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「今の僕たち」で親と関わる

親に会った翌日は決まって体調を崩していた。

緊張し、気を遣い、無理をしてたくさん喋って……。非常事態スイッチとでも呼ぶべきものが強く入ってエネルギーを消費するというか。
とにかく親と会う用事ができると2日前から憂鬱になり、当日を乗り切ると翌日はほぼ丸一日布団の中……というのがパターン化しつつあった。

それほど緊張を強いられる相手と同居していたのかと思うと驚きだ。
きっと感覚が麻痺していたのだろう。あるいは麻痺させないとやっていられなかったのだろう。
どちらにしろ、距離をとってみないと気づけないことだってある。


とはいっても、親と会うたび具合を悪くしているのははっきりいってあまり生産的ではないと思った。

たった数時間のために憂鬱になる期間+体調を崩す翌日を合計すると、親に対して計4日ぶんものエネルギーを消費していることになる。


4日あればどれほどの文章が書けるだろう?
「アサシンクリード」のメインクエストがどれほど進むだろう?
好きな動画が何本観られるだろう?

考えるほど惜しくなる。


何か方法はないだろうか……と何気なくこぼすと、洞察力のある親友はこう言った。

「今の君たちで関われば良いんじゃないかな」

いわく。僕たちは親を「昔ああいうこと/こういうことをしてきた相手」として見て接しているという。
だからこそいろんな感情が湧くし、余計に緊張もする。

あったことはあったこととして。しかしそれは過去のことだから、「今の僕たち」とは別のところにあるものだから。

人間は変化している。親も当時から変化している。だから当時から変化した「僕たち」が思うように、親と関われば良いのではないか。
という助言をしてくれたのだ。


何がそんなに心にヒットしたのかはうまく言えないが、とりあえずこの助言がまず亜麻ああさの腑に落ちた。

それで主に亜麻が表に出て親に対応するようになったのだが、疲れ方が大きく変わった。


今でも多少は緊張するし、間を持たせようとして喋りすぎもするが、2日前からの憂鬱や翌日の体調不良はほとんどなくなった。
当日に早寝すれば、次の日は割と大丈夫なことが多い。


親を許すとか許さないとかの話ではないところで、とりあえず関わる必要のある時は最小限の負担で時間を過ごせるようになった。
これは大きな進歩だと思う。




文責:直也

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