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神社の社格で番付編成した!-解説 七道編①-


ご挨拶

こんにちは!
「神社の社格で番付編成した!」の第4回です!
今回は七道方の上位に番付された神社を解説したいと思います!

解説 七道編①

横綱:宇佐神宮(西海道-豊前 大分県宇佐市)

社格等:名神大社、官幣大社、勅祭社、二所宗廟、一品、豊前国一宮
神社界の最大勢力、八幡神社の総本宮がこの宇佐神宮です。
石清水八幡宮同様、伊勢の神宮と並ぶ二所宗廟として崇敬されていました。通常の神階ではなく品位という皇族用のものが授けられていたり、天皇即位に際して行われる一代一度の大神宝奉献では神宮に次ぐ扱いだったり、天皇の代替わりの度に宇佐使という勅使が派遣されてたり、現代でも勅使が参向したり、参拝の仕方が二礼四拍手一礼だったり、とにかく特別な扱いを受けてきた神社ですね。その圧倒的な権威は宇佐八幡宮神託事件で皇位継承に関与したことからも窺い知れますね!
また、国宝である当社の本殿は八幡造と呼ばれる全国的にも例が少ないもので、特別拝観ができるときは是非ともおさえておきたいポイントですよ!

宇佐神宮 勅使門。後ろの本殿は改修中でした。(2014年当時)
宇佐神宮 呉橋
宇佐神宮 菱形池

大関:鹿島神宮(東海道-常陸 茨城県鹿嶋市)

社格等:名神大社、官幣大社、勅祭社、正一位、神郡、四方拝、常陸国一宮
延喜式神名帳に神宮号で記載された3社のうちの1社がこの鹿島神宮です。
祭神のタケミカヅチはオオクニヌシに国譲りを迫ったり、東国を平定したことで有名で、武神として信仰されています。東国において最も重要な神社で、常陸国鹿島郡を神郡として与えられていた他、延喜式では数少ない地方の官幣大社とされていました。古代の常陸国南部には香取海という内海が拡がっており、鹿島神宮はその北側に鎮座する地政学上の超重要拠点、すなわち東国平定の前線基地だったことが予想されます!朝廷との繋がりが強く優遇されるのも必然で、有力貴族である藤原氏とは特に強く結びついていました。あの中臣鎌足の出生地を常陸国とする説もよく知られており、当社の近くには鎌足神社が鎮座しています。
境内の奥には奥宮や要石、御手洗と呼ばれる池等見所がたくさんありますので、拝殿で参拝後は隅々まで見て回るのをお勧めします!

鹿島神宮 本殿
鹿島神宮 奥宮
鹿島神宮 御手洗

関脇:香取神宮(東海道-下総 千葉県香取市)

社格等:名神大社、官幣大社、勅祭社、正一位、神郡、四方拝、下総国一宮
延喜式の神宮といえば内宮と鹿島神宮、そしてこの香取神宮です。
当社は鹿島神宮と対になる神社で、国譲りや東国平定といった武神としての性格、神郡をはじめとした朝廷からの数々の優遇措置、藤原氏との強固なつながり等、ほぼ同じ立ち位置にあります。香取海の南側に鎮座する当社が、前線基地たる鹿島神宮の後方を固める重要拠点であったのは容易に想像できますね。両宮はこの重要な役割の為か、朝廷より毎年鹿島香取使と呼ばれる勅使が参向していました。
当社の拝殿は全国的にも珍しい黒いもので、一度見たら忘れられない存在感がありますよ!
※当社と鹿島神宮はほぼ同格の神社ですが、古代における神階の昇位が鹿島神宮の方が早かった為、このような番付となりました。

香取神宮 拝殿
香取神宮 参道
香取神宮 鳥居と総門

小結:熱田神宮(東海道-尾張 名古屋市熱田区)

社格等:名神大社、官幣大社、勅祭社、四方拝、三種の神器奉斎
三種の神器のひとつ、草薙の剣を祀っているのがこの熱田神宮です。
古代に当社の宮司職を世襲していた尾張氏は有力な地方豪族で、何人もの皇妃を輩出したことで知られています。壬申の乱では大海人皇子(天武天皇)を支援したことで家格をさらに上げ、それに伴って当社の扱いも非常に高くなっていったものと推測されます。明治維新後に社格制度が整備されていくと、当社は三種の神器を祀っていることから伊勢の神宮と同格とするよう政府に請願しました。もちろんこれは却下されましたが人員配置等の面で神宮に次ぐ待遇を獲得し、大いに存在感を発揮しました。ただ、この頃に社殿を神明造(伊勢の神宮と同じ)へ建て替えてしまっており、尾張地方独特の尾張造を放棄してしまったのは残念に思います。(私個人の感想です)
広大な境内に多く鎮座する摂社・末社のいくつかは式内社であり、その社勢の凄まじさが窺い知れますね!

熱田神宮 本宮
熱田神宮 摂社・別宮八剣宮
熱田神宮 摂社・上知我麻神社

前頭筆頭:出雲大社(山陰道-出雲 島根県出雲市)

社格等:名神大社、官幣大社、勅祭社、神郡、出雲国一宮
伊勢の神宮と並ぶ知名度抜群の神社といえばこの出雲大社ですね!
国津神の総帥ともいわれるオオクニヌシを祀り、日本書紀や古事記にも創建の経緯が記される圧倒的古社です。日本のほとんどの地域で旧暦の10月を神無月と呼ぶのに対し、神々が集う出雲では神在月と呼ぶというのは広く知られていますね。当社では旧暦10月10日に神迎祭を実施し境内の十九社という社殿を宿所として全国各地の神々をお迎えしているそうです。これらは当社の御師が全国に行脚して広めた語源俗解ともいわれますが、それが事実だとすれば優れたブランディングの成果ともいえ、ビジネスにおけるご利益もありそうな気がしてしまいますね!
私が行ったときは平成の大遷宮の最中でしたので本殿を見ることはできませんでしたが、現在は綺麗になった本殿を参拝することができますよ!

出雲大社 御仮殿。後方に遷宮中の本殿があります。(2010年当時)
出雲大社 西十九社。同様の社殿が反対側にもあり、併せて神在月の神様たちの宿所となります。

前頭2枚目:氷川神社(東海道-武蔵 さいたま市大宮区)

社格等:名神大社、官幣大社、勅祭社、四方拝、武蔵国一宮
現在の東京を内包する武蔵国随一の大社がこの氷川神社です。
延喜式では鹿島・香取両宮と同じく地方の官幣大社にされるほど格が高い神社で、明治の頃には東京に天皇が遷ったことで都の守護神としての性格が加えられ、勅祭社や四方拝の対象となるくらい重要視されるようになりました。元々は鎮座地の付近に広がっていた見沼の水神を祀っていたのではないかともいわれていますが、古代には出雲系の神であるスサノオを祭神としています。これは武蔵は出雲の豪族が移住して開拓した土地であるためで、当社の社名は出雲の簸川に由来するとの説もあります。現在では武蔵国の域内にあたる東京・埼玉に当社の分社が多く分布し、信仰の強さを窺い知ることができますよ!
余談ですが、当社は武蔵国一宮とされている一方で、大國魂神社(武蔵国総社)では武州六大明神の三宮として祀られています。どのような経緯で三宮として祀られることになったのか、非常に興味深いところです。

氷川神社 楼門と回廊。
氷川女體神社 拝殿。男体社である氷川神社に対応する女体社とされています。

次回

今回はここまでです。
次回も引き続き番付された神社を解説しますので、
またご覧頂けますと幸いです!
ありがとうございました!

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