自分にとっての優先順位②「自分の力量で変えられるか否か」「自分にとって重要か否か」の2軸

👇の続き、というか本題。

私は数年前から、物事の優先順位を下の2軸で考えることにしている。
自分の力量で変えられるものかどうか、それが自分にとって重要なものかどうか、の2軸だ。
ちなみに、この表はアンガーマネージメントで目にしたものを参考にしている。
そして、これ以上に分類するとややこしいので、無理矢理にでもこの4つの事象に振り分けることにしている。
なお、優先順位も番号通りである。

① 「重要」かつ「変えられる」

問題があるのなら、直ちに解決策を考える。何よりも優先すべきことだ。
その事象が「重要」でないかどうかを判断するのは、そんなに難しくないだろう。
一方、残念ながら普通の人生においては、「変えられる」事象そのものが意外と少ないかもしれない。
ならば、気力や体力、そして残された時間があるのであれば、そもそも「変えられるか否か」など考えない方がいいのかもしれない。なんであれ、自分にとって「重要」と思うことができるものに出会えたのなら、それは幸せなことなのだから、取り組んだほうがいい。
でも、残されたものが少なくなってきている人間は、考えなければならない。既に自分の力量もわかっているはずだ。下手に「変えられないもの」に手を出すと、日常が崩壊する。

② 「重要」だが「変えられない」

仕方なく受け入れて対応する。または逃げる。
しかし、前述したように、時間と力が余っているのなら、立ち向かった方がいい。その過程で行った思考錯誤と経験は、知恵を与えてくれるからだ。
そして、もし幸運にも「変えることができた」のなら、得られる実利はこの4つの事象の中で最も大きいだろう。「人生を賭けて追い求めるテーマ」と言われるものは、この事象の中に存在している。
でも、無理をしてはならない、日常を犠牲にしてまで立ち向かってはいけない、ということだ。

③ 「重要ではない」し「変えられない」

どうしようもないので放っておく。または立ち去る。
・・・と書いたが、たとえ重要でなくても「変えられないもの」に立ち向かう経験は、②で記したのと同様、決して無駄にはならないかもしれない。たとえ実利は得られなくても、知恵は得られるかもしれない。
とはいえ、自分にとって「重要」と思えないことに、どこまで思い入れることができるのか?結局ほぼ得るものもなく、中途半端に終わる可能性は結構高いように思う。
なので、できれば近寄らない方がいいだろうな。①ができて、②で「変えることができてしまった」人が、余興として関わるぐらいもの、と割り切るべきだ。

④ 「重要ではない」が「変えられる」

これは、4つの事象の中で最も気楽で与しやすいものだったりする。だから、意識的に後回しにした方がいい。または、深入りせず興味の対象としておくに留めるべきだ。
さらに、4つの事象の中で最もどうでもいい事だったりもする。
やってもらなくても、さして影響がないのだから、完全に無視するのも手だろう。

ここで文章のうまい人ならサクサクと身近な具体的を出せるのだろうが・・・論点がずれるのを覚悟で、コロナ対策禍の時の自身を振り返ってみることにした。
③に続く。



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