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3日遅れの日記

何だかうまく書けなくて、でもさっき呼吸の先生が龍神様の絵を描いているところをライブ配信していたのを見ていたら(残念ながらタイミングが合わず、ライブでは見られず、アーカイブで見たのですが)何だか、不完全なものでもそのまま自分の記録として残しておきたくなりました。

よろしかったら読んでみてください。

【呼吸のワーク日記】(2024.1.28)

前回、年始第一回のワークは対面でと思っていたのですが、家族の事情で急遽オンラインにしてしまったので、今回はぜひぜひ対面にしたくて、初めて使う会場を確保してのワーク。

 参加者が他にいなそうだったので、先生と2人で使うには広すぎるかと思ったが、
そんなこともなく、何よりも大きな窓があって、ビルの12階で見晴らしが良くて気持ちがいい。

 雲が多いお天気だったけれど、それがむしろ形や色が刻々と変わっていくのも見えて、ワークをするのもとても楽しかった。

 オンラインでも対面でも最近は話しながら動いているのを見て、先生が必要に応じて「こんなことをやってみては?」とガイドしてくださったりすることは変わらないのだが、対面では伸ばす方向に少しだけ手を添えて方向性を示していただくことができる。

 オンライン越しにことばを聞きながら何か身近にあるものを使って1人でやってみることもできるのだが、やはり生身の人がそこにいてサポートしてくださるのは感覚が全く違う。

 「もの」は動かない、変わらないから、一方的に自分がどうすれば心地よいかを探していくことになる。

 でも生身の人はサポートしてくれながら、こちらの反応を見ながら自身も動いたり変わったりするという相互作用だ。
 
 体のより深いところに動きのエネルギーが伝わってくる。そしてそれを味わう時間の長さも充実感の深さもやっぱりオンラインとは違う。

 日常の雑事に少し澱み気味だった体から、余分なものが落ちてボディ部分がスッキリ軽くなる。

 いくつかの動きをした後、声が明らかに変わっているのに気づいた。

 自分の体全体の中に反響しているような感じがして、それは自分の中での聞こえ方だと思ったら、聞いていた先生も部屋の反響の仕方が明らかに変わったと思ったとのこと。

 この声が歌であれば大きなホールの隅々まで声を伝えていくのだろう。声が「発信する声」になったと思った。

 不思議でもあった。合唱団時代、声が本当に外に向かって伸びている時は自分の中ではあまり聞こえていないというのが定説だったし、自分自身も他の人に「今すごい声が出ていた」と驚かれた時は自分の中では「すっぽ抜けた」感じでひょろっとした声しか出ていないような気がした時だった。

 でも、今日は違った。自分の中が響きの良すぎる部屋になった感じで自分の声が反響している。

 だから、先生から、体の奥深いところには芯だけがしっかりあって、声は両側の壁から聞こえてきたと言われた時には体の内側と外側が逆になったのでは?とさえ思った。

 やっぱり体ってわからない。一般的に言われていることとは違うことが起こる。

 そのことを「理論に合っていない」「間違っている」とするか、今解明されていることとは違っているかもしれないけれど、自分の体はこう反応している、これもありなんだとそのまま受け止めるか。

 そのまま受け止めることが「こうしなければならない」ではなくて心からできるのがこのワークの醍醐味なのかも。


写真は今朝(1月30日)の日の出直前の空です。
 


 

 

 





 



 




 

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