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2024/04/30 入(大学)院1ヶ月

 「海月さんは『他人は自分に興味がない』と思っていそうな雰囲気があるよね」と、学部生のゼミからまだ交流のある友達に言われた。
 まぁそれはそうだと認めざるを得ない。自覚はある。ただ、友達とかに日常であったことを共有することは、かなり多いというか、積極的にする方だと思う。それは「この人私に興味ないしな〜」と思っていたらできることじゃない。
 じゃあなぜ?と考えた時に、既存のコミュニティを邪魔したくないという思いがあるのではないか?と仮説を立てた。話の輪に入ること自体はできるけど、入らずに遠巻きに眺めていたい。物語の登場人物としてではなくて、あくまで観客として観ているのが心地いいんだ。
 基本的に、どんなに些細でも波紋を呼びたく無いという性格。就活市場で持て囃される「自分ごととして捉える態度」とは正反対の姿勢。自分の行動ですらアバターを動かすプレイヤー感覚の視点。何となく人生に悪影響な気がするから、これから2年で治療したいね。

M1が始まった話

 お笑い賞レースのことではなく、もちろん修士課程1年のことです。でも人生がかかっているという点では同じかも。
 入った研究室、もといゼミは当初の希望通りだったけど、その実態は当初の想像通りではなかった。なんと全編英語。発表も議論も雑談も英語。私はスピーキングがからっきしなので、聞き取れるし資料も読めるけど、分からなくても質問ができないし議論の中で意見を言えない。

 言わずとも研究室にはM2だけでなくドクターやそのほかの人々 (何か肩書きがあったけど忘れた) もいらっしゃって、議論のレベルも普通に高い。計量のことが分からない状態だとそこに入ることすらままならないし、英語で言われて何の話をしているのかが即座に理解できなければテンポを乱してしまう。
 そもそも吸収が遅い私にとってはかなり厳しい。とにかく統計と計量の部分で置いていかれぬよう、日本語で言われたら参加できるように勉強するしか無さそう。

 もう一つ想像していなかったのは、教授が意外と就活に理解を示してくれないこと。より正確に言うなら、現在の就活の早期化が悪いことだと認識しているが、それに適応していくことには疑問符を持っているらしい。
 私も同じ立場で、なんなら就活は卒業してからやるのが最善だろうとすら思っている。しかし、そうは言っても1人が抜け駆けすれば、その他大勢もそれに合わせざるを得ないわけで。

 就活用に全休を作っておきたいと言った私に教授は一瞥もくれず、他の学生を見ながら「就活はまだやらなくて良い」と真っ向から対立する言説を唱えていた。
 分かるよ……。分かるけど……!そうやって就活を先送りにした結果私は苦しんだんだよ!だから今やらなきゃ絶対後悔するんだよ…………!

 なかなかこれから大変そう。願わくば就活がとっとと終わることと、このクソみたいな就活市場が根底から覆ることを祈ってやまない。


バイトは終えた話

 約4年続けた個別指導塾講師のバイトを辞めた。年度末に辞めるとセレモニーみたいなものに巻き込まれて、盛大に送り出される。私はそういうのが苦手。特にあまり交流のなかった人からもらう色紙やメッセージが好きじゃない。
 そんなわけで1ヶ月タイミングをずらして、スーッといなくなることにした。狙い通り式典的なものは一切行われることなく「今日あの子学校休んでるんだね」みたいな雰囲気でいなくなることに成功した。

 辞める理由としてはバイトが嫌になったからとかじゃなくて、単純に時間がないからというのが大きい。塾講師は毎週同じ時間を空けておく必要があり、自由時間の流動性が低い。急に予定が決まる就活とは、致命的に食い合わせが悪いことを、24卒として就活をした経験から知っていた。
 逆に急にいくことを決められるのは単発バイト。まとまって拘束されるけど、1回入ることのリターンは個別より大きいから、今後は単発バイトで稼いでいくことにした。運動不足の解消にもなるしね。
 ひたすら巨大な冷蔵庫の中で、小さな冷蔵庫や段ボールを指示通り運んだり積み下ろしたりする。まるでピクミンになった気分。命がかからない分、サボることもできない。

 個別指導塾の方の最終出勤日。担当生徒はなんと2人とも欠席になってしまった。オチとして完璧。最後だからとなんか力が入ってしまうのも好きじゃないので、絶対に後悔を産まないという意味ではベストかも。
 とはいえ簡単な事務作業があったので、塾には出向くことに。軽く辞めるにあたっての手続きをし、事務作業を終えた。
 最後には塾長と軽く話せた。上司ガチャとしては相当な当たりで、無能な私を4年も置いてくださった。成長したねぇ。4年も経ったねぇ。みたいな月並みな話をして、プレゼントをもらう。塾長が全ての講師に配っている本。中身は知らなかったけど、結構面白そうだし、ライブの遠征時にでも読んでみようかな。

