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日本行VSカウンターオファーのはざまで。

図らずして受けた転職活動で新しい会社からオファーを貰い、そして、シドニー行きのカウンターオファーを貰ったワタクシ。

今の会社に残りシドニーへ行くか、今の会社を辞めて日本に帰るか。
 
選択を迫られたのであるが永延に答えが出ないまま…
このまま時の流れに身を任せている場合ではない。
 
ワタクシがモヤモヤするのには理由があった。実は同じタイミングで、チームのアシスタントが辞めてしまい、3人チームだったのが2人になってしまったのである。そのうち一人がこのワタクシで、もう一人はNY出身の5か月前に入ったばかりの新人@とはいえ業界経験者でかつ相当仕事ができる人。
 
なので、会社としてはシドニーに移してもいいが、新しい人を雇い、最低3か月はトレーニングを行ってほしいというのである。
 
それだけ話を聞くと色々フェアに聞こえるかもしれない。
が、実際はもう少し複雑だったのである。
 
1,ワクチンパスの有効期限
日本はどうだか存じないが、そのころ海外ではもはや一般的にコロナを特別視するのは止め、ただの風邪扱いするようになっていたので、ワクチンの追加接種なんて話もなくなっていた。そこ行くと香港は3回目をこえ4回目、5回目の追加接種の話が色濃く出ているさなかでそんなワタクシもワクパスの残り2か月しかなく、それが過ぎると追加接種をしない限りどこの店にも入れない、髪も切りに行けない、社会活動一切不可の状況にあった。
 
2,住居の件
3か月日本に帰りリモート枠となった際、帰国前にアパートを解約しており、香港へ戻った時はサービスアパートに宿泊をしていたワタクシ。内定をもらった時点では残り期間は宿泊予定は、3か月となっており、それ以降は割増料金になるが、何か月契約していいのか、会社側からも「いつ行かせてあげる」という具体的な話があるわけではないので、次に住む場所で期間をどうしていいかわからない。
 
3,そもそも本当にシドニーに行かせてくれるの?
「カウンターオファー」と銘打った上司。しかし、やり取りはすべて口頭ベースで書面は一切なし。これは「いつか行かせてあげる」というだけで、そのうちうやむやにするんじゃ…と疑ってかかるワタクシ。「石橋は、叩き壊すためにある」。えぇ、石橋なんてあろうものなら壊れるまでたたき続け「ほらやっぱり壊れた!!」というタイプの人間である。
 
なので、本当にそっちを選んでいいのかわからなかったのである。
 
結局悩みすぎて困りはて、
「じゃあ、ワクパスの問題と住居の問題がすんなり進むならこれを『ここに残りなさい』という印として理解する」と訳の分からない決断を宇宙に託すことにした次第である。
 
すると、ワクパスはあろうことかすんなり期限の延長が通り、住処についてはワタクシがサービスアパートを出るタイミングで、6年来の友人のマレーシア人友人が「ルームメイトが出ていくのでもしよければルームシェアをしないか」とオファーが来たのである。
 
…これはもはや自分が宇宙に投げてしまった手前、断るわけにもいかなかろう…
 
そう思い、四の五の言わず残ることにしたのである。
 
 
・・・が、
 
その後、穏やかではない日々が続くことになるのである。
 
日本からのオファーを断って以降、上司からの風当たりが若干冷たくなった気がしたのである。それはそうだ。一度は会社を裏切ろうとしたワタクシを快くは思うまい…。
 
また、新人の採用については、その後数か月にわたり、新人は全く入る気配がなく、そのまま年末に向けた繁忙期が始まるのである。ただでさえ大変な時期、本来3人でやる仕事を2人で担当する羽目になり、四苦八苦するワタクシ達。気が付けば夜中まで残業という日々が続き、
 
ワタクシは本当に正しい選択をしたのだろうか」と自問自答せざるを得ない日々が続く。
 
おまけにそこに、日本マーケットの案件が畳みかけるように入り、すでにキャパオーバーのところに追加の仕事。なのに色々ダメ出しを食らったり感謝されるわけでもなく、ものすごく不公平に感じた次第である。
 
とどめに、「次のキャンディデートは日本語が話せるアメリカ人だ」など、ひそかに「日本語を話せる人を探して、採用が決まればワタクシを追い出そうとしてるのでは…」という恐怖が付きまとった。
 
また、どんなに忙しくとも、ワタクシがシドニーへ移ろうものならその上司と同じオフィスで働くことになるので、「こんな奴やっぱり呼びたくない」って思われるわけにはいかないと、相当無理して働いた記憶がある。これだけ仕事を頑張ったのは受験生の時以来なのではなかろうかと思うくらいとにかく気が狂ったように命がけで仕事をつづけた。
 
が、しかし、そもそも、新人が入らず。
 
そうこうする間に8か月経っても新人が入らず…そんな折「よもや、この会社は3人分の仕事でも2人で回すのがデフォルトと思っているんではなかろうか」と思うようになり、また「カウンターオファーの件も忘れてくれたら…」と思っているんではなかろうかと思った。
 
しかし、ワタクシもワタクシで…実はよろしくないところがある。
 
それは、、、
 
「シドニー行きを決めた!」と言いながら、「じゃ、いつ行くの?いつ行きたいの?」と本格的な事を考えたおり、「え、、えーと、、、来月とかじゃ早すぎるし、6か月後~とかだと遅すぎる気もするし…えーと、、、ええと・・・」といつまで経っても覚悟が決まらないのである。
 
引き寄せの法則があるなら、何も引き寄せられまい。
 
しかし、、、これもどんな宇宙の意志か知らんが面白事が起こる。香港のボーダーが開いたのをきっかけに3年ぶりの海外出張が入ったのだがその最初が何とオーストラリアだったのだ。
 
自分では一切何も決められなかったこのワタクシが「じゃあわかりやすいようにワクパスと住居の件はどうにかしてあげるから残りなさい」と言われたり、「3年前に良いなと思った気持ちが本当かどうかわからないというなら、もう一度見てきなさい」と言わんばかりに出張を入れられ、ケアンズ、メルボルン、そしてシドニーへ2週間ほど行く機会を与えられた。
 
 
そこで再度「ああ!やっぱりここだ!」と確信を持ったワタクシ。
 
改めて、上司と話をして「あの時の話…なんだけど」というと上司は若干「ギク」っとした顔をしたように見えたがポーカーフェイス。
別に敵対するでも文句を言うでもなく、ごくごく素直に「今回ここにきてみて、やっぱりここで自分の可能性を試したい」と改めて素直に伝えた。
 
その後、ほぼストップしていたんではないかとも思われる新人採用も再開し、今年の3月にめでたく採用。
この新人が辞めないでくれれば3か月後にはワタクシのリロケーションの手続きが始まるという運びになったのである。
 
…ここまでのプロセスでざっくり1年である。
我ながら良くもまぁ、あきらめもせずここまで来たものだなぁと思う次第である。

…そんなわけで香港脱出を企てはや1年強、未だ香港でスタックしたままのワタクシなのであったが、そろそろ出口が見え始めた今日この頃である。

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