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2021/05/01 [創作] 鬼ごっこ①:邂逅

「ふわぁあ、、、」

あくびをしながら手元の鍵を開けてアパートの自分の部屋のドアを開ける。空は明るさと暗さが半分半分くらいで混じった色をしている。これが夕方で、これから楽しいアフター5が待っているとしたらどれだけテンションが上がるだろうか。アフター5はアフター5でも、今は「午前」5時を回ったところだ。

結局先週から作っていた資料は最初のプレゼンで大ゴケし、作り直しになった。先方が「イメージしていたものと世界観が違う」という多少の修正ではどうしようもないような言葉がプレゼン直後の先方社長のコメントで上がってきて、その場の空気はそれまでとは一転して夜の学校のようなおどろおどろしさになった。あまりにもその空気が私の周りを包むものだから、私は普段から気をつけている「口を開けっぱなしにしない、広角はあげる」というプレゼンモードの仮面をどこかに落とし、そのまま部屋を出るまで拾えなかった。

先方の担当者も目を合わせていたのでその場は想定外のことだったのだろうが、その後フォローもないということはいつものことなのかもしれない。

周りのみんなは新しいメンバーの歓迎会に行っている中、一人で会社に残り資料を作り直しはじめた。明確に立候補して「私がやります」と言ったわけではない。ただ、そのプレゼンの帰り道、誰もがこの提案の話をしなかった。スッと引いていくみんなを後ろから見ながら、ファイルを開きっぱなしで帰ってきたパソコンを開けて、黙ってそのまま編集を始めたらこの時間だった。ワープしていた。

説明の間の社長の頷きはなんだったのか。

あれだけ先方担当者に確認を取ったのはなんだったのか、社内確認で方針をすり合わせた時の一体感はなんだったのか。

これは今期で一番手応えがある提案だと思った自分はなんだったのか。

験担ぎでお昼に食べたカツ丼の味はもう思い出せない。

結局ほとんど資料は修正されないまま帰ってきた。提案の軸になる部分が揺らいだせいでちょっとの修正ではいけないことはわかっていた。ただ、それ以上に自分の中の「勘違い」がぐるぐると回って気持ちが整理できなかった。

かといってお酒で忘れられるような気分でもなかった。結局は現実に引き戻され、辛くなる。そんなことになるくらいだったら一緒辛い現実にそのままいたほうがマシだ。


脱いだ靴は揃えず、そのままにして、とりあえずコンビニで買ってきた弁当と野菜ジュースをテーブルに置いた。

「ああ、またやっちゃった、、、」

言葉にならない言葉が無音の空間にそっと漏れた。そしてカビが生えた食パンをゴミ袋に入れた。

忙しい仕事、一人暮らしながらもゴミ出しはちゃんとしているので部屋の中は比較的綺麗だ。ただ、その分生活感もなくて、帰ってくるたびに自分は生きているのか死んでいるのか不安になる。


綺麗にビニールが開かないコンビニ弁当とうまくストローが刺さらない野菜ジュース。

「ああ、もう全部いやだ」

ドラマならここで涙が溢れて壁にものでもぶつけそうなものだが、そんな気分にもならず、twitterと漫画アプリを行き来しながらとりあえずお弁当の魚の切り身を箸で口に突っ込んだ。惨めな自分に浸るような歳でもない。そんな気力もない。


そんな中、目の前にふわふわとした物体が通り過ぎた。

なんというか、野球ボールに円盤状の羽がついているようなおそらく金属の物体。ただし、表面は艶消しの黒色で、無駄に重厚感もあり、浮いているだけでその異質さが際立つものだった。

通常の精神ならびっくりして腰を抜かすところだろう。ただ、なんだか懐かしい気分になってその場でその不思議な物体を目で追い、少しの間箸が止まっただけだった。

「ついに幻覚まで見るようになっちゃったか」

確かにここ1ヶ月はまともに寝てないし、残業は過労死ラインを軽くオーバー。通常の精神ならびっくりする、とは思うが、そもそも通常の精神ならこんなもの見ないだろう。

(今日も別に休みじゃないし、さっさと食べ終わってシャワー浴びよう。仮眠とる時間がなくなる。)

脳死した状態でとりあえず通常運転の行動を取ろうとしたところで微かな音が聞こえてきた。

「・・・こんにちは。」

それは確かに挨拶だった。その不思議な物体から聞こえてくる。

「こんにちは。ご機嫌いかが?」

何を言っているんだろうと自分でも思ったが、なんと私はその不思議な物体に話しかけている。

「・・・びっくりしたな、、、びっくりしないなんて。」

声のトーンは本当に驚いているようだった。焦って噛みそうになっている。

「先に挨拶してきたのはそちらでしょ。」

「そうだけど、そんな反応は想定外だった。あなた変わってるね。」

「変わってる」という言葉は別に嫌いじゃなかったが、突然知らない何かに言われたらよくわからない感情になる。

「自分の夢の中や幻覚ならもうちょっと自分にやさしくてもらえないかな。私だって別に戸惑っていないわけじゃないし、変わってるって言われても嬉しくないな。まあ別に褒めてるわけじゃ無いでしょうけど。」

「いや、よかった。必要以上に驚かれてしまうと説明や後の対応が面倒だ。」

落ち着きを取り戻したのか淡々とこちらに向けて話を進める。

「お願いがある。助けてほしい。」

そのよくわからない物体は少し語気を強めて言った。

「はぁ。幻覚に頼み事されるなんて私の人生どうなっちゃうんだろう。世の中にはもっともっと大変な人がいるはずなのに、これくらいで参っちゃうなんて。でも今日は定例あるから休めないしなぁ。」

内心じわじわと怖さがやってきたことを振り払うように、強制的に自分の通常運転に切り替えていこうとする。

当然、その冷静な声は割って入ってくる。

「無視しないでほしい。この存在は別にあなたの幻覚でも夢の中でもない。そしてこれはあなたの人生にも関わってくる。ちゃんとお礼はするし、話だけでも聞いてくれないか。」

「内容はよくわからないけど、どうせほしいものもないし、面倒な感じがするからどうかな。今会社に行く準備で時間ないし。寝たいし。」

最近「断る力」を大事にしようと誓ったばかりだった。一つ一つに首を突っ込みすぎて自滅していく自分をたくさん見てきたからだ。そもそも得体の知れないものにお願いされてはいわかりましたとはならない。

その不思議な物体はまた焦った口調で話し出した。

「いやそんなちょっと待って、、、あなたにとってはそんなに難しくないはず、、、あ、そうだ、先にお礼の話だけど、、、」


「時間を戻してあげるよ」


そう言った瞬間、さっきゴミ袋に入れたパンの袋がこちらに飛び出してきた。恐る恐るそれに目をやると、そこにはさっき捨てたパン。ただし、一切カビなどはなくなっていた。買ってきた状態のものだ。

私はお弁当を食べ終わって洗面所に向かおうと立ち上がったところを座り直す羽目になった。


(つづく)

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