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「日本では日本語を喋る努力をしろ」外国人接客への投稿で炎上〜ニュースを見て思った事

「日本では日本語を喋る努力をしろ」外国人接客への投稿で炎上店主が「お詫びと休業のお知らせ」

コメント欄を見ると、店主に理解を示すものが多いようです。
私も同感です。
表現の仕方、言葉の悪さはちょっと・・・って思う部分はあります。元々毒舌で通ってた方らしいのですが、言葉のチョイスで印象を悪くして損してるな、何でも批判したがりな人たちにツッコミどころを与えてしまってるな、と思います。

言ってる内容自体は特に非常識ではない。
客を選ぶ権利、お店にもあります。
英語が通じないお店、日本以外にも当たり前にあります。
最近は違うようですが、一昔前のフランスは「英語が喋れても意地でも英語を使わない、フランス語で押し通す」プライドの塊みたいなフランス人が多かったそうです。当時は、そういうところが良くも悪くもフランス人らしい、とそれなりに受け入れられてたみたいです。


ずっとずっと昔、長期の外国旅行をした事があります。3ヶ月かけてイギリスを起点にヨーロッパ数カ国を周りました。
イギリスで英語が通じないと困るのは当然として、英語圏以外の国では日本語はもとより英語すら通じない事は珍しくありませんでした。(私の英語力の問題も大きかったかもしれません・・・)

それでも、一生懸命覚えた現地語で挨拶やお礼を言うと、それまで無愛想だった店員さんが急に満面の笑顔を返してくれるという事も多々ありました。

自国の言葉や文化を理解しよう、寄り添おうと努力する外国人に好感を持ち心を開く、こういう心理現象は日本人に特有のものではないと思います。

この店主も、日本語云々ではなく、英語が通じて当然と言わんばかりの外国人客の姿勢、おそらくは無意識の傲慢さ等に思うところがあったのだろうな、と文章を読んでて感じました。

言葉はあくまで1つのコミュニケーションツールに過ぎない。
他国に来たら他国の人や文化を尊重する、それを学び理解する努力をする、そういう姿勢や心持ちがあるかないかの方が、語学に長けてるかどうかより人とわかり合うためにはもっと大事なんじゃないかな。

・・・という事を、私は過去の外国旅行で実感しました。

ついでに言うと、決して勉強が好きな子とは言えなかった私が、そのヨーロッパ旅行を前に数カ国語の勉強をした時、勉強する事に不思議なほど苦痛を感じず、むしろ楽しくて仕方なかった事も覚えています。

その、一生懸命覚えた挨拶言葉や質問やお礼の言葉が現地の人に通じ、それにリアクションが返ってきた時の嬉しさは体験した人でないとわからないと思います。
嬉しいを通り越して、もはや快感でした。

それも外国旅行の醍醐味の一つなのかな、これを味わわないのはもったいないなと思います。

そう考えると、世界中どこでも英語が通じて当然、と思い込んでる一部の英語圏の人たちはある意味人生で損してると言えるのかもしれませんね。

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