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Underneath the Letters (詩)

 Underneath the Letters  丸田洋渡


  鍵は開いていたから勝手に入った。入って内側から鍵をかけた。
  彼/彼女の部屋は大量の紙で埋まっていて、その全ての紙に文字が書いてある。私は足許の一枚を適当に手に取って、声に出して読み上げた。

妙に懐くカラス。SF小説は今日でようやく佳境に入った。

  彼/彼女は微動だにしなかった。彼/彼女は壁に向かって置いてある机に、壁に向かって座っていた。勝手に入ってきた私が、誰だか分かっているとはいえ、振り返って確認すべきだった。私はもう一枚手に取って、同じように読み上げた。

明後日は架空の誘拐を行う。明明後日は架空の自首をする。

  文字の印象は紙によって異なっている。文字は全て黒だが、濃さ、大きさ、書体まで、全ての紙によって書き分けられている。意図したかどうかまでは分からない。
  私は、これらの文字は全て作品であると判断した。それは、文字のこともあったが、その内容の方に特徴があったからだ。次に手に取った紙でそれがはっきりと分かった。

淡水魚。懐中時計を巡って潜水艦に起きる殺人

  私がそれを読んだとき、彼/彼女は少し肩を動かした。その反応が嬉しくて、私は敢えて、意地悪に、(特に''三句目''に注意して)リズムを強調して読んだ。すると彼/彼女が振り返って私の方を見た。私も彼/彼女を見ていたので、目が合う形となった。つまりこれは、「短歌を書いてるの?」

ぼくたちは不幸きっかけで出会った。かざぐるまはそよ風で狂った。

  彼/彼女はすぐに壁の方に向きを戻して、また文字を書き始めた。私はもう、五と七のリズムでしか読めなくなった。どう見ても短歌が書かれている。この部屋にある紙の全てに、短歌が書かれている。これは一体どうする気なのだろう。まとめて本にでもするつもりなのか、ごみとして捨てるつもりなのか。もし捨てるなら、燃えるごみになるだろう。紙は燃えるだろうが、文字は燃えるだろうか。文字が燃えるとして、短歌は燃えるだろうか。燃え残りそうだ、と壁と地面を見回して思った。私は少しずつ彼/彼女に近づいて、一番新しく捨てられたであろう紙の、文字の、短歌を読んだ。

殺されかけた。電車の中で。駆け抜けた。連続している違う車両へ。

  私は、「駆け抜けた」は詩的な言い方だと思った。「逃げていく」とした方が自然だから。そして句点が、そのスピード感を演出していると思った。だから、「駆け抜けた、は詩的だね」と言った。すると彼/彼女は、振り返ることなく、手を止めることもなく、「そう、」と言った。そして直ぐに言葉が付け足された。「でも、それは短歌じゃないから」

証明写真より良い写真なんて山ほどあるから遺影は選ばせて

  短歌じゃない? それは無理があると思う。 じゃあこれは、この膨大で無数に書かれた五と七のリズムで書かれた言葉は、何なのか。時折逸脱する六や八をどう説明するのか。「現実にあったことを書いているの?」「そういうことでもない」「じゃあ何?」私はいつの間にか、苛立っていた。自分が発した声が、壁で跳ね返って、それが震えているのを聞いて、初めて自分が苛立っていることが分かった。それくらい、自分のことが分かっていなかった。「そう急がなくても……」と言いながら彼/彼女はゆっくりと椅子から立ち上がって、少し悲しそうに「座ったら分かるよ」と言った。悲しそうに思えた、その理由すら分かっていないままその声に従って、椅子の横に立った。彼/彼女は、すたすたと紙を踏んで私から離れていき、鍵を開けて外に出ていった。行くなら一言くらい言ってくれればいいのに、と思いながら、私は静かに椅子に座った。そして、彼/彼女が言っていたことが、一瞬にして正確に理解できた。

  全てが文字の下にある。

全てが文字の下にある。全てが文字の下にある。全てが文字の

下にある全てが文字の。下にある全てが文字の。下にある全

全てが文字の下にある。

文字の下にある全てが。文字の下にある全てが。文字の下にあ

  後ろで鍵が閉まる音がして、時間というものを思いだした。そして、部屋を、部屋にある奥行きを、部屋には奥行きがあるという事実を、同時に思いだした。私が知っている人であるような気もするし、全くの他人であるかもしれない。私は怖くて振り返られなかった。
  もうひとつ怖いことがある。それは、私が茫然自失の間に書いたであろう文字が、「読まれる」ということである。それも、リズムに合わせた……短歌のように……声を変えて……背後の彼/彼女が紙を拾う音が聞こえる……ああ……読まれる……背後の彼/彼女が息を吸う音が聞こえる……ああ……読まれる……声を変えて……。

  ああ、全てが……私の全てが……文字の全てが……短歌の全てが……全ての短歌が……全ての文字が……全ての私が……解読されてしまう……。彼/彼女の息が、声帯を通り、音に、そして声になるその一瞬前に私は安心する。安心が私に間に合った。大丈夫だ……。全ては、文字の下にあるから。


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