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『火ーー氾濫』

例えば、目の前の光景が自分とは全く別のシステムで動いていると思い直す時、少しの恐ろしさを感じないだろうか。 東京国立近代美術館で開催された写真家・中平卓馬の『火——氾濫』展の途中、写真に写る事物(もの)たちはその場から「蠢こう」とした。顕著に感じたのは、中平が奄美大島にて撮った作品だ。打ち寄せる波や鮮やかな木々は、映像のように「動く」見慣れたものではなく、見つめるこちらへと向かう意志を持ち、今にも「蠢き出しそう」に微細なふるえを湛えていると感じた。 そこでは確かに、事物が、写

    • 詩誌「NININ」

      桜も五分咲きくらいでしょうか、新緑も越えたら来月21日は文学フリマ東京ですね。 文フリには、以前に橘麻巳子(「蛇ノ手」中の人)、笹木一真のユニットNININで参加しています。 今回参加は見送りですが、客として行きたいと思っています。 そして…!なんと…!(?)「NININ」の創刊号はまだ、通販でお求めになれるのです…!! リンク先に、それぞれのサンプル詩(笹木の詩は一部)も載っております。お時間あります方はぜひ。

      • 『箱男』雑記

        読み返して、やはり体系立てることの難しい作品だと思った。いくつも浮かぶキーワードはぴたりと繋がりそうで、巧妙に繋がることを防ぎ、謎を残す。 まず、文庫版の紹介文を引こう。 「ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男。彼は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面。読者を幻惑する幾つものトリックを仕

        • まわるもの②

          少し必要があって、ポール・オースター『幽霊たち』を読みはじめた。今月末くらいにまとまった感想が書けたら、と思う。なんとなく、この時代のアメリカ文学の影響が自分の世代には強いのではないかと思う。 晴れわたって、どこにでも行けそうな気分、だけれどまたなんとなく家にいる。二日酔いの頭を癒して、夜には気になっているバンドのライブ配信を観る。 「良いと思ったものを他人様にそっと差し出したい」という最近の決意とは裏腹に、ただただ「楽しいわーいいぇーい最高!!!」と叫びたくなる。自室で配

        『火ーー氾濫』

          『速水御舟随筆集』

          捕らえられた、と思った。続いて、逃げられない、と思った。飛べなくなるまで焦がされて、ここで煙となるのだろう。 速水御舟(1894年~1935年)は、大正・昭和初期に日本画のあらたな境地を拓いた画家である。『炎舞』は御舟の中で最も知られているだろう作品のひとつで、巨大な炎に巻き上げられた蛾たちの羽ばたく姿を描いたものだ。『炎舞』の実物を初めて目の当たりにした際、竦んだ。音の一切が消え、ただ眼の玉だけがそこに据え置かれるような感覚だった。周りを多くの人の行き交う美術展で、これま

          『速水御舟随筆集』

          『かみまち』

          漫画を探しに行って、今日マチ子の『かみまち』を買う。一気に読んでしまう。 共感、というものでは埋められない、と感じる。15、6歳だった頃を思ってみても、自分なら、と置き換えずに読むのを導かれるような感覚だ。しかし、いくらか年月を経た眼で見ても、登場人物の行動を子供だとかじれったいとも思えない。 身を削りながら取材を重ねたことが痛いほど伝わる。フィクションとは何だろう、と思う。確実に、確固としたかたちでそこに存在している。 共感とは何だろうか。 思春期、打ち明け話をされた時

          『かみまち』

          『頼むから静かにしてくれ』

          古書店に行く。以前そこで手に取った歌集の、また同じ人の本があったので嬉しい。句集も、ぱらぱらと見て「これは!」と思ったものが、帰りの酒くさい電車で開いたらやはりすごく良くて、嬉しい。 帰る前に、水タバコも吸ったんだった。普段煙草はやらないが、レイモンド・カーヴァーの短編に水タバコが出てきたのを思い出して無性に吸いたくなるミーハー心。『頼むから静かにしてくれ Ⅰ』(村上春樹訳)に入っている「アラスカに何があるというのか?」という話だ。 気に入った靴を買って颯爽と帰宅した際、家

