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『他者と働く』(読書会に参加して③)

キャリアックというキャリコンのグループ関連でのオンライン読書会。
今回は3回シリーズで「他者と働く(宇田川元一)」を読んできました。
今回が最終回です。

今回で3回シリーズに読書会も最後。ココまで来ると、「ナラティブの溝」に関することが色んな視点で見えてきましたし、それだけに、この先、どうすればこの本でいう「適応課題」に対応するための具体的な方法が気になってくるところです。
読書会での発表者の方もおっしゃっていましたが、この本では「ナラティブの溝」を対話で埋めていくという必要性をおっしゃってある、その対話をへこたれずに挑んでいくとおっしゃってあるのですけど、それをどのように実現していくのか、若干の事例はあるものの、その具体的な方策がココに書かれている訳ではありません。
最後まで多くの方とともに読み、ディスカッションを通した中で、自分自身が具体的な方策を見つけていく、必要な技術を身につけていく、そんなことが今後重要になって来るのであろうと思います。

あなたが何もしなければ
世界は何も変わらない。何もね。
UNLESS
someone like you cares a whole awful lot,
nothing is going to get better. It's not. 
(Dr.seuss 『ロラックスおじさんの秘密の種』)

何もしないと変わらない。
自分が変わることで世界が変わるという、とてつもないことの始まりは、自分自身の目の前に現れる適応課題にどう向き合っていくかしっかりと意識し行動する。まずは自分自身の世界を変えていくということなんでしょうね。


最後の第6章と第7章。最後にやってくるこの章では、「ナラティブの溝」を埋めていくための対話に掛かるちょっとした注意事項のような宇田川先生からのアドバイス的な章でした。
これらの章で言ってあることは、対人支援を業とする方であれば、もうご案内のとおりのことが書かれてあると私は思いましたが、これがなかなか行動として出来ていないのが課題であるので、改めて、自分らを戒める上でも、この2つ章が、わかりあえない「他者と働く」ためにも外してはならないところと言っても過言ではないと私は感じました。


🍀対話を阻む5つの罠

ワナっ♬ ワナっ🎶 ワナに落ちそ〜う〜♪
なぜか、この局を想い出した私。

YouTubeの動画を張りたいところですが、適当な動画を見つけれませんでしたので、EP版のAmazonをご紹介。どうぞお聴きになりたい方はご自身で検索して頂くとして、ほんとに懐かしい「ヴィーナス」というグループの「キッスは目にして」。
最初のくだり、Aメロ?に登場する歌詞に

あなたの鼓動を ハートで感じる
あなたの吐息を まぶたで受けるの

まあ、ココにあるエピソードはちょっと違うけど、どこか「ナラティブの溝に橋を架ける」というところに繋がっているように思ったのでした。



話を戻しますが、「対話の阻む5つの罠」とは何か。本書では以下のように書かれてあります。

 ①気づくと迎合になっている
 ②相手への押しつけになっている
 ③相手と馴れ合いになっている
 ④他の集団から孤立する
 ⑤結果が出ずに徒労感に支配される


①気づくと迎合になっている
ナラティブの橋を架けても渡ったまま帰って来ない状態。相手との対話が上手くいっているようで、自分の考えを尊重せずに、諦めるている状態になっていないか。
迎合、忖度といったことではなくとも、協調とか調和とかいった態度で対話に臨んでいる時でも、結果的に似たようなことになっていることがあります。皆さんはいかがですか?迎合していませんか?自分の意見も言えていますか?

📖気になったワード📖
 ・「対話」に挑むことは、「組織の中で誇り高く生きること」
 ・「誇り高く生きること」は、孤独であることを避けられない
 ・孤立を大切にするためには、孤立してはならない
 ・迎合や忖度に留まっていれば「違和感に気がつく」
 ・「違和感」は新たな「ナラティブの溝」
 ・「違和感」が適応課題への挑戦に繋がる

②相手への押しつけになっている
 立場の違い、上下関係などがあると、対話が上手くいったと感じでも、そうは簡単にいきませんね。特に私でも注意しなければならないのが、部下との面談。対話の手法で上手く話が出来ているといえども自分と相手のナラティブは異なる。上司など相手より「権力」が持っている状態になるとナラティブの溝が見えにくくなる。これは真面目に気をつけたい。

