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今日は母の日。

きっとnoteにはお母様との素敵なエピソードや感謝の言葉などがたくさん綴られていることと思います。

そんな中、水をさすようで大変申し訳ない内容なんですが、私が母について思うことを今日は書きたいと思います。

今年の冬の終わり頃、鬱症状がどんどんひどくなり、この原因は一体なんなのかと考え始めました。

私が辿り着いた答えは、

母に愛されたかった。

というものでした。

私は自分の性被害について母には伝えています。その加害者たちが誰であるかも、そのせいで精神科やカウンセリングに通っていることも知っています。

母は一定の理解をしつつも、それでも娘より加害者家族をこれからも頼っていくと私に言いました。

小さな田舎の中で、弱い母が生きていくためには仕方のない選択であり、それを選んだ母の意思を私は今後も尊重するつもりです。

最近鬱症状がひどくなり、いつも電話しない母になぜか電話をしました。話を聞いて欲しかったんでしょうね。
しかし母はわかりやすい嘘をついて、私の話を聞かず、電話を切りました。

またやられた。

どうしてこうなるってわかっているのに、なぜ私はまた母に期待してしまうのだろう。

母も歳をとり自分のことに精一杯で、娘のそんな話を聞くのもめんどくさいのでしょう。それもわかります。そして、娘を守れなかった責任から逃れたい気持ちもあるのかなと想像したりします。(いや、そんなこと思ってないか。)

私は性被害を母に打ち明けた時、味方になって欲しかった。あなたは悪くないと言って欲しかった。加害者家族と縁を切ると宣言してほしかった。それだけで私は救われたと思います。

ただ、田舎で生きていくってそういうこと。たとえそれがどんな相手であろうと支え合っていかなければならない。田舎ってそういうところなのです。


私は母に何度か「そんな選択をするなら産まないで欲しかった。」と言いました。でもなんでか生まれてきちゃって、あんな目にあって、どうしようもない人生。

電話で何度目かの嘘をつかれてから、私は母を母と思うことをやめました。
今は電話の表示も『お母さん』ではなくて、彼女の名前にしています。

今の私の立ち位置は、数年に一度会うお出かけ専門のヘルパーさんか、ネットショッピングのオペレーター、はたまたちょっと仲の良かった友達くらいの距離です。

母に愛されていなかったという事実は、今、私の人生に暗い影を落としています。

だから、友人たちの母娘のほっこりエピソードや自慢話に、そうでなかった自分がめちゃくちゃ落ち込むんだろうなと思います。

父や母からいつも否定され、親戚から性被害をうけ、バカにされ続けた私の人生。

こんな人が誰かから大切にされるはずもなく、その逆も然り。
そして自分を大切にできません。

母の日も、父の日も私にはただの日曜日になりました。

しかし母を母と思わなくなったことで、心が少し軽くなった気がします。ちょっと解放されました。

皆さんはそうじゃないかもしれないけど、私はそれでいいんです。母がしんどい娘なんて世の中にたくさんいますしね。


今日読んだ韓国の作家さんの本があります。本のセラピストの異名をとるこの作家さんの言葉が全て優しくてジーンとしました。

チョン・スンファン著 2020年 


辛いことがあるたびに誰かに頼ろうとする僕じゃなくて
苦しみに耐え抜ける 強い僕になりたいから…。

『自分にかけたい言葉〜ありがとう〜』より


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