進歩主義・健康信奉・長寿礼賛そして生命至上主義による「予防」の暴走

 long covid、いわゆる「コロナ後遺症」の話題に触れると、医師になりたてのころにポスター発表でみた「パーキンソン病(PD)の発症に過去のウイルス感染が関わっていた」という話題を思い出す。何のウイルスだったかは忘れた。ボルナ病ウイルスだったかもしれない。
 神経変性疾患の発症が過去のウイルス感染を原因とする説は昔から存在する。アルツハイマー病(AD)も炎症が関連していると言う説があり、ウイルス感染による慢性炎症の可能性が示唆されたりもしている。そういえば以前にNSAIDsがAD進行抑制に有効、という話を目にしたことがあった。ならばやはり炎症が関与しているのかもしれない。でも、高齢者がNSAIDsを下手に常用することのリスク(腎機能低下リスクなど)を考えると、とても実用できる案ではないと感じた。インフルエンザが関与しているという説もあるらしい。ほんまかいな?
 
 昨年、多発性硬化症(MS)とEpstein-Barrウイルス(EBV)感染の関連が報告された。まあ、MSが何らかの感染症を契機としている可能際が高いことは、この病気を知っている人であれば多かれ少なかれ考えることであろうし、EBVの中枢神経浸潤はよく知られていることなので、特に意外な感じはしない。実はEBVワクチンは開発されており、治験が開始されている、という。上咽頭がんとの関連が指摘されていたりもするが、成人の95%以上が感染し、ほとんどの人は無症状、時々伝染性単核球症を発症させる。昔から人間と共存してきた、ありふれたウイルスなのだが。
 
 ギランバレー症候群(GBS)のカンピロバクターやマイコプラズマ先行感染は有名だ、ウイルスではないけど。ならば似ているようで経過が全く異なる慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)にも先行感染がありそうな気がする。もしかしたら感染から数年後に発症しているのかもしれない。EBVのように多く人が無症状で経過するウイルスや細菌が関与しているのかもしれない。そう考えると、神経系のみならず全ての自己免疫性疾患が実は何らかの微生物が原因なのかもしれない。
 まあ、まともに医者をやっていたら誰もが一度は考えることなのではないか、と思う。

 疾患の原因究明は重要だ。当然だ。治療や予後予測に極めて有用からだ。でも、それが少し行き過ぎている感じがする。例えば、最近のADに対して抗体医薬を使用しよう、という流れには何とも言えない違和感を感じている。認知機能低下が発症した段階ですでにアミロイドβの沈着はかなり拡大しているという。だから、かなり早期の段階でないと加療効果が低い、という。ならば、この流れの行きつく先は「発症前診断」である。生理現象であるはずの「老化」がどんどん医療化されていくことを手放しに許容していていいのか?この医薬の利用は、明らかに家族集積性があるケースに留めるべきではないか?
 また、脳浮腫・脳出血発症リスクがどうしても気になる、特に高齢者に広く使用するにはリスクが高いように思う。ADは進行の個人差があまりにも大きいことも問題だ。そもそも進行には患者を取り巻く環境要因の影響がかなり大きい。どこまでが薬剤の効果なのか、本当に判断できるのか?脳内のアミロイドβが減ったことと認知機能改善を単純にイコールとして良いのか?そもそもアミロイドβ蓄積以外の要因もある、という説も少なくないというのに?ただし、若年性ADに関してはほぼ例外なく進行は早いので、この方々には例え認知機能低下がある程度進行した状態であっても使用するメリットはあるかもしれない。例え無効であったとしても。

👇より

 話が逸れた。
 要は、神経変性疾患の原因がウイルス感染だと証明されたとき、「将来、難病を発症しないために感染を防ぎましょう」、「そのためにはワクチンを接種しましょう」、という新たなキャンペーンが繰り広げられるのではないか?という懸念を感じているのだ。そして、私自身、またこんな戯言に付き合わされ続けなければならないのか、必要性が低いどころか実は毒物かもしれない薬物の投与を患者自身から希望されるのかもしれないのか、と思うと憂鬱になってくる。実際、最近のlongcovidに対する議論の流れをみていると、その布石ではないかとすら思えてくる。
 生命科学には、開けてはならないパンドラの箱、というものがあるのではないか?という以前あったはずの暗黙の了解のような歯止めが効かなくなっているように感じる。
 
 longcovidを理由にコロナ感染を恐れるという発想は、将来的な難病発症を予防したいがために感染を恐れる、という発想とリンクしているように思う。つまり、前者が一般化することで後者の発想が世の中に受け入れられやすくなり、新たなキャンペーンの種が生み出されたのではないか。感染予防を徹底すべき、という発想。そして予防に最も重要なのはワクチン接種である、という発想。
 「他者のため」・「社会のため」、という詐話による扇動が通用しなくなってきたので、「自分の将来のために」という扇動に全振りし始めたたようだ。
 実際、下の引用のようなことが言い出されている。

(前略)ウイルス感染症と神経変性疾患の関連がより重要視されるようになれば、医療関係者は神経変性疾患の発症を遅らせるための具体的な手段を手にすることになるだろう。これらのウイルスの多くにはワクチンが存在するとvan Duijn(引用者注 オックスフォード大学の遺伝疫学者、とのこと)は言う。「認知症は平均寿命に近づいたころに診断されるタイプが多いため、発症をほんの数年遅らせることができれば、多くの人は認知症を発症せずに寿命を全うできるかもしれません」

引用は👇

 思えば予防医学が喧伝され、人生120年とかいう珍説が世の中に広まり始めたあたりからかなり怪しかった。進歩主義と健康信奉と長寿礼賛と生命至上主義が高まることで、過剰な公衆衛生的介入が生み出されてきた。ワクチンによるすべてのリスクの排除という発想が市民権を得てしまったように感じる。ワクチンは圧倒的多数である「医薬に縁のない人々」を医薬の対象にすることができる打出の小槌だ。医療化、薬物化の究極の姿だろう。
 
 これからパンドラの箱が次々と開封されるのだろう。可視化されていくリスクに対し、世の中はどのように付き合っていくのだろう。今のままだと馬鹿の一つ覚えのようにリスクに過剰反応し続け、反応することこそ知的な姿だとする、臆病で自信過剰で愚かな群衆の姿しか思い描くことができない。
 
 医療産業を経済成長の重点施策として選択した先進国、生き残りを図るメガファーマ、成長を目指すベンチャー、研究を続けたい研究者、存在感をアピールしたい医療者。そして健康と長寿を求める人々、人々の欲求を満たす情報だけを報じるメディア。別にだれの思惑でもない。ただ、そういう流れがあるだけだ。でも、この流れはあまりにも大きい。
 
 私は、万が一のリスクを恐れて行動を制限し、異物を注入し続ける生き方などまっぴらごめんだ。
 そして、そんな医療モドキを提供することの片棒を担がされることも、ご勘弁願いたい。でも、勤務医が医療モドキと関わらないように生きていくのは、とても難しい。ささやかな抵抗を続けるしかない。でも、患者が強く望むのなら、提供するしかない。その判断は尊重すべきなのだろう。

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