📖気になったワード📖
 ・自分と相手のナラティブは違う
 ・権力が対話を妨げる
 ・権力によって生じる新たな課題に気づき、それに挑む
 ・すると、ともに働く他者と「新しい関係性」が更新
 ・これが「連携」によち良い仕事を成していくこと
 


③相手と馴れ合いになっている
対話による関係性が出来たならばその関係を維持したい。それがために言いたいことが言えなくなる。よく考えると、言いたいことが言えない相手とは本当の関係性が出来たとは言いがたいですね。もしかしたら見せかけだけになっている関係性って、身近でもあるんではないでしょうか。
私も残念ながらいくつか思いつきます。その相手と関係性を考えると、まあ、橋が架かっているとは言えませんね。

📖気になったワード📖
 ・関係性維持のための馴れ合いは「抑圧型」の適応課題
 ・関係性は課題ごとに築くこと
 ・今までの関係性に別れを告げ、新たな関係性の構築へ
 ・別れ=孤独へ、でも孤独を恐れず、でも孤立しないように

孤独を恐れず、でも孤立しないようにって…、これなんだよって思いませんか?
孤立したいくないから、今ある関係性を維持しておきたい…のですよね。
でもここに落とし穴があるのですけど、孤立しないように物事に取組みには、相手との「ナラティブの溝に架かる橋」が何本か架かっていないと厳しいんじゃないかなぁと思ったりして…。

「持ちつ持たれつ」って言葉がありますが、これってググると「互いに助けたり助けられたりすること。」って書いてある。私は嫌いな言葉ではありませんが、馴れ合いではだめ。発生する課題は同じとは限りませんから、その時々の課題を解決する度に新たな関係性を構築すべく橋を架けることを試みることを忘れないようにしたいもの。

④他の集団から孤立する
組織⇔組織ではどうしても他の集団との差異に目が向きがち。他部署の勢いに付いていけないとか、そんな事業に意味あるのとか、一度は経験したことある状況ではないでしょうか。でもそんな時こそ、その差異が内側にもあるかもとよと、目を向けてみることが大切だということです。

📖気になったワード📖
 ・チームの内側にもナラティブの溝が生じる
 ・外側に対する溝を感じた時は内側に溝に注意
 ・「誤りが認識できないという誤り」を抱えて
  いる状態が上手くいっている状態

「誤りが認識できないという誤り」を抱えている状態が上手くいっている状態だと言える」このくだりは、読書会でのディスカッションでも話題になりました。迂遠な表現で分かりにくい、という話です。

「誤りが認識できないというよろしくない状態(=誤った状態)があるにも関わらず、それに気付くことなく、今の状態を上手くいっている状態と考えている」

ということですかね? うーん、これも廻りくどすぎるか?
なんか簡単に表現することって出来んとですかね?

兎に角、外側の溝のように内側にも溝がある認識を持つこと、そしてココでもやっぱり対話をすることを忘れてならないということです。
上手くいっていないチームに必要かと思われがちな対話。案外、上手くいっていると思い込んでいるチームこそ、気をつけるべきだということでしょうか。私たちは常に不完全で誤りを避けられない存在であるからこそ。

⑤結果が出ずに徒労感に支配される

対話って簡単ではありませんね。どちらかというと上手くいかない時の方が圧倒的に多いと私は思います。
私の対話スキルが無いからかもしれませんけど、相手との橋を架けるまで至ることには時間が掛かる。だから途中で「あ〜、もう良いかな…。」って思うことはよくあります。私だけ何ですかね?

📖気になったワード📖
 ・対話が成立しない時
  ⇒ 辞めたり、休んだりすること
  ⇒ 職場を変えてみる
 ・適応課題に向き合うのに「疲れ果てる」必要はない
  ⇒ 自分の中での橋が無くなっている状態を避ける
  ⇒ 職場の内外に「相棒」を見つけておくこと

つい最近も、職場での人間関係のゴタゴタで数名の方との対話をしたんですけど、まあ、難しい。相手には橋を架けるつもりが殆どないのか、一方的に自分の言い分を言ってきておしまい。対話というよりも「陳情」を受けた感じ。適応課題に対して対話しても、本当に対話になりません。
ここ数年続けていた職場内での対話でしたが、今は定期不定期ともに、ほぼ行っていません。でも「疲れた果てる必要はない」ということで、それでも良いんだとホッとしています。

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🍀ナラティブの限界の先にあるもの

本書のバックボーンとしてあるナラティブ・アプローチ。
ところでナラティブ・アプローチについて本書ではこう書いてあります。

ナラティブ・アプローチとは…
「語り」としてのナラティブに着目して、対話的な実践を行うことを主軸に置いている様々な研究の緩やかな総称

緩やかな総称????

