次々に現れる医療技術との向き合い方を考える②~~現代の医療は我々にとって「ちょうどいい」のか?

①の続き
 
 その道具が第2の分水嶺を超えているか、ちょうどいいレベルを超えているかどうか、を見極めるためには以下の点に注意すべき、としている。
折角なので、医療ではどうか?も考えてみる。

生物学的退化
その道具は、人間を自然環境から遠ざけ、だんだんと人工的な環境でしか生きられなくしていないか?生物として自然環境の中で生きる力を失わせてはいないか?
 
医療で言えば、「自然治癒を手助けする」レベルを超えたものが該当するかもしれない。抗体医薬や核酸医薬を例に出すまでもなく、既に超えてしまっているように思う。ただ、これを超えることはもともと医療に宿命づけられていることかもしれない。

根源的独占
その道具は、それ以外に代わるものがない状態を生みだし、人間をその道具なしには生きていけないようにしていないか?その道具を使う事自体を目的とさせていないか?
 医療においては、半永久的な定期投与を必要とする薬(例えば慢性疾患や遺伝子疾患に対する抗体医薬など)や、半永久的に装着を必要とするデバイス(例えばパーキンソン病における脳深部刺激療法)などは、これに該当するのかもしれない。
 いや、そもそも、自身が健康かどうか、病院で判断してもらおうとする者が多い、という状況が、すでに根源的独占状態なのかもしれない。

過剰な計画
その道具はプログラムされた計画どおりに人間を操作していないか?その結果、人間から創造性や主体性を奪い、思考停止させていないか?
 
医療においては、昨今の予防医学の過剰な推進はこれに該当するのでは?また、過剰な治療ガイドライン信仰もこれに該当するだろう。

二極化
その道具は人間を、独占する側とされる側、計画する側とされる側に分断していないか?格差を生んでいないか?
 
現代の医療はあまりにも専門性や医薬技術が進み、ブラックボックス化が顕著である。結果、インフォームドコンセントの体裁は整えているが、その内実は昔ながらのお任せ医療、という状況が蔓延り続けているように感じる。これはブラックボックスを覗き込むための努力を拒否する、怠る側の問題もあるかもしれない。

陳腐化
その道具は、すでにあるものの価値を「古い時代遅れのものである」と必要以上に切り下げていないか?常に新しいものを手に入れるように人間を駆り立て、新しいものは何であれよりよいものであると信じさせていないか?
 医療は完全に該当する。医療界の進歩主義は今も昔も変わりない。また、外部から進化を強要されているようにも見える。

フラストレーション
その道具は我々にフラストレーションや違和感を感じさせていないか?
その違和感は、コストと見返りのアンバランス、手段と目的のアンバランスに原因があるかもしれない。上記の5つの項目が現れ、第2の分水嶺を超える前触れかもしれない。
 医療に関して、私は特にこの3年間、違和感バリバリで医療不信に陥りそうな日々なのだが。感覚がマヒして、本来なら感じるはずの違和感を察知することができなくなっている人が多いかもしれない。

 少なくとも、医療はとっくに第2の分水嶺を超えている、と考えた方がよさそうだ。一体いつ超えてしまったのだろう?
 ヒトゲノムの解析が読解困難な8%を除いてほぼ完了した2003年前後に分水嶺があったとすると、大雑把に20世紀末から今世紀初頭あたり、としていいのだろうか?
 いやいや、ジュネーブ宣言👇が1948年に採択されていることを考えると、もう20世紀初頭には超えていたのかもしれない。だから「宣言」しなければならなかったのだろう。やはり、2度の大戦の影響が大きかったのだろうか?
 とすれば、超えてからかなりの時間が立つ上に、その間に何度か「ちょうどいいレベル」に戻そうと試みたが(ジュネーブ宣言をさらにup dateしたヘルシンキ宣言まで作成したにも関わらず)、結局戻れなかった、ということになる。これは難敵だ。
 
 ではどうすればいいのだろうか?
 医療技術の進化を抑制できればいいのだが、それはどう考えても現実的ではない。社会的コンセンサスが得られるとも思えない。とすれば、利用する側(患者)、進化する技術を提供する側(臨床)が、その技術にこれ以上管理・操作されぬように構えるしかない。(③に続く)

補:ジュネーブ宣言全文
医師の一人として、
私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に誓う。
私の患者の健康と安寧を私の第一の関心事とする。
私は、私の患者のオートノミーと尊厳を尊重する。
私は、人命を最大限に尊重し続ける。
私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病もしくは障害、信条、民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的志向、社会的地位あるいはその他いかなる要因でも、そのようなことに対する配慮が介在することを容認しない。
私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。
私は、良心と尊厳をもって、そしてgood medical practiceに従って、私の専門職を実践する。
私は、医師の名誉と高貴なる伝統を育む。
私は、私の教師、同僚、および学生に、当然受けるべきである尊敬と感謝の念を捧げる。
私は、患者の利益と医療の進歩のため私の医学的知識を共有する。
私は、最高水準の医療を提供するために、私自身の健康、安寧および能力に専心する。
私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない。
私は、自由と名誉にかけてこれらのことを厳粛に誓う。


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