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分科会医療系専門家の愚劣③

さあ、次はこいつだ。

一応頑張って読んでみたが、なかなかキツイものがあった。
②で取り上げた押谷氏の方がはるかにましだ。
まあ、こういう人間が世論に影響を与えていたというおぞましい事実を残しておくだけでも意味があるかな・・・

 昨年12月に私たちが見解を出したように、従来株よりも重症化しにくいオミクロン株になった後でも、新型コロナと季節性インフルエンザは同等とはみなせません。
 致死率だけを並べると、似ているように見えるかもしれません。
 しかし、新型コロナとインフルエンザで、致死率の算出に使うデータの集め方は違い、そもそも直接比較はできません。

いや、できない、じゃないよ。細かいところは無視してでも、比較しなければいけないんだよ。本当に視野が狭い人間だな。

一方、診断されずに亡くなるケースや医療逼迫(ひっぱく)などによる影響も想定した「超過死亡」をみると、医療の体制が、2022年の新型コロナの流行レベルを受け止め切れていないことは明らかです。
 オミクロン株になって、循環器疾患で亡くなる方が増えているかもしれないといった病態の変化や、明確な季節性が見えないということなどもあります。

ああ、超過死亡の原因、それで押し切る気なのねぇ。
オミクロン陰謀論」だな。

 すでに国内では「第9波」が始まっていると考えています。ただ、今後の流行の定量的な予測はとても難しいです。
 理由は二つあります。
 一つは、国内で置き換わりが進んでいる「XBB.1.5」というオミクロン株の亜系統が、どれだけ免疫から逃れて広がりやすいか、よく分からないという点です。
 もう一つは、緩和の中での流行がはじめての経験だという点です。

 なんか、日常のリスクを全て予測しなければ前に進めない、かのような口ぶりだが・・・
 この世界に予測できないことが、どれだけあると思ってるの?
 分からなくても、過去の類似の事象と比較して、判断するしかないでしょうが。予測できない事態の前では、ずっと立ち止まることが得策、とでもいうのかね?
 そんな非現実的なことを言ってるから、医療系専門家が切り捨てられたんだよ。
 進歩主義が病的になると、こういう発想になるのかね?傲慢にも程がある。

 一気に緩和をすると、感染者が増えるスピードは速くなり、流行の「波」のピークも高くなる。そうなれば、亡くなる人も増えてしまいます。
 5類移行は、科学ではなく、空気感で決まりました。
 これまで我慢してきた社会活動への希望が大きく、政府もそちらに「かじ」を切らざるを得なかったと想像します。
 ただ、もっとよいやり方があったと思っています。

苦笑するしかない・・・世間の空気感を利用して自己顕示欲を満たしていた人が、今更何を言っているの?
 特大ブーメランだな。

 ただ、後悔というか、もっとできることがあるのではないかと思うこともあります。
 緩和をするなら、どうやってリスクを小さくしながら社会活動をするか。政府がマスクを外すというなら、その外し方のタイムラインとかルールといった「絵」を私たちが描くこともできたはずでした。
 一方で、専門家の間でも相当議論をしましたが、「箸の上げ下げ」まで指示はしないということは、コロナ対策分科会の尾身茂会長の考えでもありました。
 いまのように空気感がつくられて、みなさんが「もう終わった」と思っていても、感染症のリスク評価をする立場からは、大きなリスクが残ったままなことが見えています。
 それでも、方針が決まるまでは、個人的に口を閉ざすことにしました

 記憶の改ざんも大概にした方がいいのでは?
 勝手に記者会見してまで、上から目線で世間にあれこれと細々と指示していたのは誰ですか?
 あと、口を閉ざしてましたっけ?
 「空気感がつくられて、みなさんが「もう終わった」と思っていても、感染症のリスク評価をする立場からは、大きなリスクが残ったままなことが見えています。」とは、まあ、見事な捨て台詞ですこと。

 全体的に言葉が軽いんだよな・・・結局、マウントを取りだけなんだなあ。意見を聞いてもらえなかったのが悔しいかったんだろうなあ。
 インタビュアーが悪いのか?いや、本人の問題だろうな。

 最後に、この記事に対する磯野真穂さんのコメントがあまりにもお見事なので、引用させていただく。

 西浦さんは、コロナ禍が始まって以降、複数の発言で注目を集めてこられました。最近では「うるせーばか」という、堀江貴文さんのツイートに対する彼のリツイートが物議を醸しています。  
 このような発言が、本記事で批判の対象となっている「空気」の醸造に貢献した可能性はないでしょうか
 西浦さんのやられているような研究は、高度に専門化されているため、専門外の人には到底理解が及びません。解説されたところで、その解説が正しいかもわかりません。
 その場合私たちは、発言の確かさを、その人が"信頼できそうか"に頼ります。 意見の違う人に対し、「うるせーばか」とTwitterでつぶやいてしまうような専門家のコメントを、どれだけの人が信頼しようと思うでしょう。  信頼しようと思うのは、西浦さんのスタンスにもともと共感していた人、堀江さんをもともと好ましく思っていない人のいずれかではないでしょうか。
 このような形の理解に「科学」はありません。 そこにあるのは、好きか、嫌いか、それだけです。 加えて育まれるのは、科学リテラシーではなく、社会の分断です。
 また、「空気」という言葉がインタビューでは出されています。「科学ではなく空気が決めたことがよくない」と結論づけるのではなく、日本語で言うところの「空気」の中身を、科学者が変異株を分析したように、精緻に分析すべきです。
 「空気が良くない」と他人事のように述べる人も、自分もその「空気」に巻き込まれ行動していることに気づくべきです。
 日本最高峰の大学で教鞭をとる教授が、このようなコメントをSNS でしてしまう。 それを可能にさせる「空気」も分析すべきです。
 そうでないと次のパンデミックの際も、「日本人は科学的思考ができない。なぜなら空気に影響されるから」といったお決まりの批判が繰り返されるだけでしょう。


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