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音に満ちた朝に

 今朝、ほんの少し外に出たら、もわんとした空気の中で鳥が鳴いていた。

 日頃はあまり聞きなれない声で、近くの植え込みの中からのようにも聞こえたが、残念ながら姿は見つけられなかった。

 耳を澄ませると、他にも色々な音が聞こえる。虫の声、風に揺れる木々の音、遠くで何か作業を始めている人の機械のモーター音。バイクの音...。

 大都会ではないけれど、自然豊かな森の中とかでもない街の中の静かな朝にもこんなにいろいろな音があるんだなあ。

 この瞬間を何とか丸ごと残しておきたいと思った。

 写真を撮るとしたら、何を撮ればいい?
 録音する?

 この空気の丸ごとを伝えるとしたらどうしたらいい?

 できたことは、結局その中にいる自分を味わうだけだった。

 そのこと丸ごとは、今、自分が味わった感覚を温度も光も音も湿度も合わせた全部として自分の中に記憶するしかないし、完全に他者と共有することはできない。

 誰かに伝えようとするのはどこまで行っても、その一部分の切り取りでしかない。

 表現手段も直接的に表現できるものはある1方向からだけ。写真は音や温度、匂いなどは具体的には表現できないし、音声は見えているものを直接は写せない。

 そんな不自由さの中にどれだけのものを表現できるのかということに日々向き合っているのが表現者なんだろうなあ。

 できないことに絶望するのか、それとも道を探してもがくのか。それともそのこと自体から目を逸らすのか。さあ、自分はどうする?

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