もともとは臨床心理や看護などで始まった研究領域で、社会構成主義の思想に基づきながら、異なる立場の人間が対話的によりより実践を生み出していくための思想であり、実践の知的な集積でもある、と本書には書かれてありました。

そもそもこのような領域で生まれた手法であるとしたら、そうでは無い世界に当て嵌めることは簡単では無いとは思いますけど、ココに出てくる気になったワードから、様々な領域でも同じことが言えるのではないかと思える部分も出てきます。

📖気になったワード📖
 ・専門性というナラティブが邪魔をしている
 ・言葉は「暴力」にもなる
  ⇒ 正しい説明という暴力
 ・違和感を「手がかり」とした連携
  ⇒ 違和感こそが私たちに新たなナラティブを紡ぐ入口

専門性のナラティブが邪魔をするという状態は、私の経験則では頻回に見ることが出来る場面です。昔経験した児童相談所でケースワーク時の出来事でも、色々な専門家(敢えてどの職種とか言いません)が、自分が考える「正しい説明」で、(その方の勝手な認識とも思える)打ち手を指示してきます。
いつも違和感しかないものの、組織の判断や世論の目を考えると勝手なことも出来ない。
しかし結果は明白ですね。その打ち手が上手くいきません。上手くいかないから、次の(勝手な)打ち手が登場。またぞろその専門家の「正しい説明」であります。

本書を読んで、まさにこの時にことが、ケースに対して「『言葉の暴力』を発していたに過ぎなかった」ということです。

これって、この打ち手はうまくいかないだろうと薄々気が付いていているのですが、なかなかケースカンファレンスでも専門家の皆様には理解してらうことが出来ない。
だから、ケースには申し訳ない気持ちを持ちながらも、「あ〜、もう良いや」ってなるんですよね。



「あなたが何もしなければ 世界は何も変わらない。何もね。」このブログの冒頭にも書きましたが、自分が何もしないと変わらない。

「違和感」に気が付いたのなら、きっと苛立ったり、居心地が悪かったりします。今のナラティブに限界来ていることの知らせであると本書には書かれ居ています。

しかしこれもやっぱり、対話で新たなナラティブを紡ぐことが大切なんですね。新たにナラティブの橋を架けることが大切なんですね。
それを自分から何かしていく。じゃないと何も変わらない。

結局のところ、その時の適応課題を解決したいという想いやベクトルは皆同じであるはず。この同じ方向に向かっている者同士が良い感じで繋がることが出来れば最強ですね。そうなれば、その先にいる支援を必要としている人をちゃんと「主人公」として捉えた支援が出来ます。
そんな場では、言葉が暴力になるようなことも無くなっている筈です。

対人支援をしていく私たちに取って、忘れてはいけないところだと改めて感じました。


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🍀最後に

3回に分けて、「他者と働く(宇田川元一)」の読書会で得た学びや感じたことなどを、個人的な見解や感想の備忘録としてブログに書き留めてきました。

また、少し時間が経過してから本書やこのブログを読み返したりしてみたいと思います。
もしかしたら、新たな視点が見えてくるかもしれませんし、自分のナラティブの邪魔なところが、ここでのブログ作成に影響しているかも知れませんので…。

今回学んだ、対話によってナラティブの橋を架ける。
その大切さを改めて感じ取ったとともに、でもそんなに簡単にはやってのけることではないこと、そして実践していくためには実践レベルでのスキルが他にも必要であるということ、そんなことを本書から気付きを貰いました。

ありがとうございました。

そして長文、駄文、稚拙な文章となってしまった3回シリーズのブログにお付き合い頂いた皆様、誠にありがとうございました🙇

고맙습니다😊


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