          『頼むから静かにしてくれ』

          まわるもの

          続けて、幸田文を読む。今は『回転どあ/東京と大阪と』だ。やはり非常に細やかで、それは目の配り方にも言葉の選び方にも窺える。おおらかさとはどこか違っているが、全くだらしなくない。慣れた手が、着物の帯をきゅっと結んだ時を想像させる。 そもそも幸田文は10年前くらいに知人の強い勧めで手に取ったのだったが、先日あらためて話題をふってみると忘れていた。何冊かを読んで、それ以上読むと仕事を忘れて読書してしまう気がするからそれきりだという。「文章が凛としていて」と知人は褒め、わたしにも「

          まわるもの

          『PERFECT DAYS』

          『PERFECT DAYS』2回目を観た。ヴィム・ヴェンダースは幸田文を前から知っていたのかな。映画の影響か、現実世界では通販ベストセラー1位になっているというのだから、そうして読み継がれたらいいな。 作中の音楽がいくつか話題になっていて、ザ・キンクスの《サニー・アフタヌーン》は初めて聴いたけれどとても印象に残った。 さまざまな考察があるだろう、その考察を引き出すような目の配り方をした監督のその目を内側から見てみたい。 映画で満たされたのか、食欲がないのでビールを開ける。1

          『PERFECT DAYS』

          うまうまの柿

          正月の思い出といえば、子供の頃、道を行く車のトランクが全部開いて、中から門松が二本飛び出していたことだ。門松を見るのも初めてだったし、ましてや車のトランクからにょっきり飛び出たまま走り去る門松は初めてだった。 昨年から変わったことといえば、家に糠床を迎えたことだろうか。きゅうり、かぶ、大根、切って混ぜていると、不思議と気持ちが緩まる。 人は、糠床の前ではやさしい気持ちになるらしい。必要以上にこねくり回して愛でた野菜は、翌日には胃袋のなかで忘れ去られてしまうのだったが。 同じ

          うまうまの柿

          憧れの日本酒

          冬になりたての頃は特に、たっぷりと水を含んでいそうな垂れ込める雲の厚ぼったさが、ともすれば陰鬱になりそうな気持ちに添うようで心地よい。濃い白色の雲を見て、ふとよぎるのは濁り酒のことだ。寒さのこたえる日に注がれるあの種の酒は、きんと音の鳴りそうな清酒とは違う、包み込む感じがある。 幸田文の「蜜柑の花まで」は酒について書かれた随筆だ。『幸田文 季節の手帖』(平凡社)に収録されているもので、この本のなかでの季節の区分は春なのだが、旧暦の春についても書かれているので先取りしてしまお

          憧れの日本酒

          早いもの、遅れるもの

           季節をはみ出たものを通り過ぎる人がいる。わたしもまたそのひとり、一時期見ると見慣れたもので、冬の紅葉や冬銀杏など。盛りを過ぎても色は美しいのだが、ありがたく写真など撮っていた秋口を脱ぎ捨てるかのようにすらすら歩いていくのがおかしい。  師走も半ばの上野公園の紅葉群は背景を青くしながらよく映えていた。青々とした常緑樹のなかで鳥たちの鳴き交わす声が、ふとすると歩行中もやってくるぼんやりの眠気を醒ましていく。目当ての美術館の手前には不忍池よりも大分ささやかな池があって、周囲をとり

          早いもの、遅れるもの

          ジョセフの箱

          初恋の箱だった。 美術館に立ち寄りはじめて最初に好きになった作家のお話。初めはたぶん18歳の頃だったかな。 千葉・佐倉にあるDIC川村記念美術館でちょうど今日まで開催されたジョセフ・コーネル展。 http://kawamura-museum.dic.co.jp/art/exhibition/ ご存知の方も多いかもしれないのだけれど、ジョゼフ・コーネル(1903-1972)はアメリカの美術作家で、その作品の多くはコラージュ技法で出来ている。 こちらは常設の「箱」たち。 h

          ジョセフの箱

          水底には、砂のお城も建設中で

          昔訪れた鳥取砂丘ではラクダに唾をかけられたこともあったけど、やはり熱い砂漠のぼんやり時間をたのしみに行くんだろうな。先から中から蒸発してるんだろうって、見えない蒸気の昇華のことを考えてはきゅんとなるのだ。 いやだ。ぼやぼやしているからラクダの脛を蹴っちゃうんじゃない? サン=テグジュペリを読んでいて、読み返すのはいつも決まって無人砂漠に降り着いた話だ。 例えば、こんなような。 「飛び立って三時間が経過したところで、突然、右手にぱっと光が点る。どうやらかなり強烈な光のよう

          水底には、砂のお城も建設中で