万年ルーキーのデザイナーだった話

前職での肩書きは【デザイナー】だった。

デザインを考えるという好きだった行為を、まさか仕事にできるとは思っていなかったし、未経験で採用してくれた会社には、辞めた今でも感謝しています。
以前、就活中に不思議な縁があった社外のアートディレクターの方とお会いする機会があった時に、わたしがデザイナーとして仕事できているか自信がないと相談したことがありました。
でも、その方は「お金をいただいてるのだから、デザイナーとしての仕事をしている」とおっしゃってくれ、それ以降は以前より少しだけ自信がついた気がしました。
その通りで、自信を持ってやり切らないと失礼だな、と思うようになりました。

前職では、主に音楽関係のデザインをしていました。
具体的には、CDジャケット(帯やブックレットなど含めて)や、それに付随するフライヤーや店舗に設置するポップやポスターなどの販促物、音楽雑誌に掲載する広告、新聞広告、コンサートのプログラムなど・・・
実に様々なジャンルの音楽を対象にデザインをしていました。
職業柄、CDショップに足を運ぶことが当たり前のようになり、自分が携わった商品が発売されると、並んでいるのを見に行って密かに嬉しくなったりしていました。

稀に撮影に同行させてもらうこともありました。
世界的なカメラマンさんの仕事場に連れて行ってもらったときは本当に興奮しました。
その人は、撮影中ずっとアイディアを出し続けていて、表現者として物怖じせずに周りの人を次々と巻き込んでいました。
その時、感覚的にですがこれがプロか…と思い知らされました。

残業ももちろん多くて、精神的に辛いときも多々ありましたが、校了したり発売されたりすると、なんかどうでもよくなったりしてました。
仕事には誇りを持っていたし、やりたいことができたと思います。
作品に名前を残したいと漠然と昔から思っていたから、社会人になって、発売されるCDに名前が載るなんて本当に嬉しかった。
だからがんばることができていたような気もします。

さて、タイトルで記載した万年ルーキーだった話は、ここからです。前置きが長すぎて申し訳ないです。

わたしは、就活を4年生の途中で諦め、大学を卒業してからまた就活を始めました。この話はまた別で書こうと思います。
周りが働き始めた4月1日から、再稼働するという変なスケジュールになってしまいましたが、個人的には否応なしに前向きにならざるを得ない状況でした。

わたしが使った就職情報の収集ツールは、有名どころからクリエイティブ業界に特化したものなどでした。新卒専用のサイトは使わなかった(多分使えなかっただろうし)。
具体的にはマイナビ転職、リクナビネクスト、エン転職、CINRA.JOBクリ博ナビグラフィカルジョブFind job!アートとデザインの現場などなど…

結果的に、マイナビ転職で見つけた会社に、デザイナーとして採用していただきました。

20名程度の少人数の会社で、時期も時期だったので同期は0人。
入ってみて分かったことは、当たり前なんだけど、年上しかいないこと。
年上といっても、わたしより10歳ほど年上の人がほとんど。一番近くて4歳上の男性社員でした。
もちろん、最初の方は仕事を覚えることに精一杯で、周りを気にする余裕なんてほとんどありませんでしたが、日に日に孤独を感じるようになりました。
なぜかというと、今まで過ごしてきて、自分と同い年(あるいはそこまで離れていない先輩や後輩など)との関わる回数があまりにも多く、自分にとって居心地がいいと思う場所でずっと過ごしてきたから。
幼稚園〜小学校〜中学校〜高校〜大学と特に何の問題もなく過ごしてきたわたしは、仲の良い友達とずっと一緒にいました。
同い年が「同期と○○」とInstagramに載せようものなら、わたしはどこかで嫉妬をするくらい。
自分で選んだのに、そこまで考えていなかった。

ここで、万年ルーキーの爆誕です!!!!!!

基本的に個人主義の人たちの集まりで、会社の雰囲気も静か。気軽に喋るような人もおらず、ラジオが唯一喋っているような環境でした。
ランチもほとんど一人で食べに行っていました。
でも、先輩や上司は常に新人として、わたしを気にかけてくれ、分からないことは聞けば絶対に教えてくれたので、とてもありがたかったです。
そのおかげで、大きなミスもなくわたしは仕事をすることができました。(逆にいうと、先輩と上司のチェックが必ず必要な立場ということ)
新人さんが入ってきても、職業柄求められるのは即戦力なので、数年経験を積んで、転職をされてきた年上の方々・・・
結局、2年経ってもわたしより年下が入ることはなく、必然的に万年ルーキーのような立場になってしまいました。(後々聞いたところ、採用時は平均年齢が高くなってきたので、若者を入れて育てよう!という方針だったようです。)

人によっては、いつまでもルーキーでいいじゃん!と思われるかもしれません。
でも、わたしにとっては意外とそうでもなかった。
誰かに教えたりとアウトプットする機会がほぼなかったので、技術が身についているか分からず、自信がなくなることもありました。
多分、新人ならではの電話を取る期間も最長だったと思われる(笑)
デザイナーとして打ち合わせに行って、ラフを作ってクライアントに見せて、デザイン制作をして、入稿して校了するというのは一通り経験させてもらいました。未経験だったけれど、2年も経てば当初より仕事はできるようになっていたし、もはや新人ではないので、ずっと新人扱いが終わらないことに違和感はありました。何より、どこかで悔しかったのかもしれません。

いい意味で守られていたし、甘えることができた。
けれど、守られすぎていたような気もします。

こうして思うところがあり、万年ルーキーのデザイナーは転職を決意したのでした。
本日はウェブ上で1社応募しました。結果はどうであれ、一歩踏み出せたことが満足ということにします。甘い・・・

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