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岩場から墓場への道

御前山の山頂からの下った先は墓場だった。細い登山道に貼り付くように尖った岩場を慎重に下った。登山道を示すために張られたロープが頼りだった。片手でロープ、空いた手で尖った岩を包み込むように握った。右足で岩を踏みつけて、安定していることを確認できたら、慎重に左足を進行方向の足場が確保できそうな岩に移動する。それをひたすら繰り返した。山道から舗装された道路に辿り着いた時に線香の薫りに気づいた。城山はホッとした。そして、眼の前に並ぶ墓石と卒塔婆の列に無意識に手を合わせていた。
墓場の横を通り過ぎるさて、駅へと向かう下り坂で彼は「岩場から墓場へと続く道」について考えていた。人気がなく、静かな道。哲学的な思索をやりたくなる道。見えないものが見えそうな道を駅まで歩いていた。
彼の目の前には登山服を着て、スティックを持っている集団が見えてきた。ハイカーのマナーに従って彼は挨拶をした、相手も挨拶でそれに応えた。そして、「どちらから来たの?」と彼は聞かれた。
「墓場からです。」と答えたあとに彼はしまったと思った。
「そうね、墓場からね、」と相手は笑っていた。城山も笑って誤魔化して駅への道を急いだ。
無事に自宅に戻った彼は部屋着でテレビのニュース番組を見ていた。政治家が囲みの記者会見を受けている様子を放送していた。
「お世話になった方や地元ニュース残した家族への様々な影響を勘案して、東京のアパートに蟄居していました。」
彼は女性スキャンダルが週刊誌で報道されたばかりだ。記者は素早くそのことに切り込む。
「寂しさと欲望です。休息のない追い込まれた生活が今回の事態を招いたと反省しております。今後はその状況を改善していく必要があると痛感しております。」とその政治家は言った。
城山には蟄居中に想定問答を繰り返していたとしか思えなかった。彼の回答は正直過ぎたのだろう。記者が「どうしてあなたはそんなに正直にお答えになるのですか?」と間抜けな質問をした。政治家は神妙な顔つきで言葉に詰まった。想定外の質問だったのだろう。彼は呼吸を整えて、言葉を絞り出した。
「やっちゃったことは確かです。なかったことにはできない。いや、したくありません。私はやっちゃいました。」とおそらく想定外だったであろう質問に正面を向いて、しっかりと答えた。「やっちゃった」とかつてテレビで発言した芸人がいた。その男はフランス政府から外国籍の人物としては最高位のドゴール勲章を叙勲された。城山には久し振りに聞く言葉だった。
城山は刑事が勤め先にやって来て、事情を聞かれた時のことを思い出した。名前、住所、不審な人物を目撃しなかった?と聞かれても事件の事も知らなかった彼は刑事ドラマのように当たり障りのない「何も気が付きませんでした。」と答えるしかできなかった。
刑事は「当たり前ですね。」といった顔でその場を立ち去る、彼がホッとしてひと息ついたときにその刑事が彼の方に振り向いた「敦さん。あなたは通勤はバスですか?それとも電車?」
「電車とバスです。」と彼は言葉に詰まりながら答えた。想定外の質問だった。事前に名前をフルネームで答えていた。しかし、下の名前で呼ばれるとは思わなかった。全く罪のない受け答えを彼は「やっちゃった」と思った。その刑事は彼の顔を観察しながら、軽く笑っていた。城山にはそう見えた。あれは何かの確認だろうか?犯人が無事に逮捕されて、スッキリしないまま事件は解決、捜査本部も解散した今となってはそれは分からない。スキャンダルを起こして、騒がれている理由を「やっちゃったから、しようがない」と説明した政治家を城山には責められなかった。
テレビの放送画面は切り替わった。スタジオからコメンテーターがいつも通りの顔でコメントする。
「正直にお話されているようですけど、問題の深刻さに対して、〈やっちゃった〉とは如何なものでしょう」と大人の顔で彼は発言した。城山にはそのコメンテーターの顔が緩んでいるように見えた。
連休中に城山はように岩場から墓場までハイキングをしていた。その頃に春の海岸で花火を楽しんていた人物もいただろう。岩場は他人の顔を深刻にする。海岸の花火は他人の気持ちにゆとりを与える。スキャンダルを起こした政治家が批判されるのはしょうがない。しかし、城山が彼を批判することは「何かさ、やっちゃってるよ。」と指摘されそうで彼にはできそうもなかった。
#小説


  

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