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読みかけ日記「体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉(伊藤 亜紗)

 以前の読みかけ日記で伊藤 亜紗さんの「手の倫理」を書きました。その後読み進めて、とても面白かったです。

 そして少し前のnoteでフォローしている方がこの本を紹介しているのを見て、ぜひ読みたいと手に取ったのがこの本です。

 「体はたいてい、私たちが意識的に理解しているよりも、ずっと先を行っています。」このことは私がやっている呼吸のワークにもつながっているような気がします。

 実際、まだ読みかけですが、ピアニストの方の「こうすればきっとうまくいく、という自分なりの方程式の外側にむしろ重要な可能性が転がっている」とか、プロ野球の桑田選手の、自分では全部同じフォームで投げていたつもりでも、実は1回ごとにかなり違った投げ方をしている、それでいてボールは同じところに同じように行っているといった部分は興味深いものでした。

 ピアノの演奏も野球のピッチングも機械のように唯一絶対の奏法や投げ方を最適化しようとすると、その時の演奏や野球の行われる環境の変化に対応できない。

 いろいろな環境の中で今自分が何をすれば今求めているものにたどり着けるのかの可能性をより多く探索することが練習なのだという。

 「インターナルフォーカス」:運動するときに体を意識して直接コントロールしようとするやり方。

 「エクスターナルフォーカス」:体ではなく、環境や道具に意識を向け、その問いを体に「勝手に解かせる」もの

 私がやっている呼吸のワークも「正しい形を示してそれに自分の体や呼吸を合わせる」ことを一切しません。今の自分の体がどんな状態か、体の声をただ聞きます。その時の環境の中で自分の体が表現したがっていることをそのまま受けとめることをし続けることで体は表現の可能性を広げていきます。

 なので「うん、うん、そうだよね」とたくさん思いながら読んでいます。

 一方で、体の可能性の発露と社会制度や道徳によってその範囲が調整されなければならないという部分は、ある意味その通りなのですが、体のできる/できないのポテンシャルというところから一歩進めて、「そのことを体が本当にやりたがっているのか?」を突き詰めると、そもそも暴力や破壊を「命そのもの」の体は本当のやりたいのか?というあたりは、少し私とは視点が違うなという点もあります。

 まだほんの入り口の読みかけですが、これからまたどんな展開が待っているか楽しみに読み進めたいと思います。

 (写真は本そのものを載せたかったのですが、横長画面にうまく入らず、フォトギャラリーのものをいろいろ見ていて、検索ワード「可能性」のところでふと心惹かれたyaguhaguさんの画像を使わせていただきました。)

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