自分が残したコメント集⑤

振り返りのために。人様の文章に適当なコメントを残さないために。

 私は陰謀論は一種の思考怠惰だと考えています。陰謀論で考えると、様々な社会現象に一本の筋が通っているように見えて、わかりやすいんですよね。でも、それではあまりに世界に対する理解が単純すぎるのです。
 人間の意思決定は機械のようにクリアカットではない、決定には人々の金銭的利害だけでなく自己保身や自己顕示やプライドや信念や猜疑心や恐怖感や贖罪感情などのノイズが無意識に入り込む。そんな人間たちが作る現実は、極めて複雑なものになるはずで、だからこそ事態が予期せぬ方向に進んでしまうことが多く、だからこそ全体主義は長続きしないのでしょう。
 このコロナ騒動がなぜ起こったかについては、公衆衛生の歴史や予防医学の最近の急激な発展を振り返りつつ、社会心理学や行動経済学、さらには文化人類学などの様々な観点から検証していけば、別に陰謀論を出さずとも説明は可能なはずです。ただ、あまりにも混みいってるから簡単に理解できないだけです。
 だから、陰謀論的な雑な解釈は、はっきり言って邪魔なのです。正確な検証を行なおうとしている側まで同類に見られてしまう恐れがある。ほんと、やめてほしい。

 データがあれば、未接種者と既接種者の間の「後遺症」とされる症状の発症頻度に有意な差があるかどうか、接種回数と発症頻度の間に有意な相関があるかどうか等、結構重要なことがわかるはずなんですがね。
 推進派の方々にとっても、今後のワクチン開発のために極めて重要な論点だと思うのですがね。こんな研究では金を出してもらえないか?
 まあ、もし未接種者の方が発症頻度が高かったり、接種回数が多いほど発症頻度が低かったりしていたら、彼らがワクチン推進に利用しないはずがないので、恐らくそうではないんでしょうけれど…

 「売国銀座デモ行進」、全くその通りですね。
 中傷でも何でもなく、世間に埋没して常識の軸を見失った人間の姿は醜悪ですよね。コロナ騒動が3年も引き延ばされたのも、医療人たちのその醜悪さが原因だったはずなのに、今の井上先生のお姿は彼らと変わりありません。「脱正義論」で描かれた「日常に帰れなくなった人々」の姿を見ているようで、悲しいです。
 あと、カレーせんべいさんの仰るとおり、普通、自身のポリシーと異なる団体に名前を使われたのなら、抗議の一つでもして、それを公表しますよね…それが無いということは、趣旨に同意されていると考えるしかありません。

 このパターン、多いですね。コロナ前に言ってたことと明らかに矛盾しているパターン。おそらく御自身でも気づいておられないのでしょう。
データだけを見て、実感を大事にせず、想像力も働かせないでいると、こういう時間的連続性のないAIのような言論になってしまうのかもしれませんね。
 それにしても、この方だけでなく、予防医学好きの人々が度々垣間見せる、おそらく無自覚の、社会的弱者に対する差別言説には本当にうんざりしますね。その点もAIのようです。
 また一つ他山の石が増えました。ありがとうございます。

 この栗原という人、アナーキスト(無政府主義者)を名乗って本を何冊か出してますよね、書店で名前を見たことがあります。 
 人間集団がこの方の言うように、自助や共助だけでまとまることができるのなら、共産主義がことごとく失敗するわけがないですよね…古くさいユートピア幻想の焼き直しとしか思えない。
 アナーキズムって、こんなに生ぬるいものではないと思うのですが…


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