我が子が言語発達障害と診断されるまで

子供は表出性&受動性言語発達障害 (Developmental Language Disorder ) がある。感覚過敏なところは自閉症スペクトラムによると診断もされている。

アメリカで生まれて、4歳まで周囲は英語環境だった。私はなるべく日本語で話しかけていたが、当時のパートナー(子の父)を含め周囲に日本人がいなかったので日本語に触れる機会は限定的だった。検診では言葉を発する遅れが認識されたが、小児科の先生は「多言語の家庭ではよくあること」と軽く流した。ネットで調べても「複数言語環境の子供は幼少期に遅れは出るがすぐ追いつく」と言った記載が多かった。「男の子は遅い」ともあったので、そんなものかと安心した。

よく笑う活発で好奇心旺盛な、本当に可愛らしい赤ちゃんだった。同時に人見知りも激しく、3ヶ月をすぎると私と父親以外の人が近づいたり抱っこすると大泣きした。私の母が日本から応援に来てくれたが一週間過ぎてもまだ泣かれてしまい、流石に諦めて帰国されてしまった。母親には申し訳なかったが「うちの子は賢い」ということにしておいた。音楽が好きで、ストリートミュージシャンを見かけると必ず立ち止まり、お菓子などで釣らないとその場を去ることができなかった。

パートナーと別れ、日本に帰国したのが5歳の頃だった。周囲の子供と比べ言葉の遅れが目立ってきた。真夏でも長袖にこだわったり、食べ物も偏食だった。悩んだ末、意を決して専門家に診てもらうことにした。駅から10分ほど歩いたところにある小さくて居心地のいいクリニックだった。検査にはまる二日間かかったが、先生が優しくゲーム感覚だったのか子供は案外楽しそうに通った。ランチの休憩時間に小洒落たカフェで一緒に食べたピザが美味しかった。

結果は「言語発達障害」と診断された。頭がずんと重くなり、そのあと冷たくなった感覚は今でも忘れられない。先生は特性に関して丁寧に説明してくれた。私にできることを提案してくれた時は無力でないとわかり有り難かった。子供の社交的な可愛らしさを思い切り褒めてくれた後には涙が止まらなかった。

落ち込んでいる暇も意味もない。愛らしく美しく可能性に満ちた我が子。母親として勉強を重ね、この子に最大限のチャンスを与えられるよう、力の限りつくすと心に誓った。




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