奏香

自分のことばをとり戻す旅をしています。

奏香

自分のことばをとり戻す旅をしています。

マガジン

  • 星の王子たちへ

    ほんとうの自分を探し、いろいろな惑星を旅してまわる星の王子たちへ贈る、いつかきっと自分の武器になることばのプレゼント。

  • おずもな挑戦記

    • 158本

    教育とソーシャルビジネス、ライフスタイルの創出に取り組むColorbathのスタッフ、メンバー、関わった方々が、日々の等身大の「挑戦」を綴ります。

  • 深夜2時の殴り書き

    文字通り殴り書きです。感情のおもむくままに、言葉にならないことばを。

最近の記事

「すごい人」に会ったら思い出すこと

みなさんは、自分と同じくらいの歳なのに、たくさんの経験をしていたり、素晴らしいスキルを持っている人に出会って、「すごいなあ、この人には敵わないなあ」と思ったこと、ありますか。 きっとほとんどの人があると思います。 もちろん、私もあります。 そんな「すごい人」を見たとき、みなさんはどんな気持ちになりますか? 多くの人が、そんな「すごい人」に会ったとき、この人がこんなに経験を積んでる間に、私は今まで何やってきたんだろう、と自分の無力さを感じたり、今までの人生が急につまらなく

    • 節穴

      あなたに比べたら、私の目なんて節穴だよ。 20年以上私の隣で連れ添った母がそう言うなら、私はあまり、人を幸せにできる人間ではないのかもしれない。 あなたに比べたら、私の目なんて節穴だよ。 ある日の昼下がり、母がふと言ったこの言葉は、ずっととれない窓ガラスのくもりみたいに、なんとなく私の頭の片隅に残っている。 私の言うことが、あまり周りの人に理解されていないのかもしれないとはじめて気づいたのは、忘れもしない7歳のときだった。 私がしたのは、大したことない、エレベーターに

      • 天ぷら

        厨房のすみに座って、天ぷらを揚げるネパール人のシェフを見ながら、家族と食卓を囲んだ時間が次々とよみがえってきた。もう二度とないかもしれない時間。 やはり、私がつくる日本料理は、ここでは出せない。 ネパールの日本料理屋に招待されて、ネパール流にアレンジされた天ぷらをはじめて食べたときは、衣がやたらカリカリでやはり日本のとは違う、ちょっと残念ぐらいにしか思わなかった。 ネパールではまだまだ日本食は高級。ちょっとした夕食会に誘われて行った日本食レストランでは、マネージャーもシェフ

        • 現実と非現実のはざまで

          先日新しい場所に行く機会があって、歩くには少し遠かったので久々に自転車を使った。 その時に通った道が緑道のような感じで、その日は6月になってやっと来た、今年初めての20度越えの夏みたいな天気だった。イギリスらしからぬ青空と夏らしい風の中、自転車で走る緑道。 その風景が、私の実家の近くに本当に似ていて。 自分が今年も、育った町で、いつも通りの夏を迎えようとしているんじゃないかと錯覚した。 海外にいるとき、ときどきこういう錯覚する瞬間がある。 カンボジアのバスの中で転寝して目覚

        「すごい人」に会ったら思い出すこと

        マガジン

        • 星の王子たちへ
          2本
        • おずもな挑戦記
          158本
        • 深夜2時の殴り書き
          4本

        記事

          多面体的アイデンティティ

          はじめまして、奏香と申します。 日本生まれ育ち、現在はヨーロッパでひとりで日々奮闘している移民の一世です。こちらでは広く、私の日々考えていることや人生観などを綴っていきたいと思います。 さて、今回の記事は「多面体的アイデンティティ」と私が呼んでいるものについてです。 けっこう重いし分かりにくい話なんですが、私にとっては重要なことですし、同じように感じてる方も意外と多いんじゃないかなーと思います。 結論からいうと、私は自己紹介とか自分について話す機会があまり好きではなくて、

