自分にとっての優先順位③2020年以降における自身の経験から

👇の続き。

まず、前提として・・・

私は無理が効かない。無理をすると、持病の双極性障害の振れ幅が増強する。調子に乗ると周囲に憤りと苛立ちを振り撒き始める。そして、その後にエンジン切れによる強烈な焦燥と抑うつがやってくるのだ。
コントロール不良だったころの経験から、それが自分だけでなく周囲を不幸にすることはよ~~~く分かっていた。

その上、禍を引き起こしたのは、世間であり、医療であり、国家であり、メガファーマだった。吹けば飛ぶような個人が相手にするには、規模があまりにも大きかった。しかも、いずれも自身の職業的アイデンティティに直接関わってくる存在であった。
なので、もちろん逃げてはいないが、「仕方なく受け入れる」か「抵抗してみる」かであれば・・・仕方なく受け入れていたことが多かったことは間違いない。

①「重要」かつ「変えられる」事象について

自身と娘(妻は強い人なので自分で守れる)の健康を、コロナ対策禍とワクチン(という名のmRNA医薬)禍から守ること、が全てだった。
呼吸器アレルギーも感冒症状もない人間が、空気の流れがある環境でマスクをする意味が当初から全く分からなかった。そもそも、ガス交換(酸素を入れ、二酸化炭素を出す)を阻害することが体に良いはずがないので、少なくとも屋外ではマスクは着けないようにした。
我が子にも、マスクを着用することが「当たり前」ではない、という常識を忘れてもらわないようにした。とはいえ、同調圧力に抵抗することを求めることは酷過ぎるので、休日だけでもできる限り親子で屋外で活動するようにした。
当然、ステイホームとかいう自発的自宅軟禁推奨は無視した。「社会的動物である人間にとって、自宅に引きこもることほど健康を害するものはない」という常識に従ったまでである。
病院内ならともかく、市中でアルコール消毒が励行されるのも意味が分からなかった(そもそも以前から、病院内で励行される過剰なアルコール消毒に対しては懐疑的だった)。日本は水は豊富なのだから、そんなに汚れていると思うなら、まずは流水手洗いをしたらいいのに、と思っていた。常在菌を無駄に殺すのも嫌だし、せっかく皮膚を保護してくれている油膜が無駄に取られるのも嫌だし、そもそもアルコールは人体にとっては毒なのに????だから、できる限り無視した。無視できないときは、消毒用アルコールを手に取った後、そっとふき取るか、手を洗ってアルコールを流すようにしていた。
ちなみに、我が子は「アルコールアレルギーであること」を貫いたし、貫いてもらった。
なので、私の家族はコロナ対策禍による被害は最小限に抑えれたと思う。

ワクチンという名のmRNA医薬についても、ただの感冒ウイルスを予防するだけの目的で、初めて臨床に導入される技術であるにも関わらず治験が適当、という危険な物質を接種する気にはどうしてもなれなかった。最も、以前はインフルエンザワクチンは抵抗なく接種していたので(現在は、インフルエンザウイルス感染予防にワクチンは無効、という結論に至ってしまったが)、もし不活化ワクチンだったら接種していたかもしれない。
無言の接種圧はあったが、同業者の妻も接種拒否の姿勢を崩さないでいてくれた(夫婦とも医師には珍しい反コロナ脳だったのが、本当に幸いだった)。
娘は当然ながら接種していない。させる訳がない。
おかげで、私の家族はワクチン禍とも無縁で過ごすことができた。

②「重要」だが「変えられない」事象について

もしかしたら違う方法を選択できたかもしれないことなので、反省も込めて示す。

PCRは、自身は職場で流行したときに一回受けさせられた。無症状だったので、当然、陰性だった。後にも先にも、PCRはこの時以外受けてないが、拒否してもよかったはずだ。無症状の人にPCRを受けさせることに何の意味もないことなど、わかっていたはずだったのに。
娘たちは2020年の末に保育所で流行ったときに一回だけ受けさせてしまった。無症状だったので、当然、陰性だった。時期的に、拒否すると保育所に多大な迷惑をかける状況だったとはいえ、娘たちに「家畜扱い」の目に合わせてしまったことは、今でも後悔している

また、娘たちはアルコールの毒からは守れたが、手を洗わされすぎて、特に次女は手荒れが酷かった。仕方ないので、皮膚科で診断書を書いてもらった。

マスクは屋外では外したが、屋内では仕方なく着用していた。屈辱感を感じつつも、諍いを起こしてまでマスク圧に抵抗する気力はなかった

ワクチンという名のmRNA医薬の接種を迷っている方には「そもそも予防接種は任意だし、日本のような国民の衛生状態と栄養状態が比較的良い国では『社会のために接種する』という発想は必要ないはず。」「今回のワクチンは今までのワクチンとは別のもので、将来的にどんな害があるかわからない。」「はっきり言って、今の状況はおかしい。」とアドバイスはした。でも結局、多くの方が接種してしまった。
最初から接種する気満々の方々には何も言えなかったし、言う気にすらならなかった。
結局、私ができたことは、最初からこのmRNA医薬に懐疑的だった方々の後押しか、リスクがあまりにも明らかな方々に接種を見合わせていただいたことぐらいだ。
職場である病院内の、mRNA医薬投与に対して積極的な姿勢にも、抵抗できなかった。変えることができる気がしなかった。私のできたことと言えば、募集されていたワクチンバイトには一切協力しなかったこと、ぐらいだろう。
職場においては、自身の心を守るのに手いっぱいだった。

インターネットで自身の意見を表明する際に、実名を出すことはできなかった。その後に身に降りかかるかもしれないことに対して、日常を守れると思えなかったのだ。もちろん、新聞社などに意見を送るときは実名を出していたが。
だから、意見広告運動のたけし社長をはじめとした、実名で活動されていた勇敢で行動力のある方々の後押しをすることはできたが、それ以上のことはできなかった。

③「重要ではない」し「変えられない」事象について

近親者をはじめとしたコロナ脳の方々の考えを変える気には全くならなかった。特に偉くもない個人が何か言ったところで、諍いが起こるだけだし、こちらが不快な思いをするだけなのは目に見えていた。その不快を乗り越えようと思えるほど、彼らに興味を示すことはできなかった。
私にとっては、妻と娘がコロナ対策禍、ワクチン禍に巻き込まれないことが最重要事項だった。

コロナ脳に陥った多くの人間に失望したし、信用もできなくなったが、どうでもいい。
反コロナ脳だったのに、ワクチン待望論や陰謀論など、どんどん明後日の方向に行ってしまった人々に関しても、どうでもいい。
「人生いろいろ」、出会いもあれば別れもある、というだけのことだろう。本当にどうでもいい。

④「重要ではない」が「変えられる」事象について

は・・・・相当する事象もあったはずなのだが、意識する余裕がなかったのか、または無意識に排除していたからなのか、思いつかない。
もっとも、「重要」ではないのだから、忘れて当然なのかもしれない。

こんな感じか?
具体例として適切なのかどうかよくわからないが、まあいいや。

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