なんで?のその先に見えたこと

最近娘とテレビを見てると、
「なんで?なんで?」って聞かれることが多い。

娘の知的好奇心が凄まじい時期なので、
「分からないなぁ」や「何でだろう?」などの
曖昧な返答は許されない。

もしその返答をしてしまうと、
物凄く怒るのだ。
「何で?」に対して「何でだろう?」は
ダメらしい。なんという鬼教官。

わたしの脳は基本的に省エネルギーモードなので、
考えることにハードルがある。
リラックスしている時なら尚更だ。

とりあえず、それらしい答えを
探さないといけない。

最近では娘と「ハウルの動く城」を見ていて

「何で炎が喋ってるの?」
「心臓ってなに?」
「何で家が歩いてるの?」
「同じ扉から別のとこに出るの?」
「ハウルがドロドロになっちゃたのはなんで?」

ジブリの名作を
うかうかと見てられない。

質問がきたら瞬時にそれらしい答えをかえす。
娘プレゼンツ、クイズ王座決定戦だ。

もう少し子どもが成長したら、
岡田斗司夫チャンネルの「ジブリの考察動画」を見なさいと言っちゃいそうだ。



ただ、子供の「何で?」に応えることで
深く考える習慣が身についてきてるかも。なんて思うこともある。

自分が子供の頃は、
全てに対して「何でだろう?」と疑問をもって
自問自答して、
自分なりの答えを探していた。

答えがすぐに出ないと
モヤモヤして、
しんどくなって
親に質問してたなぁと

最近では、
「そーいうものだ」と
自分に言い聞かせることが当たり前になって

まさにチコちゃんの
「だらだら生きてんじゃねーよ!」だなぁと。


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