          多面体的アイデンティティ

          Re:13歳の私へ

          13歳の私へ 手紙をありがとう。 過去に向けて手紙を送ることはできないけど、どうしてもあなたに伝えたいことがあるから、返事を書くね。 確かあれは中学校の道徳の授業で、20歳の自分に向けて手紙を書くことになったのだったね。すっかり忘れていたけれど、学校の先生がちゃんと送ってくれて、成人式の日に手紙が来て思い出したよ。 中学校に入る前、はじめての海外旅行で行ったイタリアで買った便箋に、つたない手書きの文字。成績があがったら猫が飼えるから勉強をがんばったこと、医者になりたいと

          Re:13歳の私へ

          日本に、まだ、帰らない

          ずっと日本で幸せに暮らすことが私の夢だった。 このブログの背景になっている、渋谷の夜景を見た日のことを思い出す。 あれは、初めて海外移住する何日か前、当時の恋人と最後に会った日のことだ。あれからもうすぐ4年になる。 ずっと海外に移住することが夢だった。東京で私ができることはすべてやって、それでも私は満たされないから海外に行くのだと思っていた。 でもあの日、渋谷の夜景を目にして思ったことは、私はこの土地で幸せに生きたかった、ということ。私はやっぱり東京が好きで、あの土地で自

          日本に、まだ、帰らない

          弱い人は

          夕食が終わり、私は食器を下げようと手をかけたところだった。 テレビで、ネット上の誹謗中傷に悩んで命を絶った若い女性のニュースが流れた。 私の前に座って夕食を食べた人は、それを聞いて鼻で笑った。馬鹿じゃないの、死ぬなんて、そんなおおごとにして。 「でも亡くなった人は何も悪くないよね。」 いや、ネットで人が言うことなんて嘘ばっかりに決まってるんだから、気にする方が悪いよ。 それを聞いた瞬間、腹の底でぐらりと何か煮えくり返るものを感じた。 私は手に持っていた食器を真っ直

          弱い人は

          エーグルのコート

          ふう。坂道を前にして一息ついてコートを脱ぎ、無造作にぐりぐりとねじってスーツケースの持ち手に結び付ける。気温はせいぜい15度くらいしかないが、重いスーツケースをガラガラとひいて歩いていれば、じんわりと汗ばんでくる。タクシーかバスを使おうと思ったが、長時間のフライトとバス移動で少し気分がわるくなっていたので、外の空気を吸いがてら40分ほどの道のりを歩くことにした。この国についたばかりでタクシーの番号もひかえていなかったし、バスはたくさんあって乗り間違えるのがこわかった。 でも

          エーグルのコート

          レディ・ファースト

          初めて付き合った人はとてもレディファーストな人だった。 外を歩くときは必ず私を歩道側に立たせ、常に周りに危険がないか目を配ってくれたり、ハイヒールを履いているときはさりげなく歩調を合わせてくれたり、ドアを開けてくれたり、カフェでは必ずソファーの席に座らせてくれたり。そんな扱いに慣れていなかった私はなんとなく気が引けて申し訳なくて、素直にありがとうと言えない自分にいらいらしながらも、彼がはじめて自分をひとりの女性として扱ってくれたことへの喜びでいっぱいだった。 そしてその人

          レディ・ファースト

          旅の始まり

          小学校に行き始めた頃から、私は自分が周りの人たちから3センチくらい浮いているような感覚をおぼえるようになった。私の言うことが周りの友だちや大人たちに理解されないことや、反対にみんなが当然として受け入れていることがなんだか私にはしっくりこないことが増えていった。 中学生・高校生のときは、与えられた課題をこなすのに毎日必死だった。勉強、部活、スピーチコンテスト。○○が好きなんだ、将来は○○がやりたいんだ。輝く目で語っていた友達が、試験前になるとそろって同じ科目を勉強している姿は

          旅の始まり