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木山幸彦

木山幸彦プロは、10年以上に渡って、日本のダーツ界で活躍を続けているプレイヤーだ。彼は、他のプロとの親交も厚く、熱狂的なファンもいる。しかし、その歯に衣着せぬ物言いや態度から、ときに“ヒール”と呼ばれることもある存在。さらに、プレイヤーとしてだけでなくダーツスクールの講師を務めるほか、プロ選手のマネージメントも手掛けるなど、活動は幅広い。
 
そんな木山プロが九州でダーツを始めた当時の様子や、現在のプレースタイルにつながるまでのストーリーを訊いた。

最初はとっつきにくさを感じたダーツ

木山プロが最初にダーツをプレイしたきっかけは、当時住んでいた福岡に新しくダーツバーができたからという、ささいなものだった。
 
「たぶん、ちゃんとしたダーツバーって、それまで福岡になかったんですよ。だから、物珍しさもあって。1度遊びにいって半年くらいたった頃だったかな。たまたま2号店が自宅の近くにできたのでのぞいてみたんです。そうしたら、店長が“上手なんだから、もっと来てよ”って誘ってくれるようになって」
 
ただ、どんなに誘われても木山プロの腰は重かった。なんとなく、当時のダーツバーの雰囲気に馴染めなかったのだという。たまたま、ふらっと立ち寄って楽しくダーツで遊んだだけ。それで終わりのはずだった。
 
「当時のダーツバーって、言い方は悪いけど、オタクのたまり場みたいな感じだったんですよ。常連だけが固まって閉鎖している雰囲気がすごくあったから、こっちから仲間に入りたくなかった(笑)。でも、あまりにも店長が熱心に声をかけてくれて。それでもう1回だけと思って行ったら、当時の同僚たちが偶然遊びに来ていた。それからは立ち寄りやすくなって…気が付いたらダーツなしの生活は考えられなくなっていました」
 
福岡に住んでいたときの木山プロは、不動産業のサラリーマンとして働いていた。自身曰く、本来は“先のことを考えてしまう慎重な性格”とのこと。まさか、安定した生活を捨て、ダーツで食べていくことになろうなど、思いもしなかったという。
 
「思いきれた理由はひとつ。ダーツが好きだったから、それだけです。脱サラしてから、ディーラーの仕事を始めて、まさにダーツ漬けの毎日になりました。調子があがってきたのが2006年くらいの頃。2007年には初めて大きな大会で優勝できた。今考えても、この頃はすごく調子が良かった」

安定した生活を捨て、東京へ

まさに順風満帆なプレイヤーとしての生活が始まった。日本全国をイベントや試合で飛び回る毎日。次々とスポンサーからも声がかかった。“東京でやってみよう”と木山プロが考えるのは当然のことだったのだ。

「スポンサーとの契約は、水ものでしょう。調子のいいときに攻めておきたかった。2009年に東京に出てきて、最初は働いてなかったんですよ。本当にダーツだけしていればいい毎日だった。ダーツの調子がいいから、イベントに僕が行くだけですごく盛り上がる。バンバン大口を叩けるし、それで自分自身も楽しい。自分でも“ヒール”だなって感覚はあったけど、ダーツの実力さえ伴っていれば、それすら強みになりますからね。ファンもいて、アンチもいていい。それが人気のバロメーターなわけです」

幸せな時間だった。そう回顧する木山プロ。イベントにもひっぱりだこで、人気者の座を欲しいままにしていた。ただ、そんな生活はほんの数ヶ月で終わってしまう。突然、体調を崩してしまい、フォームも変わってしまった。当時の木山プロに一体なにがあったのだろうか。

「もう、見ていて分かると思うけど、ここ数年はずっと調子が悪い状態。そのきっかけも分かっているんです。DARTSLIVE ARENA 最強王者決定戦に参戦したからですよ。勝てばSUPER DARTSに出られたから、用事がない限りはずっと投げ続けていました。予選が通信対戦のポイント制だったから、それこそ朝晩関係なく、たくさん投げないといけなかった。自分の異変に気がついた頃には、すでに体はガタガタでしたよ」

2009年末から2010年にかけて開催された決定戦に参戦。当時の木山プロには、参加しないという選択肢はなかった。最後には優勝を果たしたものの、それから成績は下がる一方だったという。

「最初はね、周りは気がついてなかった。SUPER DARTSもベスト8という成績を残したし“やっぱり木山はすごい”と言われた。それでも、自分は調子が落ち始めていることに気がついているから…つらかったですよ。それまでは、今みたいな力の入ったフォームじゃなかったと思います。すぐに調整ができればよかったけど、イベントや試合で毎日ダーツを投げなきゃいけない。十分な時間をとれずに、ここまで来てしまった」

プレイヤーとしてのこれから

抑えめな口調で語る木山プロ。過去の自分を振り返り、今後の活動について複雑な想いもある。ただ、調子が悪いからといって、それで終わる彼ではない。

「今は、自分から何かをアピールしたり、目立とうとしたりする時期ではないと考えています。そういう対外的なアピールは、人気のあるプロに任せておいたらいい。自分は、大口叩いて堂々としているのがキャラクターだと思ってるんで、今はイベントの出演も断ってる。だって“ヒール”の役回りもダーツで勝てないと格好がつかないでしょ(笑)。ただ、ちょっとずつ調子が戻ってきている感覚はありますよ」

本人が感じている復活の兆し。確かに、当時の勢いは影を潜めているものの、現在JAPAN16入りを果たしている木山プロ。ダーツの調子が戻ってきた、その理由はあるのだろうか。

「まず、ダーツの講師をしているのは大きい。フォームのことをとやかく言われることが多いけど、人に教える分には何も問題ない。生徒さんからは“先生って、実際はどんな投げ方もできるんですね”と言われるんですよ。投げ方の理論は分かっているんです。だからこそ、それを人に教えることで、自分のプレイやフォームを見つめ直すきっかけになっています。あと、JAPANに参戦していることは、とてもいい刺激になる」

レベルの高いプロが多く参戦するJAPAN。ここで戦うことが、木山プロの中にある“もう1回でいいから返り咲きたい”という想いを確固たるものにしている。

「自分の調子が良い悪いは別として、JAPANはとても充実している大会だと思う。JAPAN16っていう制度もいいし、ルールもしっかりしている。ただ、自分みたいにちょっとメンタルが弱いと入替戦はけっこうキツイ。これまで参加したトーナメントでは優勝だけを見ていればよかったけど、JAPANではそうはいかない。その研ぎすまされた感じが、大会をよりよくしている気がする。できれば、調子が完全に戻ったときに、またインタビューを受けたいですね。ビッグマウスも交えつつ。JAPANで優勝して“木山ムカつくけど、強いからしゃあないな”って、また言わせたい」

その為には、ただ、勝つしかない。そう強い口調で言い切る木山プロ。インタビュー中には、たびたび、自分は決していい奴ではない、ダーツ界を盛り上げるのは人気者に任せる…とうそぶく。しかし、そこには、ただダーツを強く愛するひとりの男がいた。


-Profile-
木山幸彦(東京都)
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