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解錠師の手(詩)

 解錠師の手  丸田洋渡


 鍵

鍵のモチーフは多用され、希釈されることにのみ意味があった

 雲

雲は何かに喩えられる しかしその何かを前にして、雲に喩え直すことはしないだろう/元に戻らないことにのみ意味があった/できていく雲の洞に、溶岩と水銀を思い出していた/彼 の残像が写真になって それが無数に複製されたあと、度重なる放棄によって一枚へと戻っていった/雲を背にして 彼が言うことには/聞こえていた図書館が、聞こえなくなって、見えなくなって、喋れなくなって、食べれるようになってから、立てるようになって、ようやく見え始めて、聞こえるかと思ったら、雲のように流れた ということだった

 図書館

いくつもの部屋で構成されていることが誇りだった/最後に締める人は、ドアの前で想像する、というルールがある/すべてのカメラに映ることなく隠れていた子どもは、本を読みながらぱりぱり食べて、飲み込んでいた/活字が喉を通るときに内容を理解していた/私家版はおいしい/明日までに子供は理解するだろう/あらゆる鍵の形状とその意味、/あらゆる詩の形状とその意味、/それらがほとんど共通していることを

 解錠師

解錠師は親しい友人をできるだけ集めて、ひとつの大きな鍋で食事がしたかった/関わりのない人にも、大きな手紙を送って、鍋の作り方を募った/その夜が来るまでに、作る必要があった/汗が流れるなら、そのための水が必要だった/できるだけ、考えない必要があった/できることは、思い出す必要があった/なめらかな月がのぼる/ひとつ息をして、解錠師は目を瞑りながら両手を空中にさしだして、そこにない錠を空想した/可能な限り難解な錠を/そして一つ一つ丁寧に解き明かしていく/照らされた手が、耳を動かして、体が一点に向かっていった/自分がしてきたことの全てが、ある一点に向かっていく感覚をもって、/大きな鍋を作るべきであると思った

 妖精

頭のなかの水が流れて、それが布に垂れていく/それを見続けていた人が、耐えきれなくなって絞りに行った/絞った水が、頭のなかに流れていく/その繰りかえしで疲れていた/妖精はそのとき電気のように通過して、電気はそのとき妖精のように走った/うつくしいコンビニの砂時計が雑誌のうえで破裂する/逆さの天丼が時計台の針で休息する/丘が聞こえて三重にかかった鍵が見える/見えるものが聞こえないとき、見えないものが聞こえ始める/妖精は蝶とすることが同じで、吸水のために群がった/頭が本のように開かれる苦しみのなかで、妖精のような電気だけが、その人にとっての頼りだった/粉/あたらしい性標を目の裏で見ながら、回らない頭で水っぽい妖精の笑みを記憶した

 手

子どもは、伝記が喉を通っていくとき、自分の手の小ささに驚いていた/蜻蛉が指に止まり、さっき食べた詩の中で相応と思われるものを話した/風の中に手を入れると、水の中に入れたときのようだった/頭が鮮明になっていくにつれて、分からないことが分かっていった/書くことの意味は分かっても、それを書き直す意味は今は分からない/鍵をする意味は分かっても、それを解く意味は分からない/それに、/いずれ解かれるためにする鍵というのは、鍵のことを見損ないにいくようなものだと思った/しかしそれはまだ食べ足りていないだけかもしれない/意味が透けてきて、手が自分のものでは無いような気になってくる/自分にとってのひこばえのようだと感じると、手は、そうではないと答える/自分から、何が無くなったら、自分ではなくなるのか、まだ自分では分からない。/未来から昂る食欲/子どもには手よりも口の方が必要だった

 図書館

図書館は移設になり、跡地は雲の溶岩で荒れていた/大きな電柱が一本だけ建てられたあと、波のように業者が襲って、遠く遠くに新しい図書館が生まれたようだ/風の噂で聞いたことには、新しい司書が猟奇的で(猟奇的であるということにはまっていて)、鍵の仕様がおかしいらしい/司書は、いくら叫んでも聞こえない部屋がたくさんあるのが誇りだった/叫び声は、本に吸い込まれていくから/誰が殺されても/どう殺されても/静かに区切られた部屋がたくさんある限りで/雲に乗って司書の笑い声が聞こえてきた/解錠師はいやな気持ちになり、しかしそれを顔に出すことはせず、持ってきた自慢のカメラで雲の溶岩を撮影した/本も叫ぶのではないか、と彼は思った/錠の仕掛けが正解に近づくときにたてる音、あれは/図書館は本の声が聞こえる人にはきっと入れない/聞こえすぎる人、に会ったことがある/それは幼い子どもだったが/彼は私よりも数百年分の苦しみを歩いているに違いない

 手

解錠師は仰向けになって、自身の少し先の未来について考えた/これから眠ろうとするときに、眠りについての思索をしないのは何故だろう/得体の知れない眠りというものに、全身が傾倒する恐ろしさ/夢が、足音を立てて近づいてくる/招待した友人がとびきりの錠や金庫を持ち寄って、私の手に羨望の視線を寄せる/しかしその手は既にミトンの中にあり、大きな鍋をテーブルへと運んでいく/みんなは悲しい目をしている/心配はいらない/頭は鍵のことを考えているから/動きと思考は一致している訳では無いから/鍵は解かれるために無いから/夜の網戸の向こうの空で、雲がぎっしり動く/解錠師が懲りずに作りだした空想の錠に手を伸ばすとき、カメラの死角で子どもは難しい本を食べている。


20230722

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