 割にあっさり身を引いて塾を出た。ヒンメルが湿っぽい別れを嫌がって「また会った時に恥ずかしいからね」なんて言っていたけど、なんとなく分かる気がする。
 これが最後かもしれないけれど、だからと言って飾り立てたりしてしまうと、その時間には意味が付与されてしまう。不連続な印としての意味が。
 でも時間ってもっと連続的なもので、生きてればまたどこかで交わることもあるだろう。その時に一度断絶してしまっていると、その意識がどうしても出てしまう。
 私はあんまりそういうのが好きじゃない。「別れ」をあまり意識せずに「また会おうね〜」ぐらいの軽さでちょうど良い。また会った時に接するのが楽だし、また会える可能性が残る気がして。

 この4年、ここでは色々あったけど、前向きにはなれた気がする。友達も増えたし、昔の友達に再会することもできた。とりあえず偉いので、アイスを買った。残り1個の季節限定MOWマスカット味。
 その日は食べず、翌日いただいた。単発バイトで疲れた体に染み渡る。さぁ所属コミュニティはこれで0。安住の地は失った。次のオアシス目指して、砂漠をのんびり行こう。


サカナクションにハマっている話

 サカナクションのライブに軽率に応募し、まさかの当選を果たしてからどれくらいだろう。あの時は新宝島と夜の踊り子とミュージックしか知らなかった。さすがにライブ当てたしな〜と思って、ベストアルバム『魚図鑑』と最新アルバム『アダプト』、そのほか『多分、風。』なども単体でいくつか購入して聞いていた。
 最近は散歩を日課にしているんだけど、その間に聴くのがとても心地いい。そうして聴いてる間にすっかりハマってしまった。

 今現在、特に気に入っているのが「なんてったって春」という曲。全然知らないけど、サカナクションを代表するような、とりこれ曲という雰囲気ではない。でも私は大好き。

 終始同じリズム感で、少しずつ音数が増えていって、それらが入り乱れてゴチャゴチャっとして、最後にスッと収束する。そういう展開が私の好み。これを聴きながら桜の咲いた長〜い一本道を歩くと、他のアーティストを聴いている時は違う角度で、春の訪れをかんじることができる、気がする。
 ちなみに私はこれを聴きながら散策している途中、つくしを発見した。後にも先にも今年はあの時しかつくしを見ていない。ラッキー。

 他に気に入っているのは「エンドレス」とか。メッセージは分かりやすい。そして「なんてったって春」と重なるけど、少しずつ賑やかになった後ギュッと纏まる展開。特にラストのサビの裏で鳴っているリズムが好き。2番に入った時の、キーボードも綺麗に入ってきて、盛り上がりを予感させてくれる。最高。

 個人的には「ミュージック」然り、こういうタイプの曲を求めている節がある。「セントレイ」も「アイデンティティ」も「新宝島」も好きだけど、どちらかというとサカナクションならこういう雰囲気の曲を聴きたいな〜と、傲慢にも思うのです。

 何事も3つ挙げると、3つ目にはその人の個性が出るとか聞く。ならばと私が3つ目を挙げるとするなら「三日月サンセット」。情景が浮かぶ、あれこれ考えたくなる歌詞。ゆっくりした、大人しめでかつ夜っぽい情景/音はない曲で、ここまで惹かれたのは久しぶり。

 何となく、燃えるような夕焼けの後のマジックアワー、田舎めな町の道を男の人が自転車を押して歩いてて、その後ろを女の人が歩いているような、そんな情景が私は浮かぶ。どことなく、長く続きすぎた関係の変質や終焉の予感を共有しつつ、言葉にならないような。
 サビの最後の一節「君は今 背中越しに何を言おうか考えてたんだろう」というフレーズが、なぜか頭に焼き付いている。別にそんな経験があるわけでもなく、励まされたりしたわけでもない。でも、なぜか。単純に言葉選びとか、その情景が好きなだけかもね。

 こんな感じで少しずつではあるけど、着実にハマっている。友達に聞いたら、kikUUikiというアルバムが「次」としてオススメらしい。iTunesで同じ曲が入っているアルバムを買うとバグって消えるので、重複しないように1曲ずつ買おうかな。
 今回の就活は、今のところユニゾンやサカナクションに支えてもらっている。そういえばこの2つのバンドは活動期間が20年(‘04年〜)と19年(‘05年〜)でかなり近いんだよね。私とほぼ同い年。それだけだけど何か嬉しい。

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