休みに挨拶運動委員会の集まりに行かなきゃいけない😭遊べないよ〜“と。

末っ子ともう1人のお友だちと母が、
“えーっ😱それはないわ〜昼休みやで〜なんで仕事なん?“

“行かなくていいやん“
“そうかなぁ…でも怒られるし“(出たー!先生に怒られるから行動する呪い)

“そのおしごと、昼休み削ってでもしなきゃいけない大切なことなのかな?“

“うーん、毎朝の挨拶運動で、元気よく挨拶できた人にシール配るんだけど、挨拶当番と会えなかった人たちで元気に挨拶出来た人へどうやってシール配るかを決める話し合いやねん“

…🙂な、なるほど。

そこへ担任の先生登場。

“あれ?今日委員会やんね?“と怪訝な表情。

母、しばらく黙って見守るが耐え切れず、“お昼休みにまで行かないといけない事なんですか?“とたずねると、

“はい!(きっぱり)委員会は、子どもたちのお仕事なので“と先生。

不穏な空気が流れる…。(みんな黙りこくる。母言いたいこと山ほどあるが敢えて黙る)

委員のお友だち、
“あと5分だけど、行きたくないけど行ってこよう!“と明るく振る舞い、部屋を後にする。

😩母はつらい

母、“どうなんでしょうねぇ…おしごと?決まりごとって何のためなんですかね…。子どもたちがまともにお昼休み取れないってホンマはおかしいですよね…etc...“

先生、“学校で決まってしまってることで…教室の(担任の)采配ではないのどうしようもなくて。“😢



“仕方ない、先生にはどうしようもない、でもこんな事が積み重なって、子どもたちは権利を侵害されていてもやりこなし慣れて行く事に違和感を感じて欲しいなぁ…“とは子どもたちのいる前では言えず、黙々とゲームをして誤魔化す母。


後でお友だちが元気に帰って来だけれど、すぐにチャイムが鳴り…掃除の時間を返上して楽しくゲームしました🎲(先生が、“掃除は教室の権限があるから許す“との事で)

“自分の価値観とは違う世界を押し付けられる子どもたちを見て違和感を覚えつつも、そこにしか選択肢がないと留まる自分をどう感じてる?“

“私はどう生きて行きたい?
子どもたちとどう生きて行きたい?“

“既存の世界が⬜︎だから、△や◯や☆の子どもたちも⬜︎に合わせていかないと生きられない世界って本当に変えられない?“

“既存の世界は⬜︎だけど、△や◯や☆を尊重する事が出来る世界って作れるんじゃない?“

まあ、こんな問いが私に生まれるのも、対極にあるものとの関わりがあってこそなんですよね。

(私の価値観の中で)理不尽だなと思うことも、全て糧に変えられるはず。疑問を投げかける母も投げかけられる先生たちも切磋琢磨しながら生きて行く…。

アンスクール中の子どもたちって、教育関係者がよく言う、“切磋琢磨“する経験が圧倒的に少ないです。そしてそれは良くない事、子どもたちが弱くなる、偏る、とかワガママになるんじゃ、と不安になるおとなたちが多いんじゃないかなとも思います。

私も時々そう思うことがあります。(末っ子絶賛反抗期中にて疲弊した時に😂)

学校で勉強や仕事を課せられ、こなして行く修行を受けている子どもたちと、そんな束縛からは避難して自分の思うままに過ごしている子どもたち。

前者は社会的に調和を保とうとし、我慢強くなる事で利がある事もあるし、自害他害してしまう程害悪になる事もある。

後者は社会よりも自分を優先し貫く事で軋轢を生んでしまう事もあるだろうし、自分を押し殺さずに自分の中の大切にしたいものを守る事が出来る事にもなる。

新しい世界で生きて行く子どもたち。今はみんな未熟なのは当然のこと。

中途半端にしか物事が出来なかった…

読みが甘かった…

すぐに投げ出してしまった事を後悔するかもしれない…等々は、

物事を完璧にこなせなかったからこそ、成長の余地が広がるかもしれない…

読みが甘かった経験は、今後の準備と学びの機会となるかもしれない…

投げ出してしまったことに後悔するのではなく、その経験から得た自分の感覚から、新たなチャレンジの機会を見つけ出すことができるかもしれない…


アンスクールの子どもたちは一般的な子どもたちとは異なる経験をしています。

社会との調和や我慢の大切さも尊重したい要素ですが、自分を大切にし自らの価値観を守ることも大切です。

失敗する事もあるだろうし、孤独を感じる事もあるだろう。でも“運命は何かに振り回される事ではなく、自分で決めてきていける“という事を子どもたちに伝えたい。自分で選び、決めることが未来を切り開く力になる様に寄り添いたい🫶

それはアンスクールであろうが、公教育に通っていようが、同じだと思っています🙏✨✨

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