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親友の結婚式翌日に思うこと

親友が結婚した。

昨日は、結婚式だった。
本当は5月にもっと大規模に開催するつもりだったけれど、この状況を踏まえ、かなり規模を縮小し、ほとんど親族のみでの挙式と披露宴となった。
新郎の方は、他県に親族や友人が多く、県をまたいでの移動を控え、実姉さえ来られないという状況だった。
そんな中でも呼んでもらえたことが嬉しいし、親友の晴れ姿を見られることを本当に楽しみにしていた。

中学生の頃に出会った親友。
中高大と同じ学校に通い、一緒に成長してきた。一回も同じクラスにならなかったし、学部も別々だったけれど、わたしの人生の中で一番多くの時間を共有してきた。なんでも要領よくソツなくこなし、相談すれば筋の通った的確なアドバイスをくれるような、わたしにとって親友であり、憧れのような人だった。

彼女との出会いは、中学1年生のときに足を運んだ、とあるアイドルのコンサート。
入場列に並んでいたとき、たまたま後ろにいたのが彼女だった。同じ学校で見覚えがあったので、声をかけて意気投合。そこから毎日のように手紙交換をし、一緒に帰るようになった。
思い出がありすぎて、何をピックアップすればいいか分からないくらい、たくさんの時間を共に過ごした。彼女の話はいつも面白く、いくら話していても飽きなかった。

大学生になって、別々の道に進み、頻繁に会うことはなくなった。彼女はサークルにも入り、すぐに彼氏ができて、入学して最初の誕生日当日に、わたしが彼女の実家に勝手に突撃したときは不在だったりした。大学に入って、50人ほどのこぢんまりした学部内でのんびりと過ごしていたわたしとは大違いだった。

たまに会っても、わたしには彼女に話せるような特に目新しいネタがなかった。知らないところで、いろいろな場所に行って、いろいろな経験をしている。画面越しで知ることも多かった。そう思うようになってしまったときから、勝手に少し会いづらくなった。あれだけ毎日話して笑い合っていたのに、会うのは1年に3回くらいになった。それでも、会えばとても楽しかったのだけれど。
今思えば、わたしはその頃ものすごく捻くれていた。もしかしたら、親友が取られたという子供のような気持ちもあったのかもしれない。

大学を卒業して、お互い社会人になったら、また少し状況は変わってきた。
お互いの仕事の話、出会った人の話、家族の話、健康の話・・・自分で稼ぐようになって、誕生日にはご飯をご馳走し合ったりした。彼女は旦那さんとなった人と新たに出会い、その話もしてくれた。
いい人に出会ったんだな、とわたし自身も嬉しく、本当に微笑ましく聞いていた。
相変わらずわたしはそういうネタは増えなかったのだけれど。。。たまーにネタがあると、嬉しそうに聞いてくれた。

不思議なことに、結婚したいとか、子供が欲しいとかは思わないのだけれど、結婚式はしたいと思ってしまった。
動機は不純だけれど、まずドレスが着たいし、大切な人たちで楽しい思い出と好きな音楽をシェアしたいし、自分の大切な人が一堂に会する機会なんてそのタイミングしかないのでは。。。Twitterでいつか見た、人生で自分のために人が駆けつけてくれるのは生まれたときと結婚式と葬式で、自分の記憶に残るのは結婚式のみ、という事実を改めて突きつけられた。

そもそも、生まれてからほとんど同じだけ時間があったのに、こんなに人それぞれの生活に違いがあること、本当に驚く。
特に、令和になってから同級生の結婚が止まらない。大学の友人は最近妊娠したし、先輩は子供を産んで、家まで買った人もいる。ほとんどがSNS上で知るのだけれど、結婚に至るまでの手順をしっかり踏んでいるのがすごい。
一人の生活でも精一杯なのに、その中で大切だと思える人を見つけて、愛し愛されていろんな思い出を作って、互いの家族に挨拶したり、住む場所を決めて一緒に住んだり、お揃いの指輪(しかも高額)をこさえて、書類を揃えて役所に行って、結婚式に向けて準備をする。。。
しかも、家事や仕事をこなしながら。。。

末恐ろしすぎる。わたしには全く想像できない。相手もいないし余裕もない。

わたしは恋愛や結婚に対して興味がないということは日頃から母に話しているのだけれど、その価値観は祖母には理解してもらえず、いとこには同棲目前の彼氏がいることも相まって、最近よく聞かれることが苦痛だった。
そりゃ、自分でも思う。社会人になって5年ほど経ち、他人に興味を持たず、いつまで一人でいるつもりなんだろう、と。大好きなカネコアヤノさんの歌詞にもある。
“幸せのためならいくらでもずる賢くいようよ いつまで一人でいる気だよ”
と。
結婚式の妄想をしていたら、祖母の顔が浮かんできた。現在80歳の祖母に、自分のそういう姿を見せられるのだろうか。もし見せられなかったらどうしよう、とか今余計に考えてしまった。大丈夫かわたし。

今回、限られた人数で開催された彼女の式に参列させてもらい、彼女たちのご親族に会ったとき、素敵な人たちに囲まれているな、と感じた。この人たちが彼女の人格を形成してきたんだと思うと、なんだか妙に納得できてしまった。

式中、所々から彼女らしさを感じることができた。
スライドショーの中の写真、言葉の選び方などなど・・・
式場の雰囲気も、ドレスの色味も、彼女が「こうしたいんだよね」と話してくれた通りで安心した。やっぱり彼女は筋が通った人だ。

中学時代からずっと彼女のいろいろな表情を見てきた。
昨日の彼女は、今まで見てきた中でダントツで輝いていて美しく、特にたくさん見てきた笑顔も、どこか違っていた。
そして、もういよいよ本当に違う道の上にいるような気もした。
それは、言葉にするのは難しいのだけれど、大学の頃に感じた感情と違うのは確実で。

彼女からもらった手紙に、出会えたことが人生の宝物、と書いてあった。
わたしも当然そう思っている。
あのような幸せに溢れた空間にいると、人との出会いは本当に奇跡的な出来事だと思い知らされる。
医療従事者同士のご結婚。くれぐれも体に気をつけて、幸せな日々がいつまでに続きますように。

愛するわたしの親友へ、結婚おめでとう。
これからも変わらず、よろしくね。

以上、親友が結婚した翌日に、心の底から思うこと。

2020.9.5

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